多胡辰敬の家訓と言われるものは26条(項目)ある。短いものはほんの数行から、長々と書き連ねたものまである。その一番目は読み書きの大切さを説いている。
「人と生まれて文字文章が書けないのは誠に見苦しい」
「意味の通った文章が書けず、情のこもった内々の手紙まで代筆させ、女性の元へ遣わすのは、人の皮を着た畜生同然である」
家訓の冒頭いきなりこの文章に出会い、私は思わずにたりと笑った。
ラブレターも自分で書けないようでは、人とは言えないぞと戒めているのだ。
戦国時代の出雲にこんな武士がいたとは。一体どんな男だったのだろう。どんな育ちをして、どんな教養を身につけたのだろう。たちまち多胡辰敬と言う武将の虜になってしまった。
こんな文章を書くぐらいだから、この人はラブレターを書いたことがあるに違いない。連歌の達人として知られていたから、そのラブレターにはきっと恋の歌が認めてあったに違いない。どんどん想像が膨らんだ。
さらに、この家訓の魅力を深めているのは、実はこの家訓は誰に書いたものか分からないことにある。
家訓と言うからには子孫に残すものであるが、これはどうも多胡家の子孫のために書いたものではないらしい。研究者にも色々な意見があるようだ。
一体誰のために書いたのか。
そこを明らかにすることが、私の拙い小説のテーマにも通じると思っている。

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           「岩山の麓から日本海を望む」
中央から右に波根(はね)湖があったが、戦後干拓されて水田になってしまった。
波根湖には尼子の水軍があったようだ。波根湖を渡ればすぐに出雲国であるから、岩山はまさに石見国と出雲国との境を守る位置にあったのである。