荒神谷博物館で「出雲国風土記談義」が始まった。
荒神谷は昭和59年に銅剣が358本も出土して一躍有名になった遺跡だ。この博物館では10年前から「風土記」の講義をしていて、この数年間は現存する五風土記(豊後国、播磨国、常陸国、肥前国、出雲国風土記)のうち四つの風土記の講義を終え、いよいよと言うか、やっとと言うか、ついにと言うか「出雲国風土記」の講義が始まったのである。
出雲には、出雲大社に隣接する「島根県立古代出雲歴史博物館」を筆頭に、「荒神谷博物館」「出雲弥生の森博物館」がある。熱心に講演や講義をしていて、団塊世代を中心とした聴衆で溢れかえる。今日も100席が満杯。皆、車でやって来る。
帰郷して6年間、聞きたい講演会は山ほどあったが、年に一つ出席出来れば御の字で、ほとんど出席できず、指をくわえて眺めていた。今回、妻が入所したので、一番聞きたかった講義に初めて参加できた。この講義は月一回だが、これからは毎回出席できるだろう。
教科書の本を売店で購入。1362円也。プリントも配られる。
今日はまだ本文には入らず、昭和25年に発表された「出雲風土記」は偽書であるとの論文についての考察。筆者の薮田嘉一郎は古代史研究家で専門家ではないが、風土記への疑問を提出して学界に波紋を広げる。研究者は薮田論文を前に古代史研究が未熟な事を知り、薮田論文を否定するためにも研究を深めた。そのおかげで古代史研究が進んだと言うお話。
その一例としてあげられたのが、風土記が書きあがったと記されている、天平5年2月30日の日付の問題。薮田は2月は小の月なのに30日があるのはおかしいと論じる。
実は他の研究者も気にはなっていたのだが、誰もそこを敢えて問題にしてこなかったのだ。改めて突きつけられた研究者たちは様々な論を立て、研究を重ねる。
結局、暦の専門家の研究で、古代の暦では2月は大の月で、30日は間違ってはいないことが分かる。そして、古代では2月30日が年度末に当たることもわかる。
余談で、薮田は小説家の松本清張と文通していて、古代史についてやり取りしていた。清張は薮田の論に触発され、古代飛鳥にペルシア人渡来説を立て、「火の路」と言う推理小説を書いたと教えられる。
昔、その本は手に取ったことがあるのだが、余りにも突飛すぎるような気がして読まなかった。今度読んでみよう。
3月~5月にかけて、出雲では風土記の講演が多数あるが、全部事前申し込みと分かる。果たして今から申し込んで参加出来るものやら。不安になって来た。
荒神谷遺跡。
左側が銅剣、右側が銅鐸と銅矛。レプリカが発掘時と同じ状態で展示してある。
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予約が取れた。すごいことになった。
3.19 風土記談義2回目(荒神谷博物館)10.00~12.00
3.19 出雲と大和の誕生の謎を解く(大社文化プレイス)13.30~16.30
(これ以降はすべて事前予約)
3.26 出雲国風土記へのきざはし(古代出雲歴博)13.30~15.00
4.2 出雲国風土記写本の世界(古代出雲歴博)14.00~15.00
4.9 風土記登場地を歩く(古代出雲歴博)14.00~15.00
4.16 風土記の神・社(古代出雲歴博)14.00~15.00
4.23 語り継がれる神話、読み継がれる神話(大社文化プレイス)13.30~17.00
4.29 出雲の氏族とその地域性(古代出雲歴博)14.00~15.00
5.7 風土記時代の公務員(古代出雲歴博)14.00~15.00
5.14 地中から姿を現した風土記(古代出雲歴博)14.00~15.00