映画監督の鈴木清順さんが亡くなった。
私たちは若い時から「清順さん」「清順さん」と呼んでいたように思う。映画青年のカリスマだった。干されたこともあり、不遇の名監督のイメージを持っていた。あの頃はこういう監督を熱烈に支持したものだ。高橋英樹の「けんかえれじー」や「東京流れ者」「殺しの烙印」が私たちのバイブルだった。
だが、私は「清順さん」と言えば、「大和屋竺」と言う映画監督を思い出す。アングラ映画で「毛の生えた拳銃」と言う作品があり、シナリオ研究所でも人気があって、この人のゼミには生徒が殺到した。頭脳明晰で淀みなく喋る。映画を論じた文章も明快で、こんな風に喋れ、こんな風に書けたらと憧れたものだ。なぜ、この人がこんなに人気があったかと言うと、この人が「清順一派の中心人物」と目されていたからだと思う。
「殺しの烙印」の脚本を中心になって書いたのもこの人だ。
私たちは、「大和屋さん」を、憧れの「清順さん」の片腕であり、代貸し格と勝手にみなしていて、あの「清順さん」に信頼され、才能を認められ、愛されているなんて、すごいなあと溜息をつき、羨ましく思っていたのだと思う。
「清順さん」には近づけないけれど、せめて子分の「大和屋さん」には近づきたいと言う心理が働いていたのかもしれない。
そして、鑑賞したのが、「清順さん」監督、「大和屋さん」主演の1時間物のTV映画だった。世にも不思議な物語的な番組で、打ち切りになったのか、オクラになったのか、その辺の事情は忘れてしまった。
内容は怪奇コメディーである。
「大和屋さん」演じる即身成仏したはずの坊主のミイラが現代に蘇り、断ち切ったはずの煩悩はどこへやら、女の尻を追い回すと言う抱腹絶倒のフィルムだった。
奇作というか、珍作というか、ほっぺたを赤く塗った坊主の「大和屋さん」が女を追い回す滑稽な姿を今もはっきりと覚えている。
その「大和屋さん」は若くして亡くなった。
以上が「清順さん」に憧れたけれど、縁がなかった者の思い出だ。
この話には、「大和屋さん」の続きがある。
かなり前のことになるが、大和屋さんの息子さんがシナリオライターになっていることを知った。あの大和屋さんの息子さんがライターになったのかと感慨深いものがあった。面識はない。
ところが、この人が凄かった。何と「ジャスタウェイ」の個人馬主になっていたのだ。「ジャスタウエイ」と言えば、G1馬であり、ドバイで勝って名を上げ、種牡馬にもなった。では、どうして一脚本家がジャスタウエイの馬主になったのかと言うと、この人はその前に「ハーツクライ」の共同馬主になっていたのだ。20人ぐらいで一頭の馬を所有する仕組みである。ハーツクライもすごい馬だ。ディープインパクトに勝ったこともあり、この馬もG1馬で、種牡馬になった。
私の脚本家仲間のお師匠さんは、何十頭もの馬の共同馬主になったそうだが、一頭も儲からなかったそうだ。
恐らくハーツクライの共同馬主で儲かったので、ハーツクライの子のジャスタウエィを購入したのだろうと余計な詮索をしている。
あまりにも別世界の、桁違いの話なので、羨ましいと言う気持ちも起きない。
もし「大和屋さん」が生きていたら、「清順さん」に映画を撮ってもらいたいから、金を出せと息子さんに言ったかもしれない。と、勝手な想像をした。