6月10日に娘が妻とオンライン面会。
孫が画面を見てニコニコ手を伸ばしたので妻もベッドから喜んで手を出していたそうだ。赤ん坊を抱っこしながら話をしたので、前回同様「いいお母さんしてる」と職員さんに嬉しそうにしていたよし。娘が8月にジュネーブに行くと言ったら「ジュネーブ!なにしに行くの?」と聞くので、国連の障害者権利条約の仕事だと言ったら「すごいねえ」と喜んでいたそうだ。
孫がハイハイしはじめたたと言ったら「ケガさせないでね」と何回も言う。通信を切る前にも言ったそうだ。
儂とガラス越し面会する時はヘリコプターで川尻に行くとか熊本に行くと言っているのだが、外国が出て来ると途端に反応が変わる。
今日6月18日は儂が母の面会。その後、妻との面会。
例によって週刊誌とみんなで食べてもらおうと島根ブドウを持って行く。原則面会は出来ない。母がロビーにいたら窓ガラス越しの面会をさせてくれる。面会は期待しないで行ったのだが、職員さんが面会しますかと聞く。面会室で出来ると言う。ビックリする。断る理由はないので二つ返事で面会させてもらう。マスクしてアクリル板越しではあるが、本当にいつ以来か分からないくらい久しぶりの面会。直接会ってスマホを使わないで話すのはやはり違う。おかあちゃんと会っている実感がする。毎日退屈なのだそうだ。色々工夫はしていてもコロナ禍では制約があるから仕方ないが本人はコロナでこういう状況にあることがよくわかっていないのだ。娘が送ってくれたラインの映像で孫と犬が帰宅したお父さんに大喜びしているのを見て、母は何度も何度も繰り返し見て声を上げて笑う。もう少しいてやりたかったが妻との面会があるので引き上げる。
車で10分強。途中カット西瓜を買って行こうと思ったら西瓜がなかったのでカットパイナップルを買って特養へ。こちらはまだガラス越しの面会。しゃべっていることの半分も聞き取れず、脈絡もなく従妹が可愛いとか(子供の時の)娘に「お父さんと一緒に寝てるの」「しっかり抱っこして寝るんですよ」とか意味の通らないことを言う。「運転手さん、発車お願いします」と言うのでどこへ行くんだと聞くと「おおさか」と言う。さすが儂も何を話していいのか分からなくなり途方に暮れる。少しでも興味を引こうと思って娘が8月にジュネーブへ行くのを知っているかと聞くと知らないと言う。国連へ行く。
障害者の権利条約の仕事だと言うと「そりゃあよかった」と言い。「国費か」と聞き返して来る。
儂は国費と言う言葉を聞いてほっとする。いかにも妻らしい言葉だったからである。最後に「国費」が聞けて良かったと自分に言い聞かせて特養を出る。

語録(35)

2009.7.1

「今日、川尻に行かんといかん」「なんで?」

「幽霊に会いに行くの」「幽霊に会ってどうするの?」

「幽霊をやっつけるの」

2009.7.4

「いま薬のませるから」

「ありがとう。感謝よ。お父さん」

「いいよ、薬ぐらいで」

「飲ませてくれないと、私だったらためておくばかりだから」

2009.7.

(おむつ替える時)

「お父さん、これ仕事だと思ってやってるの」「いや」

※義務でやっているように見えたのだろうか。ドキッとして、そう見えたなら申し訳ないと心で謝る。

2009.7.21

「お父さん、手(左手)が冷たい」

「撫でて」撫でていたら

「手を持って撫でて」持って撫でたら

「気持ちいい」

2009.7.24

「お父さん、私の代わりにトイレに行って」

「なんで、でそうなの?ウンチ?」

「うん、むずむずするの」

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妻がなにかをするので「そうそう……」と、言ったら

「いちいちうるさいね」

2009.8.5

「左足が動かないの。こんなことで歩けるのかな。ギブスしているからいいか」

2009.8.6

「お父さん、仕事、行かないの」「うん」

「やる気、ないのね」

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「濡れてるのにパット替えてくれません」

「人聞きの悪いこと言うな」

「濡れてるのに濡れてないと言います」

2009.8.25

「ヒロアキ兄ちゃん、スタイルいいね」

「おれ、お父さんだよ」

「なに、ここへ来たら、お父さんになったの」

2009.8.28

「なんでもやってもらうからさ、最近、ひとりでやりたくなくなっちゃった」

2009.9.3

「お父さん、それ好きねえ(何か食べ物)今度結婚する人に教えてあげるよ」

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「お父さん、子供の作り方忘れたんじゃない。みんな、曽田さんち、そろそろと思ってるんじゃない」

2009.9.7

「だるいの?お父さん、ここで寝てたら、かわってあげるから」
※そんな顔をしていたのかなあと反省する。

2009.9.25

(夜眠れないので足を揉んでやっていたら)

「気持ちいい。正月からありがとう。今日、若宮さんへ行かんといかんよ。大吉、引いてね。去年も大吉じゃなかったけ」

2009.10.3

「今日で川尻もおしまい」

「なんで終わりなの?」

「明日、東京へ帰るから。モモちゃん、いっぱい楽しんでおきなさい」

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「ヒロアキ兄ちゃん、どう思う?」

「おれ、ヒロアキ兄ちゃんじゃないよ」

「ヒデキ兄ちゃん」

「ヒデキ君でもないよ。誰?おれ」

「あっ、名前変えたんだ」じっと見て「なんて名前だっけ」

2009.10.8

五十六会の写真を見て

「〇ちゃん(娘)、五十六会じゃないのに入っとらすね」

「〇ちゃんが入ってるの?」

「うん、写真にうつってる」
※妻は看護学校の56期だったので同期の集まりは五十六会という。

2009.10.25

(夜、パット交換時)

「寒くないようにして」

「?」

「男の子、可愛かったんでしょ」(赤ちゃんのこと)

2009.11.5

「ヒロアキ兄ちゃん、名前がヒロアキでよかったね」

「おれ、ヒロアキ兄ちゃんじゃないよ」

「じゃ、誰?」

「曽田博久」

「違います。曽田博久は私の夫です」

2009.11.9

「今日はどんな夢を見るのかな」

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「お父さん、みそ汁ください」準備していると

「お茶下さい」

「味噌汁じゃないの」

「お茶ください」

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夕食後

「お昼ごはん何食べたか忘れたか」

2009.12.2

「先生、お父さんに似ている」

「おれだよ」

「ずいぶんそっくりな人がいるから驚いたの」

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「お父さん、ごはんじょうずになったね。今日はまずい」

2009.12.6

「私が出かけたらそこらのもの適当に食べてね」

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「おれ、ヒロアキ兄ちゃんじゃないよ」

じっと見て、「誰だっけ」

じっと見て、「もう忘れちゃった」

2009.12.

俺「いま大切にしている人は?」

「お父さんよ、今死なれると困るから。働きに行かなくちゃならないし」

2009.12.22

「お父さん、今度生まれてくる子、大切にしようね。写真、いっぱいとってやって」