第三章 戦国擾乱(じょうらん)(1
 
「御開門、御開門」
深更、時ならぬ声が京極邸の散り始めた夜桜を震わせた。
江北からの早馬であった。
使者は政経の寝所に駆け付けると、
「治部様、御生害」
と、治部少輔(じぶしょうゆう)材宗(きむね)の自害を告げたのであった。
永正四年四月三日の夜、日が変わる頃であった。
起き上った御屋形様は褥(しとね)の上で影法師になられたそうな。寝所の闇よりも濃い影となり、闇に張り付いたまま朝が来るまで、まるで自分も死んだように動かれなかったそうな。
そう辰敬が聞いたのは後日の事だった。
辰敬が騒ぎに目を覚ました時に見たのは、足をもつれさせながら飛び出して行く木阿弥の後ろ姿だった。
辰敬も慌てて外へ飛び出した。
奉公人達も起き出していて、邸内は上を下への大騒ぎとなっていた。邸外に住まう家人達も知らせを聞き、おっとり刀で駆け付けて来た。あちらこちらに篝火が焚かれ、揺れる炎の中に右往左往する人影が地獄の亡者のように見えた。
不意打ちだったと言う。
夜明け前、気がついた時には、材宗の館は京極高清の軍勢に十重二十重に囲まれていたのである。
館には百人足らずの兵しかおらず、近在の兵を集める暇もなかった。
和睦して二年の平和が続くうちに、気が緩んでいたと言うしかなかった。いや、戦いに倦んでいたと言うのが本当のところかもしれない。
館の周囲の濠や土塁の手入れもお座なりになっていた。濠は古材や木の枝、枯れ蘆の束などを放り込まれて、あっという間に埋められてしまった。
材宗は御寮人と吉童子丸を落とすと、館に火をかけ、自害して果てたのであった。
常御殿も騒然としていた。集まった家人達の歯ぎしりが聞こえた。
「和睦を破るとは……高清め、許せぬ」
「上坂家信は何をしておったのや。なぜ高清を止めなんだのや」
 上坂家信は高清の執権である。
 江北の守護代多賀清直、宗直父子が高清に叛いて滅んだ後、江北の有力国人衆として高清を支えていた。
 今浜(現在の長浜市)を本拠としている。
 二年前、箕浦日光寺で材宗と高清が和睦したのも、上坂家信の仲介があったからである。
 昔の事だが、十七年前の延徳二年には、上坂家信は政経、材宗父子に合力し、高清を江北から追い出していた。
 その後は短期間とは言え、政経・材宗政権を支えていた時期もあったのである。
 その後、高清側についたのも私利私欲からではなく、江北の動揺に付け込み、侵攻を図る六角高頼から江北を守るためであった。守護代多賀清直、宗直父子のように、主家の寝首を掻くような真似は決してしない、何よりも江北の安定を願う国人武将であった。
 だからこそ政経と材宗も家信の仲介を受け入れたのである。
「上坂を信じたのが間違いやったのや」
「彼奴も同じ穴の狢や」
「和睦は見せかけやったのや。卑怯者め」
「治部様の御無念、晴らさずにはおくものか」
 今にも一戦を交えんとばかりに刀を握り締める者もいれば、
「御屋形様の御心中、いかばかりか……」
 辺りを憚らず声を放って泣く者もいた。
 奥からも慟哭が黒い津波となって押し寄せて来た。女達の泣き声であった。
 悲嘆と怒りの声が渦巻く真夜中の邸内で、辰敬は誰からも声をかけられることもなく、ただ騒ぎを眺めているだけであった。
 そこへ寝所の方から木阿弥が引き上げて来た。
 木阿弥は辰敬に気づくと首を振った。
「御屋形様は誰にもお会いにならぬ」
 様子を見に行ったものの追い返されたようだ。
 一際大きな泣き声が響き渡った。
木阿弥は顔をしかめると、悲痛な声から逃れるように暗い御庭に向かった。
辰敬もついて行くと、木阿弥は一本の老桜の下の庭石にため息を吐きながらどかっと腰を落とした。
はらはらと花びらが落ちて来た。
見上げると、雲は悲しみの屋敷を押し潰すかのように低く垂れ込めていた。
ここまで来ると屋敷の明りも木の間にちろちろ揺れるだけで、騒ぎは別世界のことのような錯覚に陥った。いや、そうであって欲しかった。辰敬は切実にそう思った。
「和睦したのに、なして……」
 抑えていた感情が吹き出した。
 ふんと鼻で笑ったような声が返って来た。
 驚いて暗闇を凝視すると、木阿弥の冷徹な顔があった。
「和睦なんてものはやなあ、一時のものや」
 これまで見た事もない、鋭い鑿で彫り込んだような顔であった。
「武士は常在戦場や。戦をしておるのが普通で、戦がない時の方が特別なのや。和睦とは正面切って鉾を交えぬだけで、裏では戦いは続いておるのや。お互いに相手の陣営を切り崩したり、取り込んだり、見えない戦いを繰り広げておるのや。むしろこっちの方が大切な戦いやったりするのや」
 どこの守護大名や守護代も国人領主と呼ばれる在地の有力武士に支えられている。
 より多くの国人領主を味方につけた者が領国を拡大することが出来るのである。
「和睦したと言う事は、言い換えれば互いに裏の戦いに切り替えたと言う事や。治部様もこの間、御味方を増やそうと工作されておったはずや。せやけど、高清に後れをとったのや。どこかに六角頼みがあったのやろうなあ。いざとなれば助けてくれるとな。その甘さがこの結果となったのやろう。結局のところ六角高頼を恃んだのが命取りになったのかも知れんなあ」
 北近江の京極政経と南近江の六角高頼は応仁の乱で東軍と西軍に分れてから、長い間敵対関係にあったが、政経は高清との戦いを巻き返すために六角高頼と手を結んだ。ほんの数年前の事である。高頼の娘を材宗の妻に迎えたのだ。
 が、それは毒薬みたいなもので、一時は高頼の支援は力となったが、長い目で見れば逆効果であった。
北近江の国人領主達は六角氏が江北に入って来る事に反発し、かえって高清のもとに結集したのである。
材宗を抹殺することは江北国人領主の総意だったのである。材宗がいる限り、口実をつけて六角高頼は江北を窺う。高頼の介入を阻止するには、材宗に消えて貰うしかないのだ。それも高頼に介入の時間を与えないよう一気に形を付ける必要があったのである。
京極高清も上坂家信もこの総意に乗っかったのである。いや、乗る事が江北の支配者となるべき者の取るべき道だったのである。
これで高清は幕府から近江半国江北の守護と認められるであろう。京極家の名実ともに家督となるのだ。
「京極騒乱が始まった時、御屋形様にはまだ出雲や隠岐、飛騨がかろうじて残っておったが、高清には江北しかなかったのや。御屋形様は負けたら出雲へ逃げはったけど、高清は江北を失ったら行くところがあらへん。その必死さの違いがこうなったのやとわしは思う。二兎追う者は一兎をも得ず。御屋形様は最後に残った出雲と江北を共に失いはったのや……」
 辰敬はおずおずと問うた。
「京極家はどうなるのじゃろう」
「滅びるしかないやろう」
 余りにも冷たい、突き放した言い方に、辰敬は一瞬怒りを覚えた。
「どこにでもある話や。日本中腐るほど転がっとる。京極家だけが特別なわけやない。武門の定めや……」
 それ以上は口を利くのも大儀そうに目を閉じてしまった。
 言われるまでもない事だった。辰敬は自分の立場が不安になって聞いてしまったのだ。
(やっぱり出雲に戻る事になるんじゃろうなあ……)
 こんな時にいちを想っている自分を辰敬は情けなく思った。
 二日後、治部様御寮人と吉童子丸が戻って来たが、二人とも輿の中で姿を見ることは出来なかった
 葬儀の日、辰敬は雑用に追い回された。ようやく焼香を許された時には、御屋形様達も僧侶も引き上げた後だった。
その葬儀が終わった日の夜、木阿弥は戻って来なかった。
翌日も、その次の日も姿を見なかった。
辰敬は殉死したのかと心配したが、次郎丸が嘲るように笑った。
「そんなあほな。あいつ、逃げよったんや。知らんかったのか」
 辰敬はぽかんと立ち尽くした。初めは次郎丸の言う意味が分からなくて、
(逃げた……木阿弥さんが逃げた……)
 と心の内で反芻して、ようやく木阿弥の逃亡を現実の事として理解したのであった。
「京極家におってもしゃあないと思ったんやろ」
次郎丸は吐き捨てた。
「御恩も忘れて、恩知らずめ……こう言う時こそ、御屋形様を御慰めするのが役目やろうに。後足で泥をかけるような真似をしくさって。けたくその悪い奴や。ほんま目端の利く爺やで……」
 口を極めて罵ったが、次郎丸が罵れば罵るほど、辰敬の気持ちは次郎丸から離れていた。
 本当に木阿弥は御屋形様を見捨てて逃げたのだろうか。都の夜道を逃げて行く木阿弥の後ろ姿をどうしても想像出来なかった。
 辰敬は木阿弥が好きだった。大好きと言うほどではないけれど。
 皮肉屋で、何事も斜に構えて、辛辣な言辞を浴びせられると心が萎えたものだ。だが、木阿弥の言う事には常に理があった。
 だから、目端が利いて京極家を見限ったと言われると違うような気がするのである。
 もし、本当に目端が利く男なら、初めから御屋形様の御伽衆にはならなかったであろう。日頃の言動を思い出せば、木阿弥には京極家の行く末が見えていたはずだ。
 きっと御屋形様のお側に侍るのが居たたまれなくなったに違いない。木阿弥にはそんな優しさがある。きついことを言うのは、自分の優しさを隠すためだったのではないかと、辰敬は今になって気が付いた。そう言えば辛辣な言葉の端に、ふっと寂しさや哀しさを感じたことは一度や二度ではなかった。決して御屋形様を見捨てて逃げたのではない。そう信じたかった。辰敬とて御屋形様の前に出るのは辛すぎる。
「ええな、わぬしは帰る所があって。どうせ出雲に戻るのやろ」
 何を言う気かと訝しげに見返すと、
「京極家も腐っても鯛や……もう少し様子をみようかと、皆、言うとるわ」
 散々木阿弥を罵った癖に、その言の端が乾かぬうちに、この言い草である。
 辰敬は蹴飛ばしてやろうかと思ったがぐっと我慢した。
 その後、常御殿に出仕しても、長屋に戻って来ても、問われるのは出雲へ戻る事であった。
 だが、御屋形様からは何の沙汰もなかった。
 吉童子丸が戻って来たら、守に復帰することになっていたはずなのに、それも沙汰がない。
 木阿弥がいなくなって奥の様子がさっぱり分からなくなっていた。沙汰がないのは、もう出雲へ戻す事が決まっているからではないのかと、悪い方へとばかり想像が膨らむ。
 
 その頃、巷では二度目の丹後征伐の噂で持ち切りだった。
 昨年の丹後征伐は澄之に任せてお茶を濁したのだが、此度はついに管領細川政元も遠征せざるを得なくなったのである。
 話は三月の末に戻る。
 若狭国守護武田元信に肩入れする将軍義澄の丹後征伐への執念はいや増すばかりであった。今度ばかりは逃げられそうにないと悟った政元は、管領職を辞すと、奥州に巡礼に行くと称して旅に出てしまったのである。
 これまでにも将軍と対立する度に、政元は修験道の修行をするとか、管領を辞めると言っては、都から逃げ出していた。
 その度に将軍が頭を下げて政元を連れ戻していた。逆に将軍が立腹して出京し、政元が詫びて戻って貰う事もあった。
 奥州を目指す政元が若狭小浜まで来た時、武田元信が駆け付けて来ると、必死に政元を引き止めた。
 そこへ、将軍の御教書( みぎょうしょ)や天皇の勅書まで届いたので、政元と言えども都へ戻らざるを得なかったのである。
 木阿弥がいたら、武田元信や将軍義澄の狼狽ぶりや、勅書を出して貰う為の朝廷への必死の工作などを、見て来たように語ってくれたであろうが、もはやその木阿弥を思い出す事もなくなっていた。
 辰敬は無性にいちの顔が見たかった。
 あの日以来、邸内の規律は目に見えて緩んでいたので、辰敬は誰にも咎められることもなく邸を抜け出す事ができた。
 
 久し振りに加田家を訪ねると、
「おおごとやったなあ」
 公典が飛び出して来ると、京極家の様子を矢継ぎ早に尋ねた。
「で、わぬし、どないなるんや。出雲に戻るのか」
 ここでも関心はすぐに辰敬の身の振り方に向けられた。
 いちと竹ちよも心配そうに見つめていた。
 辰敬は首を振った。
「わからんのじゃ」
 尼子家や出雲の親から、何か言って来てもよさそうなものだが、そのような便りがあるのかないのかも知らされず、忘れられたように放置されている状況を説明すると、
「そうやなあ、わぬしのことに構っている場合やないからなあ」
 いちも心なしほっとしたようであった。
「京極家はどないなりますのやろ。もうお殿様やないのやろ。年貢も入ってこんのやろ」
 竹ちよが心配するのに、
「あほか。とっくの昔からや。せやけど、腐っても鯛や……」
 ここでも腐っても鯛が出た。
「家産もまだ仰山あるやろ。すぐにどうのこうのと言う事はあらへん。我が家とは違う。いや、こんな我が家でも持ちこたえとるがな」
 と自虐めかして笑ったが、妻子は笑わなかった。
「問題は後継ぎや。吉童子丸様はまだ子供やろ。幾つや」
 辰敬は即座に答えられなかった。
「六つ、いや、七つじゃ」
「御屋形様や」
「ああ……」
 辰敬は首を傾げた。
「もうええ、なんぼでも。どうせええ齢にきまっとる。御屋形様、死ねへんやないか。ええ後見人でもおれば別やけど、そないな人、もうおらへんやろうし。御屋形様にもしもの事があったら、今度こそ京極家、本当の終わりやで」
 辰敬は死罪を言い渡されたような気がした。