曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2019年01月

20日。タミフル5日目。今日の夕食後に服用してタミフル終了。儂はもう2日目ぐらいから快方に向かっていて、午前中の「風土記講義」にも行こうかと思ったぐらいであったが、先生からはタミフルを飲み終わっても、最低2日は外出を止められていたので断腸の思いで休む。無欠席記録が途絶えるのが悔しかったが、やっぱりモラルに反することは出来ない。もっとも出席した所で、いつものように楽しく、知的好奇心旺盛に先生の話を集中して聞いてはいられなかったと思う。
父の治り具合が思わしくなく、気が重く、講義どころではなかったであろうと想像がついたからである。
18日から、がくっと食欲が落ちる。熱は下がり、快方に向かっていると安心したのも一時のことで、夕食にはリンゴのすりおろしを食べさせるので精一杯。
19日も、20日の今日も、食べ物を受け付けないと言う。去年の9月に入院する前の症状と同じ。何とか薬をジュースに溶いたり、エンシュアリキッドに溶いたりして飲ませるのがやっと。
インフルエンザの薬で体調が悪いのか、それとも老衰的に体力が落ちて具合が悪いのか儂らでは判断が付かない。妹が訪問医に聞いてくれと言うので、明朝相談することにする。
体力は落ちて来て、ポータブルトイレに行きたくても、もうベッドから身体を起こすことが出来ないので、気配がしたら助けに行く。歩行器で歩くのもおぼつかない。
紙パンツの中にパットを敷いているのだが、歩行器につかまって立たせている間に穿かせてやり、ズボンも穿かせなければならぬ。
今日も一日中隣のダイニングに居て、親父のトイレ行の度に付き合う。
夜、オムツにするとほっとする。ところが本人はオムツにされたのを忘れて、起きてトイレに行こうとする。オムツをしたのだからトイレには行けないと因果を含めるのも辛いものがあるが、こればかりは我慢してもらうしかない。
本当は昼間もオムツにしたいのだが、そうするとわずかばかり残った歩行能力が消滅しそうで、決断できないところなのである。
妹が親父の気持ちを聞き出したところによると、月に何日かはショートステイに行ってもいい、後はヘルパーさんの世話になると言ったらしい。
施設に入ることは頭にないようだ。死ぬまで家に居たいのであろう。
しかし、父は何も分かっていない。ショートステイに行ったら、寝たきりになってしまうのは確実なことを。ヘルパーさんだって、一日中付き添ってくれるわけではないことを。
儂の知り合いの女性は女手一つで、自宅介護で母親を看取った。この人は若くして御主人を亡くし、子育てをし、父も母も最期まで世話をしたのだ。頭が下がる。
この他にも過酷な介護をしている人の話は幾つも耳にする。儂なんか一日で音を上げて逃げ出したくなるようなことをしている人はこの世に一杯いる。
そういう事例を知っているだけに、現状に弱音を吐いてはいられないと思ってはいる。家に居たいと言う親の気持ちは無下には出来ない。
しかし、今のような生活をこれからずっと続けるのかと言われると…
妻の外泊は出来なくなる。それでもいいのか。親父の面倒は最後まで見たとしても、その頃はお袋が今以上に悪くなっているのは間違いない。
儂にもやりたいことがあるのだけれど、諦めなければならないのか。
なるようにしかならん。兎にも角にも、明日、訪問の先生に相談してからでないと。

16日。儂と助っ人に来た妹と父と母、全員インフルエンザと判定される。

経過はと言うと、儂の鼻水が出始めたのが12日の土曜日。「古文書」の会が終わった4時過ぎでは病院はどこもやっていない。仕方ないので、鼻水に効くという「ストナ」を購入。
翌13日の日曜日は一晩で鼻水はとまったが、熱が出て、つらい。夕方、妹が出雲駅に着くも迎えに行けず、タクシーで来てもらう。食事作りは妹が救ってくれるも、熱は一進一退。
14日も37度台をうろうろしてなかなか平熱に戻らない。生憎連休で医者は休み。「ストナ」を飲み続ける。
15日の朝、医者に行こうと思っていたら、36度台に戻る。普通、これくらいで風邪は治るので、やっと治ったと思いこむ。3日間寝る生活に飽きていたこともあり、「ストナ」もやるなあと意気揚々と外出。ところが、
16日の明け方、38度の熱がぶり返す。治ったと思っていたので、「何じゃ、ストナは」と悪態つくも、さすがに病院へ行かざるを得ない。「昨日行っておけば…」と悔やんでいると、妹も頭が痛いと言う。そこで二人一緒に病院へ行く。混んでいて待たされる。鼻水を検査され、「A型だよ」「えっ、僕インフルエンザの予防注射をしましたよ」「予防注射してもインフルエンザにはなるけん」あっさり言われて、「タミフル」5日分と葛根湯を14日分出してもらう。
妹に「お兄ちゃんにインフルエンザをうつされた」とぶつぶつ言われ、肩身の狭い思いをして帰宅したら、父が37度5分熱があると言う。丁度その日は父母の訪問医の診察日。先生検査して「A型ですね」。母だけ一人平熱だが、先生は「インフルエンザに罹っていると考えて薬を出しておきましょう」
3人完全インフルエンザ、1人隠れインフルエンザとなった次第。
土日月の三連休が今になって恨めしい。もっと早く病院へ行っていれば。全く無駄な三日間だった。「ストナ」を武器にインフルエンザ相手に勝てるはずのない戦いをしていたのだから。
妹が傷口に塩を塗るように「お兄ちゃんが家族全員をインフルエンザにした」と恨むも、じっと耐えるしかない儂であった。
ところが、よくよく話を聞いてみると、父は何日も前から鼻水が出てたと言う。咳もしていたと言う。

親父がデイサービスで貰って来たのではないかと、親父犯人説を唱えるも妹は今更どっちでもいいそうな。妹は予防注射を受けていない。儂ら3人は受けている。受けていない妹は儂らよりちょっと重そう。気の毒だがこればかりは今更どうしようもない。
妹と分担して、家事は妹、買い物は儂。親父の世話も儂が中心にやる。
ところが、16、17日と父の体力が失せる。熱はさほどでもないのだが、インフルのせいか身体に力が入らず、昨日まで歩行器に捉まって歩けたのに、16日からはベッドから立ち上がることが出来ない。すぐ目の前のポータブルトイレまでも歩行器で行けない。ポータブルにうまく座れず、腰砕けでしりもちをつく始末。ベッドにたどり着いてもベッドに寝ることが出来ない。トイレの往復にはいつもそばについて支えていないといけなくなる。しかも頻尿で、ベッドに戻った途端、Uターンしてトイレに行く。ほんと勘弁してほしい。
16日の夜は、何度も起きて、部屋を見に行く。深夜2時、トイレの前で尻もちをついている。起こして寝かせる。
17日の朝7時過ぎに妹が見に行ったら、ベッドに横たわっているが、下半身はベッドから落ちたままの姿でいたと言う。
妹と協議して、17日の夜からはオムツにする。オムツだと自分で脱いだりつけたりできないから、もうトイレには行くなと引導を渡す。そうしないと夜中まで父のトイレの手伝いにはとても付き合えない。一日中オムツだと寝たきりになるので、日中は紙パンツで夜だけオムツとする。
17日の夜は2時過ぎにパット交換をする。
オムツのお陰で、ベッドやトイレが汚れたりすることはなくなったが、18日には父の具合が夕方から急速に悪くなる。儂は「タミフル」5日分だが、父の訪問医は「ゾフルーザ」と言う新薬を出してくれる。一回飲めばいいだけの優れものだと思ったのだが、3日目になって副作用的なものが出て来たのか完全に食欲をなくしてしまう。何やらうわ言も続く。それでもほかの薬を飲ませるためには、何かを食べさせないといけない。妹とあれこれ試み、やっとリンゴのすりおろしを食べさせる。
この日も下着上下を汚してしまう。夜の8時だったけど、もうたまらんとオムツにする。
オムツをしながら考える。長い間、妻のオムツをして来たが、とうとう父のオムツをする日が来るとは。今は妹がいるからいいが、妹が帰り、もう一人の妹が来るまでは一人でやらないといけない。考えただけで目が回りそう。
儂にとって最大の問題は、これでは妻の外泊が出来なくなることである。外泊だけはさせてやりたいのに。それが儂の夫としての最低限の務めだと思っていたのに…
他にやりたいことも一杯ある。全部諦めるしかないのか。父も来月97歳。先は長くないのだから、すべてを投げ打って、介護に専念するべきか。
息子にオムツの世話をされて「すまん」と言うが、本当はどう考えているのか。インフルエンザが治った時点で話し合わないといけないだろう。

ついにと言うか、やっとと言うか、スマホに買い替えた。一生ガラケーのつもりでいたが、実はスマホへの憧れもあった。儂はポケットwifiはe-mobileを使っていたのだがe-mobileの所有者に、1月10日までにymobileのスマホを買ったら1000円割引の案内が来たので、それにつられて、というかきっかけで、5日にショップへ行った。
実際に購入して分かったことなのだが、1000円の割引なんてゴミみたいなものであった。急いて買い替えに行くほどのことでもなかったのだが、儂にしてみれば何か背中を押してくれるきっかけが欲しかったのである。
ショップへ行くと、店員、儂の顔を見るや、
「簡単スマホですね、60歳以上の」
確かにそうだけど、のっけから決めつけられて余り愉快ではなかった。
その後の展開も。
店員はピンクのスマホを持って来て、
「簡単スマホはピンクとブルーの二種類しかなくて、今はブルーが切れていて、まだいつ入荷するか分からないんですけど、これでもいいですか」
これにしなさいと言わんばかりの口調。
おいおい、儂だってピンクはなあ~、ブルーがいいんだけれどと言うも、ないものはしょうがない。いつ入るか分からないのを待って、また出直すのはもっと億劫だ。
今日買い換えようと決めて来たのだから、もう買ってしまおう。
ピンクと言っても、キラキラのピンクではない。婆さんが持つのに似合ったくすんだ色のピンクである。
ケースに入れてしまえば何色かわかりゃしない。
このへんのこだわりのなさと言うか、いい加減と言うか、適当なところが、儂のいいところでもあり、致命的な欠点でもある。色で電話をする訳じゃなし、つながればいいやと太っ腹なところを見せて即購入。ドコモのガラケーからの乗り換えである。
店員もにっこり、愛想のいいこと。
今回のスマホ買い替えの一番の目的は、スマホをポケットwifiのe-mobileの代わりにすることであった。そうすればe-mobileを解約できる。
早速、スマホといつも持ち歩いているパソコンのつなぎ方を教わって帰宅する。
自宅のネット環境はフレッツ光の無線ランである。市内の外れなので、e-mobileはつながらないのだ。
翌日6日、今日からe-mobileの代わりにスマホを使うぞと出かけるも、喫茶店でいくらパソコンをいじってもインターネットができない。たしかスマホでつなぐと705kcという表示が出るはずなのに、いくらいじくっても705kcが出て来ない。
ショップへ行くと、店員、あきれ顔。
「いくらパソコンをいじっても駄目ですよ。スマホを操作しないと」
「えっ、そうなの」
「要するにスマホがルーターの役目をするわけですから」
そこでハタと気が付く。e-mobileもスイッチを入れなければパソコンにはつながらなかったことを。
儂はスマホの場合は昨日店員がつないでくれた時点で、なぜかそれからはスマホのスイッチを入れたら、パソコンとも自動的につながると思い込んでいたのだ。
でも、恥ずかしいからそんなことは告白できない。
また店員にスマホをいじって貰って店を出る。
そして、翌7日、喫茶店でパソを開く。昨日教わった通りにスマホを操作するのだが、いくらいじってもパソコンに705kcが出てくれない。
ため息つきながら、ショップへ。
店員、苦笑いして、またスマホをいじってくれる。
「わかった、わかった、もうわかった。すまんね、もうわかった」
逃げるように店を出た。
そして、8日。悪夢は繰り返した。儂はちっともわかっていなかったのだ。
ショップへ行く。店員、儂の顔を見るなり、
「4回目ですよ」
「そうなんだ。あんな簡単なこと、わかったわかったと思って、いい加減にしか見てなかったんだよ。わざわざ覚えるほどのこともなく、ちょいちょいとできるものと思い込んでいてねえ」
「しっかりメモしてくださいね」
店員の目の前で、設定⇒その他⇒wifiなんちゃらインターネット⇒テザリングなんちゃら、と、しっかりメモをした。
おかげさまで、9日からはいっぱしの顔をしてパソを叩いている。パソの横には60歳以上御用達簡単スマホ。黒いケースの中身はピンク。
この黒いケースには不満があるので追記する。
大型店で探したのだが、簡単スマホは大きさが違うので、普通のスマホのケースは使えないことが分かる。連れて行かれたところが売り場の片隅。申し訳ないくらい狭いコーナーにほんの数えるほどのケースしかない。模様のあるケースなんてない。黒しか選べなかったのだ。ケースぐらいかっこいいのを買おうと思っていたのに。これが高齢者への世間の仕打ちなのだと実感。
「2年後をみちょれ。簡単スマホでスキルアップして、最新鋭機を買っちゃるけん」

今はスマホの万歩計にはまっている。
夜の散歩が約3500歩である。これを入れて、一日7000歩に行くか行かないかが儂の歩行数である。少ない日は散歩を入れても約6000歩である。歩いていないことを実感する。散歩を始めるまでは如何に歩いていなかったか、ぞっとした。
次の段階は、写真を撮って、ブログにアップすることだ。面倒くさくなければいいのだが……。

今日、妻の外泊が終わり、特養に送る。娘夫婦は2日にサンライズ出雲で帰京したので、やっと日常に戻る。出雲特有の天候の急変はあったが、おおむねいい天気であった。

8年ぶりの初詣。
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昔でいうところの村の荒神様。1日に娘夫婦が温泉に行っている間に、娘たちが連れて来たワンコを連れて近くを散歩する。立ち寄ったついでにお参りして、帰郷してから初めて初詣をしたことに気が付く。これまで出雲大社に初詣に行けなかった。今年も出かけようと言う気持ちすら起きなかった。荒神様も悪くない。お手軽でいい。そういえば、この秋の祭りの担当は我が地区である。儂は今年は町内委員が回って来た。お祭りでは何か役があるのだろうか。そんなことも知らない。

散歩初め。
去年の9月23日から夕食後30分強の散歩を始めた。脂肪肝を指摘され、運動した方がいいと言われたからである。去年は風邪を引いて5日休んだ他は、用があって3日休んだだけであった。台風の日も歩いた。年末年始はさすがに忙しくて5日間休み、今日から歩き始めたという訳。
始めた当初は2、3週間で飽きるだろうと思っていたら、何と食事を終えると身体が散歩を要求するではないか。足が玄関に向かう。思うに散歩中毒に罹ったような状態と言うべきか。テンションが上がって、アドレナリンが出まくっているような気がするのである。何十年、ゴルフもやらず、スポーツと名の付くものは何もして来なかったので、肉体が欲求していたとしか思えない。
川沿いの道を「夫婦橋」まで往復30分から始めて、その先の「かじやまえ橋」往復が35分。やがて、さらにその先の「あらかや大橋」往復が、同じく35分で歩けるようになった。今や一番遠い「あらかや大橋」往復コースで、早い時で34分、遅い時で36分。歩いていて、今日は34分か、35分か、36分か、だいたいわかるようになった。34分の理由も分かっている。たいていその日は冷たい西風が吹いている。寒いから早く帰りたくなり、足が速くなるのだ。これから寒くなる。1月2月を乗り越えることができたらいいのだが。こんな時間に冷たい川沿いを散歩している酔狂な男は儂しかいない。だからこそ頑張る。人がやらないことにはやたらファイトが湧く。^^)

妻の特養暮らしは安定したので、外泊と顔出しはルーティーン化した。
問題は母である。父は奇跡の復活(?)を遂げた。
昨秋、脱水で入院し、帰宅して入浴後倒れて意識を失った時は、いよいよダメかと思ったが、その後、杖をやめて、歩行器に変えたところ、歩行器につかまって歩くようになってから、足腰がしっかりして来た。歩行器が二足歩行の練習になったのである。今では歩行器につかまることを忘れて、短い距離なら歩くことも出来る。
実はこの1月に介護認定の見直しをしてもらう予定でいた。昨秋の悪い時の状態だったら、要介護3ぐらいではないかと(素人考えで)思ったのだが、今の様子では要介護2にもならないだろう。見直しは急遽中止にする。今年一年何とか要介護1で過ごして欲しい。97歳で要介護1なら、お国にも迷惑はかけていないだろう。瀬戸内寂聴には負けているが。
問題は母だ。朝食後のテーブルに朝と昼(デイサービスに持って行く分)の薬を出して置いたら、何のためらいもなく昼食後の薬を飲んでしまう。一包化してあり、大きな字で朝食後、昼食後と書いてあるのに。
その数日後、今度は朝食後の薬を飲んだばかりなのに、デイサービスに持って行く薬をあっという間に飲んでしまう。
思わず「何してんだ」と叫ぶも、後の祭り。その母が迎えが来て出かける時に
「お昼の薬ちょうだい」と言ったので、「そんなもん飲まんでもいい」と怒鳴る。
今年は91歳になる。これも要介護1である。人生いろいろ、要介護1もいろいろ。

儂はと言えば、暮れの集金会で2019年の隣保の町内委員が回って来た。順番だから断る訳には行かない。ましてやこれまで妻の介護があって色々な役を免除してもらっていたから。この上には自治委員がいて、二人が正副で隣保を切り盛りする。その次の年は順繰りに儂は自治委員に昇格する。要するに二年間は大役を仰せつかるのだ。
今から頭が痛い。
それでも、書くことは頭が大丈夫な間は続ける。今年は電子書籍が出せればいいなと思っている。数年ぶりに多胡辰敬の小説に戻り、2年かければ完成させられるのではないかと思っている。
なにやかにやと忙しい方が性に合っている。そういう星の下に生まれたのであろう。畑もある。月半ばには玉ねぎに肥料をやらないと。

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