曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2018年01月

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1月24日の雪。
降る降ると言った割には降らず、朝起きたらうっすらと白くなっていただけ。
父がデイサービスに行くので雪を掃く。
朝8時頃の道は凍っていたが、雪は昼には消える。。



イメージ 2翌25日の朝。前日よりは降っていたが、積雪量はたいしたことない。雪かきもしない。昼には消える。



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翌26日の雪。
前日と同じくらい積もる。
父がデイサービスに行くので、雪かきをする。
この日も昼には消えたが、朝、恐ろしい目に遭う。
朝の凍結アイスバーン状態は3日間同じ。大社街道に出ようと右折した時のこと。
アクセル踏んでハンドル切ったら、車がずずっとスリップ。あああ~と言う間に横滑りして、斜め前の空き地に突っ込む。もし、塀があったら物損事故になっているところだった。帰郷して6度目の冬で慣れもあり、冬タイヤを履いている安心感もあったのだろう。雪道に対して真摯に向かう姿勢が失せていたことを認めざるを得ない。その後は時速20㌔で走る。
イメージ 427日の朝。
この日も起きたら少し積もっていた。
さらさらのパウダースノー。昼には消える。東京は大雪だったようだが、当地は4日間こんな調子。だが、連日冷えて冷えて震えあがる。
その寒い26日、母が例の胃痛が耐え切れぬというので、病院に連れて行く。
7日頃から調子が悪く、胃腸専門病院で胃カメラを呑んでも異常はなかったのだが、家族としても何とかしてほしくて、以前に入院を断られた病院へ行く。その時は、胃痛ぐらいで入院すると、かえって起きられなくなるという理由で入院できなかったのだが、他にすぐ入院できそうな病院がない。藁にもすがる気持ちで行ったら、その日は別な先生で、「入院させてあげたいけれど、今はインフルエンザが猛威をふるっているので、入院患者を受け入れないようにしているんです」よほど救急の人以外は入院させてあげることが出来ないと詫びられる。そんなことあるのかと茫然となる。このインフルが収まるのは当分先のことだろう。どうしようと途方に暮れている。
そこへ、28日朝早く、電話。隣保のお年寄りが亡くなったので、9時に集合。おどろき見舞いに行く。その後、庭や表の掃除をして、葬式の手伝いの分担を決める。
私はお昼に抜けて、特養に顔を出し、妻の昼飯の相手をして戻る。
葬祭場の受付に決まっていた。
問題は普通2日で終わる葬式が、火葬場の都合で3日かかってしまうことだ。
明日、月曜日に母を病院へ連れて行く予定。時間を縫って行かねばならぬ。
だが、いいことと言っていいのかどうか。この無常講と呼ぶ相互扶助の項目に大きな変化があった。これまで女性陣による葬家の台所援助の負担が大変だったのである。
大釜でご飯を炊き、精進料理を作り、味噌汁を作る。茶菓の世話もある。そのために、台所には葬式の度に配膳棚を組み立てる。葬式が終わったら、解体して葬家が次にどこかで葬式があるまで預かる。中には何年も預かる家もある。大きな配膳棚だから邪魔なことこの上ない。
それが、今回から葬家が食事はすべて弁当を取ってすますので、台所の援助はいらない、ついてはこれからはこういうことは止めませんかと言ってくれたのだ。ただ、約束事だから配膳棚だけは預かるが、葬式が終わってから運んでくれと頼まれる。
一同、異論なし。その場でやめようと決まる。皆、内心止めたかったのだ。となると、厄介な配膳棚も不要になる。よその隣保はとっくに止めて、処分したところもあると言う。多分、我が隣保も処分することになるだろう。
昔は本当に相互扶助の自宅葬だったが、時代とともに変わって行く。
葬式を終え、母を何とかしてどこかに入院させないと、何も始まらない。2月1日から妻の外泊を予定しているが、どうなることやら。

イメージ 11月21日(日曜日)は忠霊塔の清掃に出た。
これは長浜神社の麓に建てられた、第二次大戦の戦没者の慰霊塔である。この地域の戦没者の遺族が戦後ずっと持ち回りで清掃している。私は父の代理で出席したのだが、参加者のほとんどは私のような代理である。その父からして、二代目の遺族年金受給者なのだ。
我が家の場合、戦死したのは父の弟である。当然遺族年金の受給者は父親(私の祖父)であった。祖母は祖父より先に死んだので、祖父の死後は父が弟の遺族年金の受給者になったのである。
私は親が死んだ時点で、遺族年金は終わりだと思っていたので、帰郷して父が受給していると知ってびっくりした。
祖父がいくら受給していたかは知らないが、当然、父は減額されていて、年5万円である。
二代目の受給者も私の父のような老人ばかりになってしまったので、その息子や息子の嫁、はたまた孫までもが一家から一人出て来る。私は妻が在宅の時は1回出席しただけで、後は欠席していたが、特養に入ったらそうも行かない。『ばりん』を持って参加してくださいと遺族会の支部の連絡が回って来るのだ。
イメージ 2早起きして、朝飯をかき込み、『ばりん』を軽の荷台に放り込み、8時に忠霊塔へ行く。
『ばりん』とは、熊手の箒のことである。
出雲地方だけの呼び名のようだ。語源も意味も誰も知らない。子供の時から、皆、『ばりん』と言っていた。
母に聞いたら、石見地方では『さでかき』と言うそうな。忠霊塔の前の広場の伸びた草を削り、枯れ草を集め、燃え残りは穴を掘って埋める。予定では9時までだが、皆、早く終わりたいので8時半過ぎには上がる。お茶のペットボトルを1本貰う。
私はそこから荒神谷博物館へ行き、『風土記談義』に出る。
イメージ 3これが、遺族年金の債権。
5年分の25万円。これを4月に郵便局へ行って、一枚切り離し、5万円を貰う。
畑先生が「親方(私の父)が死んだら、ひろちゃんがもらえるよ」と、言うので。
「そんな馬鹿な。もらえる訳ないでしょう。親父で終わりでしょう」
「そうかなあ」
「年金だって、死んだらすぐ連絡してストップするじゃないですか」
「そういえばそうだなあ」
私は忠霊塔は半ば公的な性格を持ったものだとばかり思っていたら、あれは遺族が自主的にお金を出し合って建てたものだと、畑先生が教えてくれる。遺族年金が支給された時、当時はかなりな額が支給されたらしく、遺族が語り合って建てたのだ。だからどこにでもあるものではなく、出雲市にもこの長浜神社と一の谷と言う所にしかないそうだ。
「わしはその一の谷の清掃にも出なければならないのだよ」とは、畑先生の弁。
親戚の誰かの代理で出ているようだ。

ところで、この長浜神社の祭神は八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)である。出雲の国を作った国引きの神様である。古事記や日本書紀にはほとんど出てこない。出雲国風土記の一番最初の国引きの話にしか出てこない神様である。しかも、出雲国を作った最も大切な神様なのに、出雲にこの神様をまつる神社は長浜神社と他に一つか二つしかないと聞いている。
なぜ、長浜神社で祀っているのか。もともとこの神様の発祥は出雲の東部なのに、なぜ離れた西部の神社に祀られているのか、まだ、そこまで勉強していない。そのうち探求しなければと思いながら、荒神谷博物館へ向かった。

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その後、やっぱり気になって、近所の畑を見て回る。
どこも白菜はそこそこ出来ている。驚いたのはどの畑も草が一本もない。いかに自分が怠け者であったかを知る。
さすがに恥ずかしくなった。草ぼうぼうが余りにもみっともない。幸い春のように暖かい日が続いている。来週からはまた寒波が来て、雪も降ると言う。やるなら今週しかない。書き物の方もうんうん唸っていたが、窮すれば通ずで久しぶりに進んだので、19日の夕方、畑に出る。
草をある程度抜き、白菜も早生だけ縛る。もう手遅れだと思うが、やるだけやってみればと畑先生も言うのでぐるぐる巻きに縛った。今更だが化成肥料もやる。晩生は葉が開いてしまって、「こりゃだめだな」と、畑先生が言うので、やめる。どうなることやら。
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小さかったり、傷んでいたり、さつま芋がたくさん残っているので、ためしに干し芋を作ってみた。
蒸したさつま芋を切って干しているのだが、うまく出来たら、残っている芋が風邪を引いて食べられなくなる前に干し芋にするつもりでいる。


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20日夕方、思い立って焼き芋にも挑戦する。
イチジクの根をかなり退治し、焚火するのに丁度いい穴が出来た。今日も風がなく穏やかだったので、夕方、枯れ葉や枯れ木を放り込んで焚火をする。灰にアルミホイルでくるんだボロさつま芋を放り込んでおく。
夕方から始めたので、芋を掘り出した時はすっかり暗くなっていた。小さなボロさつま芋だったが、美味いのなんのって感動するくらい美味かった。甘い。さすが『紅はるか』だ。今年からもっとさつま芋を作ることに決める。イチジクの根を取った所に芋畑を広げればよい。

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明日は『忠霊塔清掃』と『風土記講義』があり、特養に行けないので今日のお昼に顔を出す。
南向きのフロアーが陽当たりがよくて日光浴をするのだが、生憎お昼ごろは薄日しか入らず。
フロアーにふわふわのボールがあったので、少しだけキャッチボールをする。
これまでは、行っても散歩して、飯食って帰るだけなので、少しレパートリーを増やそうと思ったのです。当然うまく受け取れないし、明後日の方へ投げるから、疲れる。最近困っているのは、昼の弁当に飽きてしまったことである。一緒に食べる弁当は途中のスーパーで買っているのだが、ほとんどの種類を食べ尽くしてしまい、同じものをローテーションで食べている。コンビニがない訳ではないが、車だとそのスーパーが一番便利なのでつい入ってしまうのだ。

去年はほぼ4日置きに特養に顔出しをしていたが、今年から週2回は行く、内日曜日には必ず行く(無理な時は土曜日)と決める。14日の日曜日に行っているので、明日にしても良かったのだが、今日は午後から父の訪問医が来る日。デイサービスの昼食後に早帰りする父を迎えて、先生を待たねばならぬ。どうせなら二つ一度に済ませてしまおうと、特養で妻とご飯を食べ、少し食事介助(おだてて食べさせる)して、帰宅。家を暖めて父の帰りを待ち、先生の往診を迎える。参考までに訪問医は月5860円だが、薬代は大したことない。食欲が出る漢方薬と便秘の薬だけ。来月96才になるが、厚生省推薦、表彰状もの老人である。
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写真は14日。
いつもより少し早めに、11時を少し過ぎて訪ねたら、ちょうど風呂から上がって来たところ。
髪を乾かしてもらう。
気持ちよさそうにしているのを見ると行って良かったと思う。本人が化粧水と乳液をつけたいというので、手のひらにつけてやる。仕上げはお父さん。

昼食後、疲れたのかグズグズ言うので、こっちもゴチャゴチャ言い返していたら
「そうやって、ああだ、こうだと(いい加減に)脚本を書いていたのだろう」と言われてしまった。


語録8

2016.3.20
「障害者だから、どんな格好でもいいよ。不似合いでも」
2016.3.29
「寒くない?」
「寒くない。ありがとう。いつもきいてくれる」
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「妻のために買うといつも言ってるんだってね」
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「うちに風船あるね?あの頃よく風船していたから。今日風船してやろうか」
子どもと風船で遊ぶ話をしているのだろうと思う。
2016.3.30
「足が一カ月たってもよくならないの」
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「夢でパパちゃんが出て来たの。お墓へ行ったら、よく来てくれたって」
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(夕食後)
「今日お昼、白いご飯食べれる?」
「トン汁に犬の肉も入っているのよ。遊ばせておいて、夕方殺すの。可哀想に」
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「ご飯は食べたよ」と、言うと。
「どうしてウソ言うの。眠ってて、パパちゃん呼んで、ヒロアキ兄ちゃんのことやっつけてもらうから」
私をヒロアキ兄ちゃんと思い込んで。
2016.3.31
「うるさい、ばかじゃないんだから、なんだらかんだら……」
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「お父さん、このところ鼻が高くなった。あらためて見たら」
2016.4.1
「ラーメン作って」
「いま昼に食べたでしょ。デブになるよ」
「いいの、デブになっても。東京は楽しかったのね、と言われるから」
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「(モモに)このおばさん、よく寝ると思って見てるんでしょ」
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高校野球を見ていて
「〇〇(息子)じゃないかと思って見てる。1番じゃないかなと。〇〇は割ときれいよ。お父さんに似て、いい子ちゃん、ぶりっ子して」
2016.4.2
介護の世話をしていると
「こんなことしてと思っちゃだめよ。こんなことは自分しか出来ないと、自信を持って、誇りをもってやるのよ」
2016.4.3
「赤ちゃんが一個生まれた。可愛かったよ」
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TVで紙鍵盤をひく子を見て
「子供の頃、紙に書いたのをやってたんだよ。思い出すと涙が出て来る。貧乏でピアノ買えなくて、音が出ないんだよ。ピアノを見に行くの。ピアノの先生が優しそうに見えて。優しそうに見えて」
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「お父さん、夢の中ですごく優しい。別人みたい。きっと別人なんだ。決して意地声を出さない」
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「お父さん、私の小さい頃を良く知っているような気がする」
2016.4.4
「私、なんか欲だらけよ。知らなかったでしょ。私の欲に負けたでしょ」
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「ちょっとした言葉をすぐ書くのね。モモちゃん(飼い犬)、お父さんが私の欲に負けたと書いてるよ」
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「お客様と思わない人にも、お客様お客様と言わなきゃならないでしょ。ああいうのいやだと思わない」
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「〇〇ちゃん(娘)は私についてこようと思うと言ってた。けっこう嬉しいよ」

1月10日の天気予報で、島根東部平地でも20㎝降ると言う。奥出雲や石見の山間地でも積もっているので、11日朝は起きたら一面雪景色だろうと思っていたら、池に氷が張っていただけ。熊本や長崎でも積もっているし、北陸の方は大雪なのに、島根の平地はエアポケットに入ったようで、肩透かしを食らう。松江は10日で3㎝。11日が5㎝。出雲平野は見事に0。
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終日、降ったりやんだりで積もることはなかったが、夕方、猛烈に吹雪く。
天気予報では、12日は島根東部はまた20㎝積もると予想する。奥出雲などはさらにすごいことになっているので、12日こそ積もると雪かきするために(親がデイサービスで出かけるので)7時に目覚ましを掛けて寝る。起きてみたら
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ほんの数センチ。玄関から門までの雪かきは7時半前にはあっという間に終わる。
そこへ、集団登校の小学生たち。前後を上級生に守られ、1年坊主たちが行く。
小学校までは2㎞。ほとんどが田圃の中の道。今朝は雪も止んでいるからいいけれど、厳冬の西風が強い日は耳が千切れそうだ。1年生なんか吹き飛ばされそう。
田舎の子は学校で声掛けを教えているらしく、行きは「行ってきます」。下校時は「ただいま戻りました」と挨拶してくれる。「がんばれよ」と見送る。
数センチでも圧雪で道路はアイスバーン状態。
大社街道は皆のろのろ時速30キロ運転。朝、雪が溶けていたのは9号線だけ。
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夕方にはきれいに溶ける。
近くの川。お婆さんが鶴に餌をやって帰るところに遭遇。
左に白鳥がちらりと見える。鶴は隠れて見えず。橋の中央に小さく見えるのはカラス。左の欄干にはトビが3、4羽。
夏場は現れないが、冬場はカラスとトビがおこぼれに預かろうとやって来るのだ。お婆さんが去った後も未練がましく残っていた。
天気予報で明日も一応雪予報が出ているがもう信じてはいない。
ニュースで白菜700円とこれまた信じられないことを言ってたので、明日はわが家の白菜を紹介しよう。余り期待はしないでください。

1月13日-悲惨な白菜ー
昨日、白菜700円のニュースを見たので、今朝、白菜を採りに行く。
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イメージ 7採ったのは左側の手前から3番目。
食べる予定がなかったので、ほったらかしにしておいたら、外側の葉っぱが寒さにやられ、ひどい状態になっていた。
もっと早く収穫していれば、一応まともな姿はしていたはず。
外側の傷んだ葉っぱをむしれば、食べられないことはないが、50円の価値もないかも。
手前の6個が早生だが、見ての通りほとんどが葉っぱが開いてしまっている。本当なら葉っぱが重なり、丸まっていなければいけないのに、こんなに出来が悪いのは、田舎に戻って初めてである。肥料をやり忘れるのは毎年の事で、今年だけのことではない。それでも例年はそこそこ出来ていたのにこの体たらくだ。白菜が出来ない天候だったのかもしれない。
白菜農家でも不作なのだから、僕ら素人にまともなものが出来るわけがない。
イメージ 8イメージ 9それでも真面目に取り組んでいる人もいる。
左の写真は隣の畑。
白菜が丸くなるように、紐で縛っている。雑草もきれいに取ってある。
エライなあ。感心する。それに比べて、右の写真がわが家の晩生の白菜。
晩生にしても育ちが悪すぎる。雑草もすごい。暮れに化成肥料をやったのだが、雑草を育てたようなものだ。草抜きをしなければいけないのは分かっているのだが、この寒さでは1分も畑には居たくない。もう今年の白菜は諦めた。もう一個かろうじて食べられる白菜があるかどうかだ。

午後は古文書の会で大チョンボをしでかす。
いつもの時間に図書館へ行ったら、見慣れない人たちがいて、「読み聞かせの会です」と言う。時間変更で、午前10時からだったのを、すっかり忘れていた。
今日は先生に四つ、五つ質問しようと思っていたので、ショックが大きい。何と言っても無欠席の記録が途絶えたのが悔しい。

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