昨日今日の二日間、風土記漬けになる。
15日土曜日は「古代出雲歴史博物館の学芸員と行く 語り継がれる古代の出雲の地をかけめぐる 出雲風土記かけめぐりツアー」
16日日曜日午前中は荒神谷博物館の「風土記講座③」、午後からは歴博で「リレー講座③風土記の神・社」
昨日のツアーは一畑トラベル主催、昼飯付きで一人5000円。最小催行人数20名。参加者10名だったのにやってくれた。感謝。儲けがあるのかと逆に心配したほど。
9時に古代出雲歴史博物館出発→八雲立つ風土記の丘展示学習室→六所神社・国府跡・意宇の森→山代新造院跡→昼飯→矢田の渡し→大井窯跡群→目無水(めなしみず)見学→佐太神社→古代出雲歴史博物館見学。
博物館を出たのが5時半過ぎ。
ツアーの内容については余りにも膨大(写真も多数)なので、後日、少しづつ紹介して行く予定です。
今日はこの二日間、風土記を勉強したお陰で、地名の謎が解けた話をご紹介。
ガイドの学芸員氏がしきりに言ったこと。
「出雲の人が羨ましい。風土記が残っているから昔のことが、風土記の記述通りに分かる。これは本当に素晴らしい事なんですよ」

出雲大社から北山の麓を西から東へ行く県道がある。その先は平田から、宍道湖の北岸を通り松江に至る道である。出雲大社から少し行くと、「美談」と言う地名がある。
車で走っていて、その表示板を見た時は吃驚した。
「美談(びだん)」とは何ぞや?その昔、なにかの「美談」でもあったのか?
それにしても「地名にはそぐわない、妙な名前だなあ」と、通るたびに思っていた。だが、調べようとも思わなかった。調べるほどの地名とも思わなかったのだ。「びだん」ではなく、「みだみ」と読むことも分かったが、それだけのことで、それ以上の関心は相変わらずなかった。

ところが、風土記の勉強を始めて、風土記の提出を命じた文書の中に、「土地の名を美しい文字に変えなさい」と言う一項がある事を知った。
なんと「美談」は、その命令を受けてつけられた名前であったのだ。出雲国風土記の中で、「三太三」を「美談」に変えたと記述してあったのだ。
1300年の時空が一瞬にして消え、学芸員氏の気持ちがしみじみと分かったような気がした。
でも、一方では古代からずっと「三太三」と言う地名であって欲しかった気持ちがない訳でもない。

訂正を一つ。以前、国引き神話に触れたところで、うろ覚えの知識をもとにいい加減な事を書いてしまいました。色々な人の講義を聞いたり、読んだりしたら、朝鮮の新羅から一つ、隠岐からは二つ、能登半島から一つ、計4つの土地を引っ張って来たのが今のところの定説のようです。失礼しました。