6月5日から6月7日の予定で「大和路の出雲を訪ねる旅」に出かける。
毎月の『風土記談義』を行っている『NPO法人出雲学研究所』が主催する旅で、参加者は『風土記談義』の受講者。バス一台を仕立てて行く。去年初めて「四国の忌部氏を訪ねる旅」に参加して楽しかったので、今年も参加する。
年に一度の自分への御褒美旅と決めて、楽しみにしていた。
5日
7:00荒神谷博物館出発⇒7:40松江駅南口⇒山陰道・米子道・中国道・近畿道・南阪奈道⇒御所市(昼食)⇒13:30鴨都波(かもつば)神社⇒14:15葛城一言主(ひとことぬし)神社⇒15:00高鴨神社⇒16:00吉野町・大名持(おおなもち)神社⇒17:00橿原市(泊)
6日
8:30ホテル出発⇒8:40橿原神宮⇒10:00飛鳥坐(あすかにいます)神社⇒
11:00談山神社⇒多武峰観光ホテル(昼食)⇒13:30三輪明神 大神神社⇒
15:30奈良市西ノ京 薬師寺⇒17:15奈良市(泊)
7日
8:30ホテル出発⇒8:40東大寺⇒10:55奈良国立博物館⇒昼食後帰路につく⇒
19:35松江駅南口⇒20:15荒神谷博物館着

神賀詞(かんよごと・出雲国造が代替わりする時、上京して奏上する)では、出雲の神々が天皇の御世を祝い、オホナモチ(オオクニヌシ)の魂(分身)とオホナモチの三人の子が皇尊を守ると誓う。その四柱に関連する地を中心に大和路の神社を巡る旅である。
去年の四国ツアーは初めてだったので、何も分からず、物見遊山になってしまった。
イメージ 1下調べしておけばよかったと悔やんだが後の祭りであった。
有意義なツアーにするために、去年の二の舞にならないよう準備し、資料も揃える。

👈奈良の地図

下が葛城市、御所市、明日香村
右下が吉野町
右上が奈良市
今回はこの地図の南半分が主な探訪地になる。

『風土記談義』で配られた資料をコピーして読みなおし、神社についてはネットで検索して、これもプリントアウトする。
奈良は中学生の時、修学旅行で行ったっきり、一度も訪れていない。その後、高松塚古墳などの新発見があったが、古代史に関心はあっても、仕事をしている時は忙しく、訪ねる余裕もなかった。ツアーのお陰で普通ではできない旅が出来ることが嬉しい。

そうは言っても、自分だけ楽しむわけには行かないので、
30(水)、2(土)と、「特養」に顔を出し、明日の4(月)も顔を出す予定。まるで罪滅ぼしみたいだが、やるだけのことをやっておかないと気持ちよく出かけることが出来ない。
丸三日留守にするので、両親の昼と夜の食事をある程度用意する他、畑も世話をしておかねばならない。トマトを支柱に結んだり、脇芽を取っておきたい。出来たら、玉ねぎやワケギも抜いて干しておきたいところだが、明日の午後から全部出来るかどうか。
心配なのは天気。予報では雨ではないか。雨の中、山の中の神社を巡ること想像したら少しブルーになる。

ところで、先日の謎の田圃の件、早速教えてくれる人が出現。
イメージ 2実は鉄分を含む湧水があり、湧水が広がらないようにしているのだそうだ。
まったく予想もしてない話だったが、リアル過ぎて少しがっかりする。お百姓さんにとっては迷惑な湧水なのだが、儂は勝手にロマンを広げていた。
出雲大社に近い場所で、古代のこの地域には阿受枳(あずき)社とか阿受伎(あずき)社と名乗る社だけで30以上もあった。社と言っても、今のような神社ではない。昔の人は山や岩や川などに神が宿ると信じたから、ここに大昔は神が宿る木でも生えていたのかと想像していたのだ。
だが、ここまで考えてふと思った。もし滾々と湧水が溢れていたとしたら、古代人は神が宿ると考えたはずだ。鉄分は時代が下ってから混じったものとしたら。これは立派にロマンだ。ただ、このロマンには難点が一つある。昔は出雲大社のすぐ前までは入海だった。この辺りも入海だったかもしれない。そうなると成り立たない話だが、写真で見れば分かるように北山のすぐ近くである。ギリギリ海辺だったのかどうか。
素人でもこんなことを勝手に考えられるから古代史は面白い。