8:30ホテル出発。松山から徳島県美馬市を目指す。
倭大国魂(やまとおおくにたま)神社。
本殿の屋根は前に流れる形式になっている。同行の参加者が教えてくれる。皆、よく知っている。
延喜式の神名帳に出て来る古社らしい。
大国主命を主宰神とする。
この神社を目指す時から、大型バスからマイクロバス2台に分乗する。そうしないと登って行けない山道ばかり、今日一日中走ることになるのだ。
普通の観光客は絶対に来ない神社。
この神社ばかりではない、今日は私たちが行く先々、超マニアック見学集団が訪れたものだから、何者が来たのかと近所の人が出て来て、うさんくさげに眺めていた。
まさか出雲の人間が、出雲の神様の追っかけでやって来たとは思わないだろう。
道の駅貞光で昼食後、同じ美馬市穴吹町へ。
この日も30度はあったのではないだろうか。
マニアック集団は平均年齢も半端ではない。
階段見ただけで、おおっとどよめくも、ふーふー言いながら登る。
ここから阿波忌部氏の研究家が同行し、阿波の神社や忌部氏について解説してくれる。
階段を登ったところにあるのが、磐境神明神社。小さな社が五つ並ぶ奇妙な神社。
江戸時代に土の中から見つかったそうだ。
「竹内文書が明かす超古代日本の秘密」という本で、紹介され、私たちとは違うマニアックな人たちの聖地となっているらしい。
その階段の上から見下ろす「白水神社」
出雲の忌部氏は玉を作って、朝廷に納めていたが、阿波の忌部氏はその玉を磨くための石を出雲に送っていた。
阿波市土成町
👈「建布津(たけふつ)神社」
イザナミが最後に火の子を産んで焼け死んだ時、怒ったイザナギは妻を殺した火の子を斬り殺した。
その剣が三つに分かれ、その鍔から生まれたのが、建布津神と言われている。
剣の神様である。
この建布津神が1社1座で祭られているのは阿波だけである。
吉野川市山川町
👈「忌部神社」
ここから、阿波の忌部氏について、大嘗祭でいかなる役割を果たしたか、また、いかに大嘗祭において、阿波忌部が重要視されたかの話が始まる。
この日は、もうひとつ勝占神社を回る予定だったが、時間がなく、このまま徳島市のホテルへ入り、夕食前に「阿波忌部」の講演を聞く。
30分の予定が1時間近くに。
阿波の古代史研究家も熱い。
忌部氏とは何ぞや。一口で言えば朝廷の祭祀に使う道具類を作って納める部の民なのだが、中央の忌部氏と地方の忌部氏との関係や、大嘗祭における役割など複雑で一度には理解できない。
明日一日、昨夜は眠れなかったので、今夜はぐっすり寝よう。