曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2018年10月

10月24日(水)は、こんなに天気がいいのは今日で最後ではないかと思われるほどの好天。特養へ行く。マッサージしてから、昼ご飯の前に散歩に出る。
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今年の柿(特に富有柿)は出来が悪いように思う。隣家の柿もひどく出来が悪い。
奥さんに聞いたら、柿は裏表があるから、去年豊作だったから、今年は悪いのだと言っていた。儂は猛暑のせいだと思っていた。柿農家は裏表があっても肥料管理などきちんとやってちゃんと作るんだそうだ。そんなものか。天候の影響はどの程度あるや否や、よくわからん。
右は道端の花。散歩の初老の夫婦と出会う。「こんにちわ」と向こうから挨拶してくれる。奥さんが赤い花の種を採っているので、花の名を聞くが、奥さんも知らない。
奇麗だから庭に蒔くと言っていた。こう言う夫婦を見ていると本当に羨ましい。
特養の広い駐車場に戻ると、儂の妻も言ってくれた。
「人がうらやましがるくらい車椅子を押して」と。
ビュ~ンと押してやった。
イメージ 310月27日(土)は特養のお祭り。
10時半開始なので、10時に行き、マッサージしてやってから会場へ。早いもので入所2回目のお祭り。小学校の金管演奏は毎年同じ。ポンポンを振って踊ってくれた。
「小学校時代を思い出して懐かしい、〇〇先生、私がお婆さんになったから驚くだろうなあ」と、言っていた。
その後は、民謡。安来節や関の五本松など。もちろんドジョウすくいがあって、銭太鼓もある。
その後、お昼は一緒に食べるも、途中で抜けて、儂は12時半からバザーのお手伝いに行く。お手伝いは去年と同じ、買い物の袋詰め。値付けが安いし、有線放送などで宣伝もするので、結構お客さんが来る。普段は週二回特養に顔を出し、畑で3、4人の顔なじみと話をするくらいの変わり映えのない暮らしをしているので、たまにお店屋さんごっこみたいなことをするのも楽しいものである。

久し振りの語録

「お父さんが熊本弁使うのすごくいや。ママちゃんと一緒に居るみたいで」

2006.8.5

「起こして」

「待ってて、すぐやるから」

「いやだ。いつも待ってて。言った時にして、いつもがまんしてるんだから」

2006.8.8

「左手が折れてるから抱えてあげられないの、モモちゃん(犬)」

2006.8.9

「まだ寝ないの」と、訊くと、

「家へ帰るの」

「ここが家だよ」

「本当の家に帰るの。連れてってくれるんでしょ」

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夜、オムツ交換に行ったら
「お迎えに来てくれたの」
オムツを換えていたら
「こんなところを見たら、人は何というだろうね」
2006.8.12
「私が死んだら、お父さん、焼かないでね。私なんかいつ死ぬかもしれないと思っていたから。墓守に生まれて来たんだなあと思う。出雲の」
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TVを見ていて、(俺の作品ではない)
「お父さんの作品すごくいい。泣ける。ありがとう、こういうのを書いてくれて」

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「帰ろう、お父さん」

「ここがお母さんの家だよ」
「どこがどこだかわからなくなっちゃったよ」
2006.8.13
「お父さん、寝ているところを見るといい男よ。朝日が出る前の、まだ暗いところで横に寝ているの見たら、いい男よ。みんな、そう言わない?ほかの女が声をかけない?」
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「アンドーナツ買って来て。モモちゃん、お願いってこうやってやるんだよ。お願いしたよ」
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夜、寝せつける時
「起きるの。早くおいしいカレーを食べさせろ。カッチン姉ちゃんに言いつけるぞ」
2006.8.14
「明日からお正月だから、煮しめだよ」
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オムツ交換いやがるのを
「ちょっとで終わるから」
「ちょっとじゃないよ。あっち向けたり、こっち向いたり、大変なんだから。処理するの大変なくらいおしっこ流してやるから」
2006.8.15
ショートステイのスタッフを見て

「かっちん姉ちゃんも年取ったねえ」

2006.8.23

ショートステイから戻った翌朝、「お帰りなさい」と声をかけると

「母と海外旅行に行ってきたの。NYに言って来たの。親孝行して来たの。お正月料理ばかりであきちゃった」

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「しびれはありますか」と訊くと

「痺れのある時は自分でさすります。あとアンパンを食べると治ります」

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「車椅子に乗せて下に連れてって、赤ちゃんみたいに」

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パット交換の時

「お風呂屋さんで、お母さん、横向いてとかやらないでよ。みんな、見てるんだから。衆人監視のもとで。曽田さん、幸せねえとか言われるけど、幸せなんだか……」

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「私は小さい時から預けられたでしょ。だから子供は絶対預けないと思った。朝早くから別れて、ご飯も一緒に食べられないし、どれだけずっと待ってたか」

2006.8.24

「ここは府中のライオンズマンションじゃないよ」

「なんでそんなこと言うんだ。ばかたれ」

(注:昔住んでいたマンション)

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ヘリの音がして

「〇〇兄ちゃん(従弟)じゃない。ヘリコプターで帰って来るんでは。そこの中学校へ」

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唐突に

「あっ、今〇〇さん(従妹)、出発、今日の11時頃着く」

2006.8.25

様子を見に覗いたら

「あなた、私の夫でしょ?様子見に来たの?やきもちやいて見に来たの?」

2006.8.26

「あっ、くすり(飲ませるのを)、忘れてた」

「発作起きたら、お前のせいだぞ」

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「私が死んだら、ああやって、親子三人拝んでよ」

(TVを見て)

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「私の夢はね、お父さんの背中を流してあげること」

2006.8.27

ひょいと顔を見て、

「あら、お父さんだったの。何でここにいるの」

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薬を飲ませたら

「優しいのねえ、今年初めて優しくしてもらった」

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ベッドに移乗させると

「優しいねえ。こんなに優しくしてくれたら、ママちゃんも、ミーコおばちゃんも安心して帰るよ」

2006.8.31

「私ね、お金貯めて、〇〇ちゃん(娘)にもっといいピアノを買ってあげたい」


イメージ 110月6日の大根畑。
台風25号が接近中。今度は日本海を通るので、被害を覚悟していたが、朝鮮半島寄りにコースを取ったので、今回もまた出雲地方は大きな被害なし。
お昼に特養に顔出しして、一緒に妻と飯を食い、施設を出たらかなり激しい風が吹き出す。
一本立てにした大根の苗が、その前の24号の風で少しダメージを受けていたので、これはヤバイかもと家に戻り、強風の中、不織布をべた掛けにする。夜になって雨風強くなるが、暴風雨には遠く及ばず。
お陰で何とか大根の苗は守れた。



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左は10月8日。出雲大学駅伝。イオンの3階から写す。帰郷して7年になるが、これまでは忙しくて見ることが出来なかった。今年、初めて見た、と言ってもあっという間に通過。
右は10月19日の畑。
まだ豆類と玉ねぎが残っているが、ほぼ植え終わる。やっと一段落してほっとしたところである。こうやって見ると、忙しいのによくやったなあと思う。
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イメージ 510月20日。
左は春菊とサラダ蕪。ぐんぐん成長。春菊のお陰か、蕪に虫が来ない。
その向こうに見えるのがレタス。これも勢いよく育ち、一度に出来るから、どうやって処理しようか思案している。
その向こうの鈴なりブロッコリーとカリフラワーはいつのことやら。
右の黒マルチには、去年出来、乾燥保存していたわけぎの球根を植える。最後は引っこ抜いて、酢味噌和えにして食う。とても美味かったので、今年は大量に植える。手前の穴には晩生の玉ねぎを100個植える予定。わけぎの向こうには50個穴が空いていて、そこには早生の玉ねぎを植える予定。
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左の畝は奥から、日本ほうれん草とサラダほうれん草の種を播き、もみ殻を被せた。
二番目の三列には人参黒田五寸の種を播き、同じくもみ殻を被せる。
人参はちゃんとした農家は8月から播く。遅いからどうなるか分からないけれど、畝が余ったから播いてみた。多分駄目だろう。
三番目の三列は小松菜を播いた。
儂は小松菜の料理はうといので、作る気がなかったのだけど、これも畝が余ったので播いた。
その手前に五つ植わっているのが、サニーレタスの小さな苗。売れ残りがあったので買った。
大きく広がる空き地は、11月も遅くなってから、つるなしのスナックエンドウとつるなしの赤花えんどうの種を播く予定。
右の畝がイチゴ。畝が長いので、何と52株も植えた。(去年は33株)。自家取りの苗が半分以上。不足分は近所で分けてもらい、畑に取りに行った。今年は苗代ただで作るつもりだったが、大小不揃いで、見栄えも悪く、迷っていたところ、ホームセンターの「なんば」で偶然、宝交を税込み100円で売っているのを見つける。100円ですよ。100円。一番安い宝交早生は普通は150円前後で売っているから、100円なら買おうと6個買う。植えてみたら、100円でも自家取りよりいかにも見栄えが良い。まだ10個ほど穴が残っていたので、追加を買いに行く。宝交は品切れで、宝交早生があったので100円で10個買って植える。自家取りと安物の苗でどんなイチゴができるか、楽しみでもあり不安でもある。
イメージ 810月20日
大根も垂直栽培した。これを始めると、畑先生を初め、みな、「また垂直栽培か」と、にやにやして見ている。目にものをみせてくれん。そのためには実証しなければならない。垂直に縛る大根と今まで通りに普通に作る大根を比較することにした。
中央の八株がこれまで通りに作る大根である。左側がおでん大根の垂直と普通に作る四株。右がおろし大根の普通に作る四株と垂直。垂直栽培に頑張ってもらわないと、笑いものになってしまう。

JAC(ジャック)とは、JAPAN ACTION CLUBのことである。
何十年も昔に、俳優の千葉真一が設立したアクション俳優の養成所であるが、今の若い人は千葉真一と言っても、名前ぐらいは知っていても映画やTVは見たこともない人が多いいのではなかろうか。新田真剣佑(マッケンユウ)のお父さんと言えば、若い人は分かるだろうが、逆に年寄りは「何じゃ、それ」であろう。
なぜ急にJACのことを書いたのかと言うと、先にご案内した『ごごあめプロュースのクライマガコのための遁走曲』の出演者の大政明日香さんが元JACと作演出の吉永亜矢さんから教えられたからである。JAC出身者は大勢いるので珍しくもなんともないのだが、実は意外なところで明日香さんと縁があることが分かったのである。
儂は昔戦隊シリーズという特撮番組の脚本を書きも書いたり、10年間も書いた。そのシリーズの終わりごろに、『高速戦隊ターボレンジャー』なるものを書いた。
その登場キャラクターの中に『妖精シーロン』という可愛い女の子を登場させた。5、6歳くらいの外人の女の子が演じたような記憶がある。
その当時から、ヒーローショーが日本中で演じられていた。そのヒーローショーの聖地と言えば後楽園である。もちろんヒーローのスーツに入って演じるのはJACである。その後楽園で『ターボレンジャーショー』を公演していた時、何と明日香さんは『妖精シーロン』を演じていたと言うのだ。
何年前のことだとは言うまい。
儂はJACにいたと言うだけで無性に応援したくなったのである。
JACに入っても、誰もがアクションスターになれるわけではない。そのほとんどがスタントマンとなる。主役の身代わりで危険なアクションをこなす。変身物ではヒーローのスーツを着てアクションをする。ヒーローの代りならまだいい。ぞろぞろ出て来る悪の兵隊役などになったら大変だ。冬でも海に飛び込まなければならない。
儂はそういう番組に関わっているうちに、いつしか彼らが好きになっていた。実際彼らは皆いい連中だった。子供番組と言うのは、アクションだけではない。造形屋さんに行けば、シンナーの臭いの中で怪獣作りに夢中の若者がいたし、特撮にも模型を作るのに必死の若者がいた。ピアノ線で吊ったメカを目の色を変えて操っていた。
その若者たちの上にはベテランと言われる大人たちがいた。プロフェッショナルである。彼らもまた若者たち以上に真剣に子供番組に取り組んでいた。真剣に取り組むことが若者たちを育てることであり、将来は後継者になってくれることを願っていたのだ。儂が大好きな『徒弟奉公』の世界があった。厳しい上下がありながら、限りない愛情を降り注ぐ世界。儂は今でも人を育てる基本は『徒弟奉公』だと思っている。
だから、師匠を持たない人を信じない。
JACは養成所だが、危険を伴う世界だから、普通の学校とは違う。師匠は絶対である。その代わり師匠も命がけで教える。明日香さんも女でありながら、そういう世界で育ったのだと思う。だから好きだし。(会ったことないけれど)。だから信じるし、応援するのだ。どうか、皆さんも、時間が許すなら、観て下さい。もう一度宣伝しますね。
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昔『ターボレンジャー』を書いていた時、後楽園でショーをやっていた方のことは全然知らなかった。それが、今になってこんなかたちで巡り合うとは、これだから人生は面白い。今回は観に行けないけれど、いつか必ず観に行きます。

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左は前回の台風24号が来る前の写真。去年は白い曼殊沙華が3本咲いたが、今年は5本咲いた。何年も3本しか咲かなかったので、増えて嬉しい。この調子で増えて欲しいのだが、白い曼殊沙華は赤ほどは増えないようだ。
向こうは池。ホテイアオイがここはアマゾンかと言うほど生い茂っている。

右のへたくそな絵は「イチゴの苗の正しい取り方」
親からランナーが伸びると、次々と子供の苗が出来る。それを太郎次郎三郎と名付ける。一番最初に出来る太郎は親の悪いウィルスを受け継ぐそうなので、これは取らない。次の次郎、三郎からポットに受けて苗を育てる。大きくなったら秋になって植え付ける。こうすれば苗代ただでイチゴが出来る。
儂もそうするつもりだったが、暑くて畑に出るのが嫌になった。みるみる雑草が伸び、イチゴも枯れたので諦めたのだが、どっこい何株かしぶとく生きている苗があり、ランナーも伸びて出来の悪い子供を作っている。それが9月28日の下の写真。
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正しい苗の取り方ではないが、適当にスコップで掘り起こし、ポットに移し替えた。
果たしてこんなやり方で取った苗がうまくイチゴをつけるかどうか分からないが、何十本も苗を買うと金がかかってしょうがないので試してみる予定でいる。
農作業は後に残すとどんどんたまるので、台風が来る前にばたばたとやってしまう。
イメージ 510月1日のレタス。
台風24号はまた出雲には雨だけ降らせて和歌山の方へ行ってしまった。ところが、北海道まで行ったのに、やけに吹き返しの風が強く、数日前に植えたばかりのレタスの苗が2本ほど千切れたり、なぎ倒されたりした。



イメージ 6イメージ 7左は大根。10月3日に間引いて一本立てにした。畑先生に次の台風25号が行ってから一本立てにすればよかったのにと言われたが、抜いた後に言われてもなあ。
右の写真は左から、春菊・サラダ蕪・春菊・サラダ蕪と4列に種を蒔いた。
なぜこんな蒔き方をしたかと言うと、春菊と蕪はコンパニオン・プランツと言って、とても相性がいいのだそうだ。
春菊の匂いで、蕪に来る害虫を防ぎ、大きくなった春菊は蕪の風よけにもなるのだそうだ。勿論、農業雑誌の受け売り。これまでは広い畝に蕪だけ植えていたのだが、空いた場所に春菊を植えても問題がないのだから効率的に畑を使うことも出来るわけだ。
イメージ 810月4日に植えた、鈴なりブロッコリーパープルとカリフラワーの苗。4本ずつ。ブロッコリーとカリフラワーもコンパニオン・プランツ。ブロッコリーの間にカリフラワーを植えると、ブロッコリーの害虫が迷ってしまい、ブロッコリーに寄り付かなくなると言う嘘みたいな話。ブロッコリーの間にカリフラワーを密植しても問題ないのだからこれまた結構な話である。
台風25号が来る。これまでの台風は逆行台風以外はことごとく出雲を避けて、出雲の右側を通過して行った。だが、今度と言う今度は日本海を通りそう。出雲の左側を通過して行く。皆、口々に今度はこれまでのようには行かないと言う。そこで、はやばやとブロッコリーに支柱をする。大きい支柱をしたのがブロッコリー。苗が風に振り回されないように紐で8の字結びしておく。カリフラワーには小さい支柱をする。
台風が過ぎてから植えれば支柱もまだしなくていいのだが、来週には早くも妻が外泊で戻って来る。退院した父の弱りぐあいが著しくとてつもなく手間がかかるようになった。風呂でも溺れかけるし。やれる時にやっておかないと、秋は農事の予定がびっしり。大根もレタスもブロッコリー達も天に任せるしかない。畑だけでも順調に行ってもらいたいものだ。

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