816日から外泊。21日まで。
家に帰る日は外泊の間に着用する衣類などを選びたいから必ず迎えに行くことにしている。
特養に戻る日はさすがに送って行くのがしんどくて、少しでも楽をしたくて迎えに来てもらう。今日は高温注意報が出ていて、本日の日本最高温度。道理で暑いはず。お迎えが来てくれて大いに助かる。
16日のこと。
特養の玄関で妻の乗った車椅子を車に積み込んでいたら、入所者のお婆さんから「いいねえ」と家に帰るのを羨ましがられる。
その顔が本当に羨ましそうだったので、私は気の毒になってしまった。どんな顔をしていいのか困ってしまい、曖昧な笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げる。妻を車に乗せる間、振り返らなかったけれど、お婆さんの視線をずっと感じていた。車を出した時、バックミラーをちらりと見たら、やっぱりお婆さんは見送っていた。「見せつけてしまって、ごめんね」と呟く。皆、それぞれの事情がある。帰りたくても帰れない人は大勢いるのだ。

夜、ダイニングでパソコンを叩いていると、隣室から妻の独り言が聞こえて来る。その独り言に合いの手を入れてやると、隣室とまがりなりにも会話が始まる。
熊本に戻りたい(ベッドのままバスに乗って帰れると思っている)とか、たま(子供時代に飼っていた猫)がいかに可愛かったかの話……。
おむつ交換やベッドの傾きの調整に行くと、足を揉んでくれとか、腕を揉んでくれと言う。お世話を終えて、ほっと一息ついて休みたいと思っている時に限って頼まれる。ため息が聞こえないようにマッサージをする。正直、後にしてくれと言いたい時がある。
申し訳ないと思いながらも、俺も疲れているからと適当にお茶を濁して切り上げる。そんなおざなりな手抜きのマッサージでも気持ちがいいと喜んでくれた時、はっと思い当たった。
「家に戻るとはこういうことなんだなあ」と実感したのである。
マッサージ時間が長いか短いか、上手いか下手かが問題なのではない。家族とのちょっとした触れ合いが嬉しいのだと。
あのお婆さんもこういうものを求めていたのだろうなと、その時間、特養のベッドで一人寝ているだろうお婆さんを思う。

19日は「古文書に親しむ会」あり。2時~4時まで。
昼ご飯を食べさせ、1時にベッドに移してから、図書館へ。妻が寝ている間に勉強するのだ。
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前回から「銀山記」を始めたのだが、文章が漢文体で全部漢字なので、難し過ぎるという声があったらしく、急遽、漢文のイロハを勉強することになる。
と、言っても、返り点や一二点の読み方などを基礎から教えるわけではなく、いきなり教科書を読みながら、慣れてくださいというのが先生の方針。
教科書が戦前の昭和13年発行の、旧制中学一年生の漢文の教科書。
昔は中学一年生でこんなレベルの漢文を勉強していたのかと驚く。
私たちは高校一年で初めて漢文を習った。
当時、古文漢文はさぼりにさぼったので、時代小説を書き始めた時は勉強不足を嘆いたものだった。それは今も同じだ。
漢文も、返り点や一二点までは何とかなるが、上中下点に従って読もうとすると、もういけない。高校生に戻って、旧制中学一年生の教科書で悪戦苦闘する。
「空海」「小野道風」「菅原道真」「義経」などのお話をみっちり2時間以上やると(先生は時間を忘れるのだ。休憩時間も忘れる)くたびれるのなんの。終わったら、車を飛ばして帰宅。
翌20日は「風土記談義」。10時~11時半。荒神谷博物館へ。
朝は7時に起きて、オムツ交換し、服を着替え、車椅子に移す。朝食の支度をして、食べさせた後、投薬、歯磨き。8時半過ぎに再びベッドに戻すと、自分の朝食をかき込み、博物館へ。博物館は片道車で30分近くかかるので、かなり慌ただしい。
昼ご飯はいつも12時なので、急いで帰るも、日曜なので大社や日御碕へ行く車で道が混んでいる。少し遅れて帰宅。
21日はお昼ご飯を食べて、少し休み、2時に迎えに来てもらう。迎えはいつも2時に決めている。朝ご飯を食べてから、午前中に迎えに来てもらったら、少しでも楽が出来ることは分かっているのだが、少しでも家に居させてやりたいのでそうしている。
戻って来た時は、後5日、後4日と特養に戻る日を指折り数えて、己を叱咤し、前日の夜にはやっと明日が来るとほっとするのがいつもだが、いざその日になると、戻すのが可哀想になる。心で詫びて手を振る。