予告を変更。流れで、ノーシン話をもう一発。
こうして嫌々ノーシンを飲みながら、口述筆記の手伝いをしていたが、どうにも師匠の口述が進まない時があった。締め切りが迫るのに一向にやる気が出ないのだ。
鉛筆握って、1時間も2時間も師匠の側で待ち続けるのは苦痛以外の何物でもない。
今日も無駄な一日を過ごすのかとそっと溜息をついた時、師匠が不機嫌な顔で、
「おい、曽田。お前は何のためにノーシンを飲んでいると思っているのだ」
いきなりそんなことを言われても……。
まさか、正直に「お付き合いで」なんて口が裂けても言えない。
返答に窮していると、
「お前はそれでも弟子か」と、一喝!
まあ、それから、怒る、怒る!青筋立てて怒る!
「いいか、弟子と言うものはな、師匠にやる気を出させるのが一番のつとめなんだ。俺がヤクをやって、そろそろやろうかなあと言う気分になった時、さあ、やりましょうとうまくその気にさせなきゃいかんのだよ。それを、何だ、お前は。せっかくノーシンを飲ませたのに、うんでもすんでもなく、ぶすっと座っていられたら、俺だってやる気にならんだろうが。その点、中西隆三はうまかったぞ」
中西隆三(故人)さんは師匠の弟子でも古い方で、高弟格のライターである。日活や東映などで沢山の脚本を書いた。
「中西はなあ、『さあ、師匠、やりましょう』『それ、行け、やれ、行け』『一気に行きましょう』などと俺の尻を叩き、俺もやるかと言う気にさせられたもんだ。口述していても、『いいですねえ』『面白いですね』『どんどん行きましょう』『もっと行きましょう』と乗せるから、シナリオが進んだもんだ。お前もなあ、ノーシンを飲んでるんだから、それくらいやれよ。俺を乗せてみろよ」
弁解するわけではないが、私にも言い分はあった。
実は弟子になったものの幻滅することばかり続いていたのだ。
その最たるものは、師匠にはもうシナリオを書く気がないと言うことだった。もうシナリオに飽きてしまって、書くのが嫌になっていたのだ。
(ああ、そんな人の弟子になってしまったとは……)
落胆隠せぬ私の顔を見て、
「お前はまだ若いんだからシナリオを書けばいいんだよ。俺はもういいけど」
慰めにもならぬことを言われていた。
ノーシン飲んで、ヤクをやった気分になって、ハイな精神状態を演じるなんて無理に決まっているではないか。
その後、師匠は諦めたのか、私に中西さんの役割は求めなかった。
私はと言えば、シナリオが遅れると、徹夜仕事になって辛いから、中西さんほどオーバーには出来ないけれど、尻を突くことにした。

この中西さんのエピソードを一つ。
中西さんが書いても書いても、師匠はダメ出しして突き返したそうだ。
「とうとう中西の野郎、『だったらどう書きゃいいんだあ』と怒鳴り返しやがってなあ……けけけッ」と、笑っていた。
その中西さんが、師匠の一周忌で偲ぶ会を開いた時、
「マツケン(師匠のこと)はなあ、本当は気の小さい男だったんだよ」
と、語っていたことを思い出す。