出雲大社周辺の古代集落
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古代においては北山から流れ出る小さな川が作る扇状地に集落が出来た。緑の付箋が扇状地の出来ているところ。オレンジ色は泉の湧いているところ。一番左の出雲大社がある所は西が素鵞(そが)川、東が吉野川と二本の川が流れていたので一番大きい扇状地で、出雲大社はこの二本の川の間に立っている。
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左)出雲大社の東側。18世紀の屏風だがこの時はすでに北島家は現在の場所に移っている。
境内に十九社とある。今では神在月に集まった神様が泊る所とまことしやかに言われていて、私も信じていたのだが、何と真っ赤な嘘と分かる。昔は三十八社と言って、出雲大社の領内にある末社や摂社の三十八社を出雲大社の境内に勧請したものだそうだ。こういうことはよくあること。それが神様が泊る所になって十九社になったのだそうだ。恐らく、昔、出雲大社を宣伝する時に、日本中の神様が集まると言う話を作ったのだが、神様が泊る所がないのはおかしいので三十八社を宿泊所にして名前も十九社に改めたのだと思う。
右)Aから北山の方を見た写真。吉野川沿いに東の塀が北島家。
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左)塀越しに四脚門の屋根が見える。
右)四脚門。現存する一番古い建築物。江戸時代初期のもの。寛文1660年以降のものらしい。出雲大社は檜皮葺(ひわだぶき)だが、これはこけら葺き。薄く削った杉板をびっしりと重ねたもの。
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右)北島家から出雲大社を望む。木の間ごしに本殿の屋根が見える。とても静かで心安らぐ空間である。出雲大社は西の千家さんがある方に大駐車場があり、飲食店や土産物屋が並んでいるのでいつも観光客でごった返しているが、こちらには飲食店も土産物屋もないので実に静かだ。北島を訪れる人はみなその静けさを愛している。
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閑話休題。北島家の中には天神社がある。なんで菅原道真が祀ってあるのか不思議でしょうと解説員。実は北島家と菅原家は親戚なのだそうだ。一体いつ親戚になったのか。
北島家の横から入って門からでる。門の前が社家通り。この後は社家通りを東へ歩いてからぐるっと回って古代出雲歴史博物館に戻る。
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北島家の隣に急な階段あり。登らなかったが上には日吉社がある。なぜ北島国造館の隣に仏教施設があるかと言うと神仏習合の名残。裏山の鰐淵寺から坊さんが派遣されていた。
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命主(いのちぬし)社。右は樹齢700年から800年と言われるムクの老樹。
大国主と国土平定した神様が祀ってあるのだが、ここで大切な事はこの裏から銅戈と勾玉が発見されたこと。勾玉は糸魚川のメノウ製。古代の交流をうかがわせる。近くには弥生時代の祭祀跡も残っており、出雲大社との関連で興味のある場所になっているのだそうだ。
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真名井の泉。出雲大社の儀式で使う清水を汲む。最後に歯固めの儀式を行うためにここの清水の中から小石を二つ拾う。学芸員が言うには日本の神社や遺跡などを考える場合はまず第一に自然を見なさい。どんな場所にあるのか、綺麗な水が湧いているか、そういうことが一番大切なのだそうだ。
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社家通りから弥山(みせん)をみる。北山で一番高い山。みんな「みせんさん」と呼ぶ。還暦記念に登った時は数百メートルの山に過ぎないのに道なき道をよじ登るように上ったが、少し行くと登山道の案内が。いつこんなものが出来たのか。もう一度登ってみたいが無理だろうな。
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出雲井社。
ここから東が外界と考えられていた。出雲大社領との境である。実際の境は中世においてはここからさらに東へ600m行ったところだそうだが、人々の心理的境界はここだったのだろうとの解説だった。
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出雲井社から南を望む。
昔は手前まで葦の生い茂る湿地。その向こうには一面の砂地が広がっていた。江戸時代1600年の後半から水を抜き、耕地を増やした。向こうに見える松林も昔は砂山で長い年月をかけて砂を防ぐために植林したものである。
好天に恵まれた1時間半であった。