曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

2017年05月

8:30ホテル出発。松山から徳島県美馬市を目指す。
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倭大国魂(やまとおおくにたま)神社。
本殿の屋根は前に流れる形式になっている。同行の参加者が教えてくれる。皆、よく知っている。
延喜式の神名帳に出て来る古社らしい。
大国主命を主宰神とする。

この神社を目指す時から、大型バスからマイクロバス2台に分乗する。そうしないと登って行けない山道ばかり、今日一日中走ることになるのだ。

普通の観光客は絶対に来ない神社。
この神社ばかりではない、今日は私たちが行く先々、超マニアック見学集団が訪れたものだから、何者が来たのかと近所の人が出て来て、うさんくさげに眺めていた。
まさか出雲の人間が、出雲の神様の追っかけでやって来たとは思わないだろう。






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道の駅貞光で昼食後、同じ美馬市穴吹町へ。
この日も30度はあったのではないだろうか。
マニアック集団は平均年齢も半端ではない。
階段見ただけで、おおっとどよめくも、ふーふー言いながら登る。

ここから阿波忌部氏の研究家が同行し、阿波の神社や忌部氏について解説してくれる。













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階段を登ったところにあるのが、磐境神明神社。小さな社が五つ並ぶ奇妙な神社。
江戸時代に土の中から見つかったそうだ。
「竹内文書が明かす超古代日本の秘密」という本で、紹介され、私たちとは違うマニアックな人たちの聖地となっているらしい。
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その階段の上から見下ろす「白水神社」



出雲の忌部氏は玉を作って、朝廷に納めていたが、阿波の忌部氏はその玉を磨くための石を出雲に送っていた。














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阿波市土成町
👈「建布津(たけふつ)神社」

イザナミが最後に火の子を産んで焼け死んだ時、怒ったイザナギは妻を殺した火の子を斬り殺した。
その剣が三つに分かれ、その鍔から生まれたのが、建布津神と言われている。
剣の神様である。
この建布津神が1社1座で祭られているのは阿波だけである。
















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吉野川市山川町
👈「忌部神社」

ここから、阿波の忌部氏について、大嘗祭でいかなる役割を果たしたか、また、いかに大嘗祭において、阿波忌部が重要視されたかの話が始まる。
この日は、もうひとつ勝占神社を回る予定だったが、時間がなく、このまま徳島市のホテルへ入り、夕食前に「阿波忌部」の講演を聞く。
30分の予定が1時間近くに。
阿波の古代史研究家も熱い。
忌部氏とは何ぞや。一口で言えば朝廷の祭祀に使う道具類を作って納める部の民なのだが、中央の忌部氏と地方の忌部氏との関係や、大嘗祭における役割など複雑で一度には理解できない。

明日一日、昨夜は眠れなかったので、今夜はぐっすり寝よう。

『伊予、阿波、讃岐、四国東北部 出雲の神々と忌部氏ゆかりの地めぐりの旅』
朝7:40荒神谷博物館出発。館長である藤岡大拙先生同行、参加人員44名の旅。
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👈順序は前後するが、大三島から今治へ向かう「しまなみ海道」







松江尾道道路→しまなみ海道→大三島の大山祇(おおやまづみ)神社へ。
ここの博物館は刀剣と甲冑で有名な所で、以前から一度は行って見たかったところ。
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👈大山祇神社

博物館で太刀を見ていたら、兵庫鎖の実物がある。太刀を腰に下げる紐のこと。
新井白石は『日本軍器考』と言う本を書いていて、この兵庫鎖が分からず、苦労する。
水戸の『彰考館』総裁の安積澹泊に手紙で問い合わせ、ようやく昔の太刀をぶら下げる紐であることが分かり、流石は水戸の安積澹泊と感激したと言うエピソードがある。
私はその経緯を読んだが、実物を見たことがなく、想像していただけだったので、実物を目に出来てちょっと嬉しかった。

大三島で昼食。
お土産屋で涼しそうな夏向きのズボンを売っていたので、妻への土産に買う。




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大三島→しまなみ海道→今治→松山・道後温泉に向かう。
道後温泉はおよそ40年ぶり。まだ駆け出しのライターになったばかりの頃、秘密戦隊ゴレンジャーのシナリオハンティングに来た時以来の事。あの時はタイアップの一つが「サンフラワー号」。東京から高知まで船。高知から松山へ出て、松山がタイアップ地。夜船に乗り、一晩かかって高知に着く。3本のうち1本担当するのが大御所の上原正三さん。売れっ子で忙しい上原さんが、シナハンの為だけにのんびり船に乗って行くわけには行かないので、駆けだしで時間はたっぷりある私が船のシナハンをすることになったのだ。「なんで、スーパーヒーローが船に乗って高知経由で松山まで行くんだ」とボヤキながら船に乗った。上原さんは翌日飛行機で来て、シナハン。夜は部屋に籠って「かんばれロボコン」の脚本執筆。
翌日の帰京の飛行機の中でもひたすら脚本を書き続けていた。売れっ子のライターとはこんな風に仕事をするものかと圧倒され、半ば呆れたものだ。

↓道後温泉を湯神社のある高台から見下ろす
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道後温泉は今回の旅の目的である「大穴持命(おおあなもちのみこと=大国主命)と宿奈比古那命(すくなひこなのみこと)の国土平定の足跡をたどる」地である。
伊予国の風土記の逸文に、宿奈比古那命が倒れた時に大穴持命が大分の速見の湯(別府)の湯を地下トンネルで引っ張って来て、その湯に宿奈比古那命を浸したら、元気になったのが、今の道後温泉の始まりとあるそうだ。
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大己貴命(おおあなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭る湯神社。

👈湯釜

道後温泉にあったものを移したもの。


暑くて汗みどろになる。
30度ぐらいあったらしい。
少しづつお仲間が出来る。
皆、勉強しておられる。




ここの展望台から、遠く瀬戸内海の「ダッシュ島」が見えた。


イメージ 1「インカのひとみ」がひどいことになって来た。後ろが「はるか」だからそのひどさがわかろうと言うもの。
もともと成長が遅かったのだが、どんどん枯れて来た。
我が家だけではない。
近所のジャガイモが軒並みこの状態である。
皆、理由が分からないと言う。
見たところ虫がついている訳でもない。
例年の3割ぐらいしか雨が降っていないので、そのせいかともいう人がいるが、とにかくずっと作り続けた人が、こんなことは初めてだと言う。
ジャガイモなんて、普通に作っていれば出来るものだと誰もが思っているので、本当に皆キツネにつままれたような顔をしている。
私にしてみれば、この異変がいまのところまだ元気な「はるか」にうつらないことを祈るばかりである。
これから実が成長するところなのに、毎日畑に出る度にはらはらしている。



トマトと茄子もちょっと心配。小さな虫(ダニ?)みたいなものが葉っぱに一杯くっついている。これ以上増えるようだと、退治しないといけない。去年までこんなことはなかったのに。農薬は使いたくないから、酢を薄めて散布することを考えている。
こっちも天気が良過ぎて、虫が増えたのではないかと言う人がいる。とにかく自然相手は大変だ。

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これは、シジミ採りのおじさんが軽トラで売りに来るシジミ。島根のシジミと言えば、宍道湖のシジミと思われるだろうが、これは神西(ジンザイ)湖で採れるシジミ。神西湖は我が家の南にある汽水湖。これだけで600円の袋で2袋分。汁茶碗すりきりで6杯分ある。袋に分けて冷凍している。近所の人も皆このおじさんから買っている。粒も大きく美味しい。値段的にもお得である。
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これはイチゴのジャムを作っているところ。お隣がイチゴを作っていて、3年前に植えたのを植えっぱなしにしておいたところ、どんどん増えて、3年たってもイチゴが出来る。多少、粒は小さいがジャムにする分には十分に甘い。お隣さんもジャムを作って、もう要らないから採っていいと言うので、遠慮なく頂戴したもの。
実はこの後、もう一回イチゴを採って来て、これとほぼ同じ分量のジャムを作った。
妹が植えっぱなしでもイチゴが出来るなら、作ってくれと言うので、今年の秋にはイチゴを植える予定。
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これは「つわぶき」。
「つわぶき」でも食べることが出来ます。
皮を剥き、茹でて、二、三日干して、また水に戻して、切り干し大根と同じように煮ます。
歯ごたえがあって、とても美味い。一度お試しあれ。








日曜は特養へ行く日。例によって稲荷と巻きずしを買って行く。
昨夜は一晩中起きていたらしいが、時々そういうことはある。昼前に車椅子に移乗して、施設内を散歩。陽に当たるために少しだけ外へ出る。快晴。周囲は田植えが終わったばかりの水田が広がっている。風が気持ちがいいと言う。
今日は何の日か聞くが、当然分からない。
「5月の末の、こんなに天気がいい日は何がある日だろう」
考えて「新緑」と、答える。
ヒントで騎手のポーズをして見せたら、競馬と分かり、「新緑賞」と、答える。
日本ダービーの日だと教えてやる。
思い出したのか、私がよく競馬に通い、全然当たらなかったようなことを言う。
しばし、競馬の話をして、昼食。
ビールを催促されるが、いつもある訳ではない。
今日は近くのテーブルに老母の食事の世話をするために娘さんが来ていて、とてもなごやかでいい雰囲気だった。私も娘さんに挨拶する。
服や下着を入れ替え、歯を磨いて帰宅。
早速、ダービーの検討。
オークスが1着3着だったから、ダービーは当てに行く。4番スワーヴリチャードから買う。馬連で当たったが、トータルでは100円の負け。
惜しかったのは3番マイスタイル。近年のダービーは内枠の先行馬が3着に残って穴になることが多々ある。私は18頭立て14番人気の3番マイスタイルに目を付け、4番スワーヴリチャードとの馬連、ワイドをたっぷり買う。
直線まで先頭を走るマイスタイル。レイデオロとスワーヴリチャードには抜かれたけど、しぶとく3番目を走っている。1着2着なんてもうどうでもいい。マイスタイルが3着に残れば、3-4のワイドでも万馬券なのだ。私はゴール前、必死にマイスタイルを応援。「残れ、残れ」
外から一番人気のピンク帽が来る。
残ったかと思った寸前、抜かれてしまった。鼻差の4着。ああ~!
いつも外れてばかりだと言っていた妻の言葉は正しかった。

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