ブログの第一回に何を書くべきかを考えたら、私をシナリオライターにしてくれた松浦健郎のことを書く他に何があるだろうかと思い至る。今の人は誰も知らないだろうが、この人は昭和の映画全盛の時代に映画脚本だけで三百数十本も書いた超多作の大作家だった。ただし、そのすべては娯楽作品である。その年のベストテンや脚本賞を受賞するような映画脚本は書いてはいない。だが、娯楽映画の世界では巨匠であり、大勢の弟子を抱えていた……そうだ。
と言うのは、私が弟子になった時(1969年の暮れ・私は22歳、師匠は51歳)は、すでにレジェンドであり、作家人生も下り坂であった。弟子も私一人、師も私を最後の弟子と愛し、「何とかして作家にしてやると」言ってくれた。そして、仕事の合間には、懐かしくも楽しかった自分の全盛時代の話を沢山語ってくれた。
紹介するのは、その聞き書きである。映画全盛時の貴重な裏話である。埋もれてしまうのは惜しい話ばかりである。師の大勢の弟子で生き残っているのは、兄弟子雪室俊一氏(サザエさん脚本の神)と私だけになってしまい、誰かが聞き書きを残さないと、師の事績が消滅してしまう。有名監督や有名脚本家だけが映画を作って来たのではない。名作映画だけが映画ではない。私は松浦健郎の名を残してあげたい。それが不肖の最後の弟子のせめてもの恩返しと思うのです。

次回予告。「おい、薬(ヤク)をやるぞ」