週末は松江で講演、荒神谷博物館で月例の風土記講義。
一番行きたかったのは、12月12日に東京市ヶ谷であった角川主催の歴史セミナー。募集人員40名。参加費4000円。飛行機代かけても行きたかった。そのテーマが『古事記のなかの出雲大社はどこまで本当か』。私が一番知りたいことである。夜の講演だから日帰りが出来ない。翌13日は父の訪問医の往診がある。何かと忙しい師走でもあり、泣きの涙で諦める。しかし、諦めが悪く、往生際の悪い私はレジュメだけでも手に入れようと、4000円払ってもいいからと電話したら、何と係の女性が「実は延期になりました。4月28日に行います」と、言うではないか。思わずバンザイ!ゴールデンウィークでもあり、親の具合にもよるので、必ず行けるかどうかは分からないが可能性はある。しつこく電話してみるもんだ。ちょっと楽しみ。
昨日12月16日は松江で古代文化センター主催の『国引きするスサノオ』の講演。
出雲大社の主祭神は誰もが大国主命と思っているだろうが、実はスサノオノミコトが主祭神であった時期が、中世から江戸時代の初期まで相当長い期間続いているのだ。
なぜ、スサノオに変わったかと言うと、神仏習合の影響である。神仏習合で勢力を広げるのは仏教の方である。中世出雲では出雲大社のすぐ近くの鰐淵寺(がくえんじ)が武士と結び勢力を広げる。武士は因幡の白兎を助けた大国主命より、荒ぶる神のスサノオを信奉する。そして、国引きをしたのはスサノオであると言う、仏教的世界観に立った神話を作る。古代インドにある霊鷲山(りょうじゅせん)の一部が崩れて、ぷかぷか漂っているのを、スサノオが引っ張ってつなぎとめたと。
武士の世となると、出雲大社は武士と結んだ鰐淵寺の支配を受ける。何と境内に三重塔やその他の仏教施設が出来る。戦国時代、尼子経久は出雲大社で僧侶を集めて法華経を唱えさせる。
そう言う歴史を知った時、私は単純に「実にけしからん」と思ったのだが、講演では民衆の支持があったからスサノオは長い間受け入れられていたのだと説く。
スサノオは昔から人々に愛される要素を持った神であった。冥界に行ってしまった母のイザナミを慕って、泣き叫び、海や山を破壊したので、父のイザナギに追放される。高天原に戻って来るが、乱暴狼藉を働き、姉のアマテラスを悩ませる。二度目に追放された出雲では、八岐大蛇を退治して、クシナダヒメを救って英雄となる。
スサノオの子孫にオオクニヌシが誕生し、スサノオはオオクニヌシをバックアップする大神となる。そういう波乱万丈の荒ぶる神が人々を惹きつけたのである。
私はスサノオは高天原と出雲を仲介するために大和勢力が都合よく創造した神(注)
と決めつけていたが、この支離滅裂な途方もないキャラクターは出雲の人間をも惹きつけるだけの魅力があったのだと見直させられたのであった。
1667年寛文7年の遷宮造営の時、国造家は祭神をスサノオから大己貴神(オホナムヂ)=オオクニヌシに改め、鰐淵寺僧侶の関与を絶つ。
※(注・文末に補足18日)
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12月17日は風土記講義。
10時ごろの荒神谷博物館。
この日は降ったかと思うと晴れ、晴れたかと思うと降り出し、目まぐるしく天気が変わる。
この時は激しく降っていた。
白いのは広場の雪。その向こうに細長く見えるのが蓮池。

まだ、風土記の最初に登場する意宇郡(おうのこおり)の解説。郷と驛(うまや)の解説が終わり、今日は「忌部神戸(いむべのかむべ)」のお話。
国造が神吉詞(かむよごと)を奏すために朝廷へ上る時、みそぎの清浄な玉をつくる場所とある。温泉があり、老若男女集まって楽しむ。病も治る。神の湯と呼ばれているとあり。忌部神戸とは今の玉造で、神の湯は玉造温泉のことである。
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神吉詞










そこで、今日の講義はそのほとんどが「神吉詞」について。
神吉詞とは、出雲国造が代替わりする時、朝廷に参上し、天皇の世を称え、朝廷に奉仕することを陳べる詞章である。
710年平城京
712年古事記完成
713年風土記撰進の詔
716年26代国造出雲臣果安(はたやす)が奏上したのが初めてと言われている。
720年日本書紀完成
724年27代国造出雲臣広嶋、神吉詞奏上
733年出雲国風土記完成
神吉詞では大穴持命(おほなもちのみこと)=大国主命は分身を大和へ送り、3人の
御子も大和へ送り、大穴持命は杵築大社にあって、皇孫を守る云々。
素晴らしい文章なのが切ない。強大な権力に支配されるのを受容するのはこう言う文章を書くことなんだと教えられたような気がした。

(注)創造と書くと、スサノオを創造したように誤解されるので、補足します。
大社の南、日本海に注ぐ神戸川(かんどがわ)上流に須佐(現出雲市)と言う小さな山里がある。スサノオノミコトは元はこの山里の守護神に過ぎなかった。
この須佐と山を隔てた東の斐伊川の上流に、大昔は熊谷郷(現雲南市)があり、ここにはクシイナダヒメの伝承がある。
古代出雲の山間部でいつの頃からか、この二人の神を結ぶ話が作られる。ここにどの程度ヤマタノオロチが関わるのかはっきりしないが、おそらく素朴な地域神話であったと思われる。
それを、大和朝廷が取り込んだことにより、スサノオは壮大な神話の担い手になって行ったものらしい。天孫系神話に後から入り込み、大和と出雲を仲介する役割を与えられるうちに、どんどんその役割が大きくなり、国を産んだイザナギやイザナミよりも、姉でありこの国の最高神であるアマテラスよりも、愛され親しまれる存在になったのだと思う。