第五章 出雲の武士(6

 

 尼子政久の死から一年たった九月六日、政久の葬儀が盛大に執り行われた。これこそ三沢攻めの烽火(のろし)だった。普通に考えれば弔い合戦は阿用城攻めになるのだが、周辺諸国や出雲の情勢を鑑み、経久はより大きな目標、出雲全土の完全制圧に打って出たのである。その先には周辺諸国を切り取り、さらには中国全土に覇を唱えんとする野望が煮え滾っていた。盤石不滅の尼子王国を打ち建て後継者たる孫に譲る。ただ一つそのためにのみ残された人生の全てを捧げる決意をした男の戦いが始まったのだ。その為にも国内の反尼子勢力は根絶しなければならぬ。

 安来津は沸き立った。

 膨大な兵糧や軍需物資が富田に送り込まれることになる。安来の港はその兵站基地になる。

その興奮は辰敬をも駆り立てた。借りている家に戻ると部屋の片隅に置いてある鎧櫃を部屋の真ん中に引っ張り出した。富田から運んで来たものである。黒光りする鎧を取り出すと船岡山や阿用城での苦い記憶が蘇る。今度こそ汚名挽回しなければならぬ。深く心に期すものがあった。

だが、安来津役所の天地がひっくり返るような騒ぎに比べて、小さな詰め所は冷めていた。蔵番に回されて馬齢を重ねた矢田や笹野の刀はとっくに錆びついていた。いきり立っているのは若い二人だけだった。とりわけ飯塚の焦りと苛立ちは辰敬でさえ目を背けたくなるほどだった。そんな二人を見て矢田達はせせら笑った。

「蔵番は蔵の番をしとればいいのじゃ」

 安来平野の稲刈りが終わった。

 いよいよ出陣の日が近づいた時、突然、飯塚が狂ったように詰め所に駆け込んで来た。「やったぞ、お召出しじゃ。長谷川様のご家来に取り立てられたのじゃ」

 馬廻衆長谷川家の家士が急死し人手が足りなくなったので急遽召し出されたのである。多胡家に雇って欲しくて辰敬にすり寄っていたが、実は何年も前から長谷川家の知り合いに売り込んでいたのだ。騎馬に従う侍で足軽に毛が生えたようなものだが飯塚は喜びで胴震いした。

「手柄を挙げて出世するけん。もうこげな所には戻って来んけん」

 意気揚々と出て行く飯塚を見送る辰敬は羨望を隠すことが出来なかったが、矢田と笹野の目には憐れみの色が浮かんでいた。お頭の顔からは何の表情も読み取れなかった。

 十月に入り、尼子経久は自ら大軍を率い奥出雲横田庄を目指して発進した。兄正国も片寄家に養子に行った次兄の重明も出陣したと聞いたが、富田からは何の連絡もなかった。

 この辺りには多胡家の領地があり、同じ鎌倉期に移って来た多胡一族の領地もあるが、実家の様子が漏れ伝わって来ることはなかった。辰敬は前のめりになった分だけ落胆したが連絡がないのも当然のことである。辰敬の任務は安来津の蔵番なのだから。せめて輸送部隊に加わることに望みをかけたがそれもかなわなかった。

連日、膨大な物資が富田川を遡って送り出されるのを辰敬は虚しく見送った。

 

 経久は中国山地奥深くに分け入ると一気に横田庄に侵入し、三沢遠江守為忠と庶子の三沢為国が立て籠もる藤ケ瀬城を攻撃した。

 三沢氏の本領は横田庄の西方三沢郷で、三沢城には嫡子三沢為永があった。藤ケ瀬城は為忠が永正六年に築いたもので、為忠は隠居し、三沢城は為永に譲ったのである。

 為忠為国父子は頑強に抵抗した。藤ケ瀬城の近くには真言宗の古刹岩屋寺があり古くから蔵王信仰と修験道の中心であった。その岩屋寺の寺衆、岩屋衆も藤ケ瀬城に籠城した。

 戦況は日々安来津にも届いたが、年内に大きな変化はなく戦いは越年した。

 辰敬に出来ることは二人の兄たちの武運を祈ることだけであった。

 二月に入り飯塚が五人斬りの大手柄を挙げたとの報せが飛び込んで来た。尼子勢が岩屋寺に総攻撃を仕掛けたのである。古来より奥出雲の信仰の中心であり、強大な勢力を誇っていた岩屋寺は燃え落ち灰燼に帰した。飯塚の手柄はこの戦いの中で挙げられたものである。

 詰所にどよめきの声が上がった。

 斬り殺したのは僧兵であろう。ただの坊主ではない。仏法護持、仏敵誅滅の刃を揮う精強極まりない武装集団である。

「たまげたのう、あいつ、そげに強かったとは。これで長谷川家に取り立てられること間違いなしじゃ。念願の侍になれるわけじゃ」

 感嘆する矢田の声が辰敬の脳裡に返り血で真っ赤に染まった飯塚の顔を浮かび上がらせた。赤鬼のような顔が歯を剝き勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「ふん」

 笹野が冷ややかに言い放った。

「仏に仕える者を五人も殺してただですむはずがないぞ」

 矢田は黙った。

 お頭はこの騒ぎの間もずっと背を向けて横になっていた。

 暫くして為忠為国父子は初めの抵抗はどこへやらあっさり降伏した。

 安来津に歓呼の声が上がった翌日、飯塚が死んだことが分かった。勝ち戦の祝い酒に酔った飯塚は川に突き落とされ溺れ死んだと言う。突き落としたのは岩屋衆の女房だったらしい。

「ほれ、見い。仏罰が下ったのじゃ」

 矢田は頷き、

「哀れじゃのう」

「馬鹿じゃ」

 笹野は吐き捨てたが辰敬は何も言えなかった。哀れと思い同情もしたが、武士になりたくて足掻いた飯塚と己が体面しか考えなかった辰敬とは同じ穴の狢だった。

 戦後処理は経久流だった。経久は領地の一部を召し上げたが、父子の命は助けた。経久は厳罰と温情を巧みに使い分ける。本領の三沢城から動かなかった為忠の嫡子三沢為永を意識してのものであった。

 

「くそっ」

 不意に怒声が響いた。辰敬は驚いて振り返った。お頭がこんなに大きな声を上げることはなかったからである。夢でも見ていてうなされたのかと思ったが瀬島はむっくりと起き上がった。

 富田に経久が凱旋して数日後の晩春の昼下がりだった。詰め所には辰敬と瀬島の二人きりだった。居眠りの妨げになるので窓の蔀は降ろされ入り口も半分閉じられていたから詰め所の内部はいつも薄暗い。その詰所の奥の一番暗い定位置で瀬島は俯いたまま木像のように動かなかった。まだ寝ぼけているのかと思ったら、

「三沢はどの面晒して生きておるのか……」

 独り言つように呟くと屹度面を上げ、

「降伏するなら初めから戦わなければよいではないか」

 火を吐く声だった。

「どれだけ多くの命が消えたか」

 老躯を振り絞った。お頭は飯塚の死を悼んでいたのだ。お頭は語り掛けるように続けた。明らかにそこにいるのが辰敬一人と分かった上で。

「三沢は腹を切る覚悟もなく戦ったのじゃ。本気で戦う気なら三沢城の為永も戦いに加わっていたはず。そんな戦いに付き合わされて死んだ者が哀れでならん」

「見よ、阿用の桜井宗的殿を」

 老躯が天を突いた。

「三沢とは比べ物にならぬ小領主じゃが、命を懸けて戦ったからこそ尼子の大軍を押し返し、未だに孤塁を守っておるではないか。城を枕に死ぬ気でおるからじゃ。三沢の親子には桜井殿の爪の垢を煎じて飲めと言ってやりたい」

 辰敬は息を呑んだ。世間に背を向けた、偏屈な老人と思っていたお頭のどこからこのような激しい言葉が出て来るのか。経久に疎まれて蔵番に落とされたと言う話が甦った。瀬島が犠牲を強いる無謀な戦いを諫めたのは事実だったに違いない。

「武士は最期に腹を切れるかどうかただその一点で名聞が定まるのじゃ。名を残してこそ武士じゃ」

 まさに武士ならばそうありたい言葉だが今の辰敬には遠い世界の言葉に思えた。数年前、管領細川京兆家の跡目争いに敗れた細川澄之が十九歳の若さで自害した時、辰敬は言葉にならないほどの衝撃を受け、到底自分には真似出来ないことと思った。今、初陣を含めて二つの戦いを経験し、齢二十歳をも過ぎてしまったが、十九歳の澄之には到底及ばない。

 瀬島はごろりと横になった。

 その後ろ姿を見ながら辰敬は思った。痩せた背中のこの人は、こんな自分が将来腹を切れるような武士になると本当に思っているのだろうか。そうでなければ突然こんなことは言わないはずだ。どこか認めるところがあっての言葉なら悪い気はしないが、正直に言わせて貰うなら腹を横一文字に掻き切ることなど考えたくもなかった。

寝息が聞こえて来た。

 

奥出雲を抑えた経久は勝利の余韻に浸る間もなく、東は伯耆、西は石見を窺い、さらにその隣国安芸にも食指を伸ばした。先年の備後への南下は頓挫したが大内不在の今こそが勢力拡大の絶好機であることに変わりはない。

折しも安芸の政情は混乱を極めていた。室町時代の初めまでは武田氏が安芸国守護だったことがあったが、その後、武田氏は幾つかの郡を治めるだけの分郡守護に落とされてしまった。やがて安芸国守護は山名氏となったが、世の流れで力を失い、大内氏が実効支配するようになった。ところが、義興の在京が長くなり、諸勢力が勝手な行動を取り出した。そこで義興は一緒に上洛していた武田元繁を帰国させ、混乱を治めようとした。帰国に当たっては元繁の謀反を警戒し、養女を妻として与えた。にもかかわらず、安芸に戻るや否や元繁は妻を離縁し、尼子経久の弟である尼子久幸の娘を妻とした。義興に叛旗を翻したのである。

かねてより安芸守護を望む元繁の野心を知る経久の工作が実を結んだのであった。

元繁は混乱に乗じ勢力の拡大を計った。

義興は激怒し、毛利興元と吉川元経に武田退治を命じたので、安芸の北部地域は一気に緊張した。

港にいるとこのような情報は荷物と一緒に海からも陸からも次々と入って来るが、蔵番の仕事は何一つ変わることなく過ぎて行った。世界は辰敬と無関係に動いていた。まるで辰敬は無用な人間だと言うように。

 

夏の終わりに一通の文が届いた。

きいからの文だった。辰敬が富田を出てから初めて受け取る文である。武家の未婚の男女が文のやり取りをすることなど出来るはずもなく、一年ばかり音信不通だった。この文も人手を介して届けられたものであった。

胸がざわめいた。

この秋に嫁ぐと認めてあった。富田衆の辰敬も名を知っている家で、祖母が亡くなった後、親がすぐに決めた縁談であると、自制のきいた文章で事実だけが記されていた。

ああ、声にならないため息を秋風が生垣の向こうへ運び去った。

辰敬は富田に戻ればきいがいるものと思っていた。将来を約束した訳ではないが、辰敬贔屓の祖母が可愛い孫娘と辰敬を見つめる眼差しを思い起こせば、辰敬にも彩に満ちた世界が待っていると安来津の暮らしの慰めにしていたのである。

だが、それは玉木家を牛耳る女隠居が健在でこその話で、女隠居が死んでしまったらこうなることは分かっていたことだった。だからこそきいは事実だけを墨にしたのだ。辰敬は墨痕に目を凝らした。かすかに滲んでいた。閉じ込めても閉じ込められないものが今にも溢れ出そうとしているように思えた。

 辰敬は燃やした。無用の人間にとって無用の物だった。すべては灰にしてしまうのが今の自分に一番ふさわしいと思ったのである。

それでも秋が深まって来ると嫁ぐきいの姿が浮かんで来た。そろそろ嫁ぐのだろうか、いや、もう嫁いでしまったのだろうかと。未練をそぞろ侘しい季節のせいにした。早く、秋が過ぎることを願って。

その秋が終わる前に、毛利・吉川軍は山県郡の武田方に属する武将の居城有田城を落とした。有力武将の城を落とされた武田元繁は山県郡から兵を引き上げざるを得なくなった。

安来津でもその噂で持ちきりだった。尼子方にとって毛利興元の名は忌々しくも無視できないものとなった。

そこへ、来春には義興が帰国すると宣言したと言う噂も流れて来た。安芸や備後の混乱を放っておけなくなったのだが、それだけが理由ではなかった。義興と将軍義稙(よしたね)義尹(よしただ)が改名)の不仲は修復できない所まで来ていたのだ。嫌気が差した義興が帰国したがっているのは周知の事実だった。

尼子にとっていい話ではないが、辰敬にとっては安芸の戦いも都の政争も別世界の出来事のように思えた。それが自分の将来に影響するとは考えもしなかった。

 

 借家と詰所を往復するだけの生活が続いたが、翌年の春になって辰敬は富田に呼び戻された。尼子御殿への出仕が決まったと言う。辰敬は耳を疑った。多胡家の子なら当然の出仕であるが、辰敬はすっかり諦めていたのだ。やはり嬉しかった。

 出発の朝、詰所に暇乞いに行くとお頭はいつものように横になっていた。

辰敬が声を掛けるとお頭はむっくりと起き上がった。いつもの眠そうな顔を向けると、

「若い者はみないなくなるのう。寂しくなる」

 しみじみとした声だった。

「わぬしとは二度と会うことはあるまい。今生の分かれじゃ……」

 辰敬は頭を垂れた。

「……と、思うと、将棋を指したかったのう」

 はっと辰敬は顔を上げた。

「冗談じゃ、冗談じゃ、はははは……」

 今まで一度も見たことのない笑顔があった。怒りに震える声で腹を切る覚悟を説いた老人とは思えない、まるで別人のような顔だった。

「達者でな」

 背を向けるとごろりと横になった。

 詰所を出る時、笹野が声を掛けた。

「いつまでおるのかと思っちょったが、やっと出て行くか」

「戻って来るんじゃないぞ」

 矢田が被せると笹野が笑った。

「御出世されるに決まっちょろうが」

 

 尼子御殿は経久の常の居宅であり、政務を司る尼子家の中枢である。家柄の良い者や優秀な者しか召し出されない。耐え忍んで四年、辰敬はようやく日の当たる場所を与えられたのである。認められたら経久の近習にもなれるかもしれない。仕事に打ち込むことで、きいを忘れることも出来る。出雲の武士の新しい生活を始めるのだと自分に言い聞かせながら戻って来たが、待っていたのは父と兄の渋い顔であった。

此度の出仕は父が忙しい大社造営の合間を縫って、あちらこちらに働きかけ、ようやく決まったのだが、昨日、突然取りやめになってしまったのだと言う。辰敬は呆気にとられたようにぽかんと二人の顔を見返した。

「亀井様の御縁戚に決まったのじゃ」

 父の説明では、亀井家から辰敬に決まっていた御役を譲って欲しいと頼まれたのだそうだ。亀井家は重臣で大社奉行の総奉行でもある。断れるはずがない。

 辰敬の意気込みは木っ端微塵に砕け散った。

「そこでじゃ、次にお召出しがあるまで、儂の下で働くことにしたのじゃ」

 数日後、辰敬は父に従い、馬で京羅木山を越え杵築へ向かった。意宇の平野を横切り、宍道湖に沿って出雲平野に出ると、斐伊川の大津に着いた。北に流れる出雲の大川はこの先大きく西へ曲がり、広大な低湿地や砂山の間を抜けて日本海に注ぎ込む。

 一行は斐伊川から離れ半島の背骨北山にぶつかるところまで北上すると山裾の道を西へ向った。その北山の山稜が下り落ちたところが杵築だった。

辰敬の目にいきなり天を突き刺す巨大な千木が飛び込んで来た。巨大建築の屋根に戴かれた、二本の槍を交叉したようなそれは仰ぎ見る高さにあった。およそ五丈余(十七m)はあるだろうか。

平安の昔、大社の高さは十五丈(四十五m)あったと言われ、さらにその昔は嘘か真か三十丈を越えていた(百m)と言われている。今はもうそのような高い神殿を建てることが出来ないので、仮殿式と呼ばれる建て方をしている。正殿式とは比べるべくもないが、それでも父が建てた大社に辰敬は圧倒された。

杵築へ来たのは初めてだった。北山から続く低い山を背に、三方を深い緑に囲まれた広大な神域は静まり返り、その中心に鎮座する大社は千年の静謐を凝縮したかのように荘厳だった。あの扉の奥に出雲の神様が(おわす)と思うと、辰敬は自ずと身が引き締まるのを感じた。これまで味わったことがないような敬虔な気持ちが勃然と湧き上がって来た。

 

奉行の下で働くと言っても辰敬にすることはほとんどなかった。毎日が大社見物をしているようなものだった。七年の歳月をかけた大社はほぼ完成間近で現在は神殿内部の造作に掛かっていた。実はこの中にまだ神様はいなかった。造営が終わり遷宮をしたら戻って来る。そうなったら辰敬が神殿に入ることなど出来ない。造作の進捗を見るために神殿内を歩き回っていると、辰敬はずいぶん得をしたような気分になった。

 安来津よりさらに浮世離れした世界に辰敬はいつしか馴染んでいた。杵築の春は穏やかに過ぎて行った。杵築の港にも様々な情報がもたらされる。

 春には帰国すると宣言したはずの大内義興は都を動かなかった。それどころか、遣明船永大管掌の権利を得た。これは対明貿易の利益を独占することを意味する。

 対立しているくせに義興に帰国されると困る義稙はあの手この手で義興を引き留めようとした。その弱みに義興は付け込んだのである。遅かれ早かれ帰国を決めている義興は手ぶらで帰国する気はなかったのである。

 義興のしたたかさばかりを見せつけられたが、緊張が先送りされ出雲にはほっとした空気が流れた。

 杵築の生活に慣れて来ると辰敬は富田への用事を託されるようになった。人の妻となったきいの居る富田に戻るのは気が塞ぐが、考えようによってはこの勤めは今の自分に合っているのではないかと思うようになった。もし御殿勤めをしていたら辰敬は毎日きいの婚家の前を通らなければならないのだ。

 

夏の終わり、辰敬は総奉行の亀井様への書状を託されて富田に戻った。

その夜更け、城下をざわめかせる出来事があった。守護所に忍び込もうとした賊があったのである。

 辰敬は朝になって知った。

盗賊は海賊だったとか野武士の一団で何人も死人が出たと尾ひれのついた話が飛び交い、中には吉童子丸の命を狙った刺客かもしれないと囁く者もいたが、実際のところは取るに足りない事件だったようだ。賊は一人で警固に見つかるとすぐに逃走したのであった。

 何事もなかったのは喜ばしいことだが、辰敬は遠い昔の都の京極邸に思いを馳せていた。盗賊が侵入した夜のことであった。凄まじい斬り合いの中で恐怖にすくむ吉童子丸を抱き締めた時の事を。吉童子丸七歳、辰敬は十三歳だった。

 あれから九年。出雲に下向する吉童子丸を見送ってからは八年が経つ。先年、大方様にはお目通りが出来たものの吉童子丸には会えないでいる。立派な若者になっているはずだ。これくらいの騒ぎで動揺することはあるまいが、辰敬が七歳の吉童子丸を抱きしめた夜のことを、吉童子丸は思い出しただろうか。

 ひな鳥のように震え小さな爪を突き立てしがみついた幼い少年の身体は血の気が失せ氷のように冷たかった。その身体を抱き締め温めた辰敬のことを。

長い間、会えないでいるが辰敬の吉童子丸への思いは、あの夜、吉童子丸を抱き締めた時と変わるものではない。会いたくても会えない事情は吉童子丸も分かってくれているはず。いつか必ず会いに行きます。必ず。ここからは見えない守護所に向かって辰敬は心の中でそう語り掛けていたが、ふとその心に差す翳があった。

 本当にただの賊だったのだろうか。刺客と言う噂もあった。確かに吉童子丸がいなくなればこの国の治まりに形はつく。彼の若者は未だに歴とした出雲国守護なのである。辰敬は頭を振った。忌まわしい考えを消し去るように。

 

二日後、辰敬は杵築に戻るため京羅木山のいつもの道を登っていた。慣れた山道だが勾配が険しくなると人馬共に緊張する。

不意に馬が耳を立てた。

ザザアッと山側の斜面から石混じりの土くれと一緒に人が滑り落ちて来ると、馬の鼻面をかすめさらに眼下の谷へ真っ逆さまに転落したのであった。

驚いた馬が激しくいななき棒立ちになった。辰敬は咄嗟に手綱を引き絞り、馬丁も必死に轡にしがみつきどうにか馬を御すことが出来た。

 辰敬は下馬すると谷を覗き込んだ。

 そそり立つ杉と生い茂る夏草に阻まれて谷底を見通すことは出来なかった。辰敬は馬丁と馬を残すと、木の根と夏草の蔓を頼りに谷へ降りた。

 修験者がうつ伏せに倒れていた。白い法衣は引き裂けぼろぼろで汗と土で茶色に変色していた。背負っているはずの笈はなく、頭に乗せている()(きん)も法螺貝も錫杖も見当たらなかった。金剛杖だけが近くに落ちている。声を掛けたが返事はない。微かに息をしていたので、辰敬はそっと男を仰向けにした。

 辰敬は息を呑んだ。

「多聞さん」

 凝然と見つめる目の下にあったのは、真っ黒に日焼けし、汗と垢にまみれた多聞の顔であった。干からびた海藻のような蓬髪、伸び放題の髭、深く刻み込まれた皺、げっそりとこけた頬……。五年前の船岡山の戦いで辰敬を救ってくれた時も、多聞は荒んだ従軍僧姿だったが、これほどの目を背けたくなるような凄愴を漂わせてはいなかった。

 辰敬は山道に戻ると、馬丁に怪我人の手当てをするので、この先の森の中で人目に付かぬよう待っているように命じた。

辰敬は多聞を背負って小屋爺を訪ねた。

 小屋爺は目脂で潰れそうになった目を一杯に見開いた。

「二年ぶりに現れたと思ったら、大きな土産じゃのう」