.入院していた父の従弟が先週の土曜日に亡くなる。数えで92歳。父はもうお通夜にも葬儀にも出られないので、お別れだけしたいと言う。実の兄弟のように育ったのだそうだ。父を連れて弔問に行ったのが月曜日の午前中。翌火曜日がお通夜。水曜日が葬儀。儂は父の代理で母を伴って参列。お通夜の後、親戚が二家族四人が泊まりに来る。母がもう何の役にも立たないので、布団や敷布や枕、枕カバーなど全部儂が用意しなければならない。ところがきちんと整理してないから、枕も枕カバーもシーツも布団もあっちの押し入れ、こっちの押し入れと探し回らねばならず大汗をかく。
葬儀の日も9時までに葬祭会館に行かねばならないのでゆっくりはしていられない。
朝食の準備も母には任せられないから、前日にクロワッサンや塩パン、果物、ヨーグルト、シリアルなど買い揃え、儂が早起きして用意。前夜に作ったミニトマトのシロップも出す。
今は葬儀の終わった後、初七日法要もする。そして、夕方、納骨をすませ、直会をして帰宅したのは夜。
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翌木曜日は特養に顔を出す。
本当は休みたかったが、週二回は必ず行くことに決めている。自分で決めたことを破るのは嫌なので、こう言うことは何があってもやることにしているのだ。
この日も暑かった。
散歩もかえって健康に悪い。木陰を探してその下で少し涼む?吹くのは生温い風。
そして、ようやく金曜日。やっと自分の時間が持てると思っていたら、朝、父が儂を起こしに来る。「腰が痛いと言っているから朝飯を作ってくれ」父はデイサービスに出かけるのだ。
母の様子を見に行ったら、仰向けで「痛い、痛い」と尋常ではない。
父に朝食を大急ぎで作って、母の具合をみるにとても起きられないと言う。
訪問医にTELして対処を問う。救急車で運ぶと救急扱いになるので、きちんと診て貰うなら整形に行った方が良いと言う。紹介状はFAXで病院に送ってくれると言う。
救急車はやめて、ストレッチャーで運んでくれるところを当たるも、どこも全部予約で埋まっている。一時間ぐらいあちこち電話していたら、少し痛みが和らいだと言う。歩けそうなので県立中央病院に連れて行く。覚悟していたがしっかり待たされる。初診担当の医師だから、患者が多く、時間もかかるのだ。その上、母は記憶があやふやの上、要領を得ない受け答えをするからいちいち補足説明しないといけない。
結局、レントゲンの結果、腰椎に老化は認められるところはあるが、骨折はないとのよし。ただし、日を改めてMRIをとりましょうと言うことになった時、問題発覚。
背骨の裏に寄生虫みたいなゴミみたいな小さな細いものが一杯ある。ハリである。
「ハリや入れ墨はMRIとれないぞ。撮れるかどうかほかの先生にも聞いて調べておくよ」
と、言うことで、痛み止めとコルセットをしてもらって帰宅。
そして、今日4日、土曜日。この日だけを楽しみにしていた。これがあるので暑くて大変な一週間を乗り切れたようなものである。それが……
出雲古代歴史博物館の『古墳は語る 古代出雲誕生』関連講座
『継体・欽明期の王権と出雲』国立歴史民俗博物館 仁藤敦史
継体天皇は古代史を勉強する者にとっては一番謎で、その名を聞いただけでわくわくする。その天皇期と出雲の関係が語られるのだから絶対に聞き逃す訳には行かない。
この日をどれだけ楽しみにしていたことか。勇躍30分前に乗り込むも、ガーンとショックを受ける。申込制だったのである。うっかり申し込むのを忘れていたのだ。
「ものすごい人気でもう満員なんです。朝からお断りしているのです」
係は非情なことを言う。こんなに人気なのは滅多にないことだと言う。泣きたくなった。こんなに楽しみにしていたのに。だが係はキャンセルがあれば入れてあげると言う。30分、祈るような気持ちで待つ。結局、かなりキャンセルがあって入れる。
(キャンセルするなら申し込むなよ)むかっ腹が立つ。
儂の隣の爺さんなんか、居眠りしてて椅子から転げ落ちそうになったぞ。
(あんたも申し込むなよ)と毒づいていた。そう言いたくなるぐらい、ためになる講演だった。
古代出雲は東西二つに分かれ独自の文化圏を持ち、国造が東西に一人ずついてもおかしくないほどだったのに、西を支配していた出雲臣は神門臣となって地位が低下し、東の出雲臣が出雲の国造となる。
それはまた地方の「国主」が「国造」として中央に組み込まれて行く過程に重なる。
「大国主(オオクニヌシ)」はこの「国主」を意味していると考えたら、国譲りや国引きも分かりやすい。
それが、なぜ出雲でなければならないかと言うと、遠くは弥生時代からの記憶があったようだし、伊勢に対する地理的関係、日が昇る国伊勢に対する、日が沈む国出雲の対比など(これは新しい意見ではないが)があった。
国家体制が継体・欽明期にそれまでの朝鮮進出から、内向きになって行くことと神話が歩調を合わせていることが説明される。ここには仏教の伝来も加わりおおきな影響を与える。
大雑把に言えばこんなところだが、出雲には神話を含めて豊富な歴史が残されている。それが全国とどう連動しているかを研究する手法もあるということを教えられる。
忙しくて暑い一週間の週末は御褒美の一日になったのであった。