曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2019年03月

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3月2日
キャベツを食べているのは青虫だけではない。どうやら鳥にも突かれているようなので、不織布をざっくりと被せる。近所はみな網を被せているが、半円形の支柱を差して網を被せるのが面倒くさくて横着したのである。右の写真は全体に被せた図。
(訂正追記26日)
上のキャベツの写真を訂正します。これは虫に食われたものでも、鳥に突かれたものでもありませんでした。キャベツが割れたのです。畑先生のキャベツは今年はかなり割れてしまったそうです。暖かくて水分が不足したのではないかと先生は言ってました。8年間で3回しかキャベツを作っていなかったので、キャベツが割れるなんて初めて知りました。まともに出来たのは1個だけ(下の23日の写真)で、ほかのキャベツはみな無残に割れてボロボロです。(26日現在)
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鈴なりブロッコリー。
成長した房を摘むとその下にある小さな房が次々と成長する。気に入ったので来年も作ることに決めた。


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3月14日
大根がそろそろトウが立ち始めたので頭をちょん切る。

3月14日『絶滅危惧種イズモコバイモか?』
イメージ 6前夜のTVの地方のニュースで絶滅危惧種イズモコバイモが咲き誇っていると言うニュースをやっていた。
島根県の川本町の江の川の近くにこの花の群生地があり、地元の人たちが大切に守っている。近年発見された新種で、春の妖精と呼ばれている可憐な野草である。
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それを見ていた、助っ人に来ていた妹が、
「お兄ちゃん、うちの庭にも同じ花があるよ」と叫ぶ。
(上の写真)
「まじかよ、環境省のレッドデーターブックに載ってる絶滅危惧種だぞ。ある訳ないだろう。あったら問題じゃないのかな」
「あの花は、何年か前に野草好きの〇〇おばちゃんがくれたのよ」と、あのおばちゃんならあり得ると言わんばかり。
翌日、かなりその気になって見に行ったが、確かに昨夜見た花とそっくりである。だが、確証が持てないのでパソコンで調べる。すると外見はそっくりだが、花びらの内側の模様が全然違うことが分かる。イズモコバイモにはこのような編み目の模様はない。
残念、兄妹がっかりしたのであるが、この花の名前がわからない。コバイモ科の花はアワコバイモなど数種類あるのだが、ネットで調べきれなかった。多分、ナントカコバイモだと言うことにしておくが、ひょっとしたらまったく違う野草かもしれない。似たような野草が一杯あるのだ。今度〇〇おばちゃんが来たら聞いてみる。春の到来を教えてくれる花には違いない。
ところで、この花の名前についてふと疑問に思うことあり。なぜイズモコバイモなのだろう。群生地の川本町は石見地方である。群生地は少し離れたところにもあるが、そこも石見地方である。イワミコバイモと名付けるのが正しいのではないのかと思った次第である。発見者はOさんと言う人だが、Oさんが命名したのだろうか。

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3月中旬 極早生玉ねぎ        3月中旬 人参
極早生玉ねぎトップゴールドの葉が倒れ始めた。もう食べられますよと言う合図である。随分早いなと思いながらも、引っこ抜く。小さい小さい。近所も今年の極早生は小さいと言っていた。わが家に限っては追肥が遅過ぎたことだけは確か。原因は良く分からない。でも去年のようにぽこぽこネギ坊主ができるよりはいい。小さくても食べられる。新玉ネギのスライスは美味い。
期待しないで人参を抜いてみたら貧相で、見てくれの悪いのが出来ていたが、一応できていたので驚く。これまで上手に出来ず、作る気はなかったのだが、空き地があったのでたまたま種を播いたのであった。痩せて色も悪いし、多少固いが、自家で食べる分には我慢できる。これなら来年はもっと早く種を播き、真面目に取り組めばもう少しましなものが作れそうな気がする。来年こそ。
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3月中旬 じゃがいも         3月23日 キャベツ
ふとマルチを見たら、じゃが芋キタカムイが芽を出している。新農法を始める前はこの頃じゃが芋の植え付けをするから随分と早いものだ。新農法2年目、今年は一カ月間マルチで地温をあげてから植え付けた。いい芋ができるといいのだが。
キャベツは春ひかり7号。何と無傷の形のいいものが出来た。こんなまともなキャベツが出来たのは帰郷して8年目、初めてのことだ。と言っても、ここ6年は作っていなかったのだが。妹に助っ人のお礼にプレゼントしたので出来はまだわからない。
でも、来年からは作る気なし。これ以外のキャベツの出来が悪すぎる。不織布を被せていたのに、鳥以外の何かに食われたのかぼろぼろにされている。もう嫌だ。キャベツだけは作らない。サラダはレタスがあればいい。キャベツの千切りなんて面倒臭い。
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3月24日 今年もスギナ退治
どんどんスギナが増える。今年も除草剤を刷毛で直接スギナに塗り付ける。畑先生に「今年もやっちょるね」と笑われる。笑われても除草剤を所かまわず撒くわけには行かないから、ピンポイントで退治するにはこれしかないのだ。ただ去年までは希釈したラウンドアップを買って来て塗っていたのだが、効き目が期待ほどでもなかったので、今年はラウンドアップの原液を買って来る。原液は見た目からすごい、どろっとしてまるでノリみたいだ。刷毛でぬるとべっとりと付着する。効き目がありそうな気がする。
この他にも、やることは一杯ある。芝生が少しあるので目土を入れて、芝生の雑草退治と肥料を兼ねた薬を撒く。春は忙しい。

今から一カ月前の2月19日に、プロレスラー、ジャイアント馬場没20年追善興行が両国国技館で行われた。かつての馬場の好敵手だった、名前を聞いただけで懐かしいレスラーたちが大勢集まった。ドリー・ファンクJr(77)、スタン・ハンセン(69)ミル・マスカラス(77)など……。その中に黒い魔術師アブドラ―・ザ・ブッチャー(77)もいた。
今思い出しても身震いするくらい恐ろしく強い悪役レスラーだった。
そのブッチャーが車椅子でリングに上がった。実はその日のセレモニーはブッチャーの引退式も兼ねて行われたのだ。そこでブッチャーは最後の挨拶をした。

「若い人たちに言いたい。自分の親が年を取っても、決して老人ホームにぶち込んで忘れるようなことはするな。いずれはお前たちも年を取ってそういうことになるんだから、ちゃんと親を大事にしろ。それだけを言いたい。忘れるんじゃないぞ」
と、言ったのだそうだ。
なんで、こんなことを書いたのかと言うと、3月16日に父を老健に入れたからである。老健に入ると言うことは、その先はほぼ特養(入れたらの話だが)へ行くことが決まっているからである。入れなければ老人ホームだ。
一カ月前にこの記事を知った時、いずれブッチャーに叱られるかもと思っていたら本当にそうなってしまった次第である。
病院からは退院許可は出ていたが、しばらく様子を見ても、カテーテルは取れないし、食事も全粥ペーストは変わらず。歩行は無理で移動は車椅子。
父は8分粥になったと言っていたが、「口に入った感じで分かる」その言葉は完全に父の思い込みであった。儂にペースト食なんて作れない。老健⇒特養を視野に入れて動き出したのが、10日ぐらい前から。
市役所に連絡して、介護度の見直しをしてもらい、老健や特養を回って申し込みをする。
満97歳で認知項目はほとんどが5だが、運動項目は食事が5(ペースト食を自分で食べられる)以外はほとんどが1。本人は以前から「家に帰りたい」と言っているので、さてどうやって納得させるか思案していたら、急に老健が空いたと知らせて来た。すぐに入らないと、次の人が待っているので、2週間とは待てないと言う。
大いに慌てる。なぜなら丁度妻が外泊していて儂は自由に動けない。
しかも金曜日頃から妻は風邪を引いたようで熱っぽい。儂は妻の世話で手一杯。ただ、妹が助っ人で来てくれたところだったので、父の退院、老健入所は妹に頼む。必然的に、自宅へは戻れないこと、老健入所を納得させる役目は妹が引き受けることになってしまう。「私が言わなければならないなんて……」と、ぶつぶつ言われるが、ひたすら謝り感謝する。
てんやわんやで、入所の準備や買い物も妹がやってくれる。儂はああせい、こうせいと口だけ。
昨日、土曜日は入所までは妹がやってくれて、後の手続きは妻を寝かせている間に儂が老健へ行ってすませる。
これで父は一段落したが、妻がよくなってくれない。金曜日に風邪薬を買って来て飲ませたのだが、土曜日はまだ回復の兆しがない。薬も液体や粉薬は嫌がって飲まないので、丸薬を買うしかなく、ルルを飲ませる。
土日に病気になられるのが一番困る。特養に入ってしまったから昔のように訪問医に頼めない。身体が不自由な者を救急にも連れて行けない。そもそも保険証は特養に置いてある。妻を外泊させるに当たって、実は一番の心配は病気になることだった。これまで二年間何事もなかったが、恐れていたことが寄りによって一番大事な時に起きてしまった。
17日の日曜日が外泊が終わり、特養へ戻る日。昼食後戻る予定だが、特養は事務室は休みなので、土日は送迎が出来ないので、儂が連れて戻ることになっている。元気だったら、朝食後、寝ている間に「風土記講義」に出て、昼過ぎに戻ったら、昼食を食べさせてから特養へ戻るつもりだったが、「風土記講義」どころではない。3月の講義も休む。1月はインフルエンザで休み、2月は隣保の新年会で休み、とうとうこれで三カ月連続の休み。残念だけれど仕方がない。
妻の寝顔を見て、額に手を当て、お昼に起きられるものやら、特養まで車椅子に乗って戻れるものやら、ずっと様子を見ている。動かさないで、外泊を延長しようかとも思うが、いつも服用している薬が昼の分でなくなってしまう。色々思案した末、無理しても戻れば、特養には看護士さんがいるので対応してくれると思い、思い切って起こして、軽く口に入れ、ルルを飲ませてから、特養へ戻る。
すぐに看護士さんが対応してくれる。
帰宅後、しばらくして電話連絡あり。検査したら、炎症反応があるので、医師に電話して、点滴を出してもらい、点滴する由。ようやく胸を撫で下ろす。
老健には長くても三カ月くらいしかいられない。その先は特養か老人ホームか、その時は儂がきちんとしないといけない。儂の中では最強、恐怖の悪役レスラー、アブドラ・ザ・ブッチャーに叱られないように。
「親不孝するんじゃねえぞ」と。

3月2日。大社文化プレイスうらら館だんだんホールにて、
出雲大社御遷宮完遂記念
文化庁平成30年度戦略的芸術文化推進事業として
『古代出雲は、日本の最先端を走っていたのだ!―出雲文化と歴史のトークショー』
が行われた。出演は辰巳正明國學院大學名誉教授と、あのと言うか、何かと話題の社会学者古市憲寿。
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マスコミ的に話題の人が来るせいか、珍しいことに入場券もネットで申し込んで抽選待ち。当選のお知らせを印刷して持って行かねばならなかった。600席が満席だと主宰者は言っていたが、儂の隣は空いていたから、御大層に事前申し込み、抽選なんて面倒なことはしなくてもよかったのでは。

冒頭の「出雲大社御遷宮完遂記念」について一言。知らない人は、「えっ、まだ御遷宮していたの?」と、思われるかもしれないが、無理もない。誰もが平成25年の本殿遷座で「平成の大遷宮」は終わったものだと思っていたのだ。そういう儂も。
ところが、大遷宮が終わった途端、観光客ががたっと減った。儂もブログに書いたことがあるが、あの騒ぎは何だったのかと言うくらい寂しくなった。慌てたのは関係者である。本殿遷座が終わった後も、境内や境外の御社殿の修造は続いていたので、御遷宮はまだ終わっていませんと宣伝しなおしたのである。と、儂は聞いている。
間違っているかもしれない。お膝元の人間がおとしめるようなことを言うなと叱られたら、ゴメンナサイである。
その修造もようやく終わったので、「出雲大社御遷宮完遂記念」と銘打ち、「文化庁平成30年度戦略的芸術文化推進事業」と、これまた聞いたことのない、大層なトークショーが行われた次第。
辰巳先生は初めて聞く名前で、考古学や古代史の専門家ではなさそうだし、古市憲寿に至っては、「この人、古代出雲について語れるのかな?」と、半信半疑余り期待しないで聴講した。
ところが、辰巳先生の基調講演で不安は吹き飛んだ。
先生は万葉や中国文学研究がスタートだった人らしいが、後年、文化の変遷が歴史を動かして行くと言う視点に立って、歴史を読み解いて行った学者と知る。
分かりやすい例を挙げると、出雲に加茂岩倉遺跡と言う多数の銅鐸が出土した遺跡がある。先生は銅の時代は銅に神が宿ると考えた時代である。長く続いた銅の時代はやがて鉄の時代に変わる。加茂岩倉遺跡は丁度その時代に当たる。
「埋められた沢山の銅鐸は古い文化である銅の文化を埋葬したものと考える」と、言われたのだ。その瞬間、長い間、胸につかえていたものがすーっと消える。胸に落ちたと言うやつだ。加茂岩倉の銅鐸については多くの学者がいろんな説を唱えていたが、どれも今一つ納得が行かなかったのだが、「古い文化の埋葬と言う概念」は、まさに衝撃だった。一つのことを考え続けて来た人とはすごいものだなあとしみじみ思わされる。
この時代はまた、ヤマタノオロチの尻尾から鉄剣が出て来る神話が作られるのである。
儂はこれまで古事記は大和朝廷が出雲の神話を簒奪し、統一国家の歴史に組み込んで行ったものだと言う考えからどうしても離れられなかったのだが、東アジアを含めた大きな文化の変遷を受け入れた時、出雲の神話も大和朝廷の神話も変わらざるを得なかったのだと認識を新たにしたのであった。
ヤマタノオロチは古い文化の神(動物神)⇒これがスサノオと言う新しい文化の人格神にとってかわられたのだ。
国譲りは、文化交代の時代に、土着民の代表たるオオクニヌシが高天原の理解者として国を譲ったことを意味する。高天原は葦原の国(土着民)を正しく養う責任があると言う考えに立っていた。これらはみな東アジアの思想を反映したもので、一島国の神話もその文化交代の洗礼を受けたのだ。そう考えると、古事記や日本書紀を支配者に都合がいいように書かれた歴史書であると言う考え方などとても表面的でなものと思わざるを得ない。もちろんそういう一面があったにしても、意識していたのかどうか分からないにしても、新しい時代に生きている人々が作り上げたものが古事記だったのかなと思った。
ここで、印象的だった辰巳先生の言葉を紹介する。
「神話のある国は幸せです。帰ることろがあるのです」
それに続けて、
「中国には神話はありません。儒教の国になったからです。孔子が怪力乱神を語らずと言ったために、漢民族は自らの神話を消してしまったのです」
全部は紹介できないが、示唆に富む、久しぶりに刺激的な講演だったことを報告します。
この先生を前にしては、古市氏の役割はトークショーのショーの部分だけ担当したようなものであった。受けた話を二、三紹介する。
前夜の古市氏の宿は、出雲大社の前の老舗旅館「竹野屋」。ここが竹内まりやの実家とは知らない氏は、何で竹内まりやのポスターが貼ってあるのか分からなくて不思議に思ったと明かしたら、地元の人たちには大いに受けた。
続けて、芥川賞落選ネタ。
芥川賞の選考前に、古市氏は林真理子と対談した。そこで、林真理子が芥川賞選考委員である某作家をこき下ろした。実はその作家と林真理子は仲が悪く、林真理子はその人が大嫌いだったので、「連載エッセーで吉祥寺のパスタが美味しいなんてくだらないことしか書かない」とけちょんけちょんにこき下ろしたのだそうだ。
落選後、古市氏は「林真理子とあんな対談したから落とされたのだ」とからかわれたと話したら、聴衆は爆笑していた。吉祥寺のパスタがうまいと言った作家が誰かは教えてくれなかった。誰なんでしょうね。儂は調べる暇はないし、興味もないけれど、なんとなくあの人かなと思っている作家がいる。
もう一つ、落選ネタ。
「私は落選した後、好感度が上がったんです」
これも受けた。
去年の秋からずっと、興味のある講演があったが聴講どころではなかった。久しぶりにいい刺激を受けた。学問の力はすごい。人間を豊かにしてくれる。

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