「わたしが人間であるために」の刊行記念のオンライン対談が行われた。
儂はメールを開いておいたら主催者からメールを送られてくるのでそれをクリックすればいいだけのことと思っていたら、昨夜、主催者から手続きをとっていない方はナンチャラカンチャラああせいこうせいと言ってくる。気が付いたのが遅かったので、今朝、対談の準備に忙しい娘に聞いたら、7月10日に来ているはずのメールに「てつづき」をするところがあるという。あわてて10日のメールを見る。その時はまだ時間的に早いから後でやろうと思っていて忘れていたのだ。手続きは指定場所をクリックしてメールアドレスを書き込むだけ。
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そうすると上記のような画面になる。
10時まで時間があったので、親バカは仏壇の前に座り、亡き父とご先祖様に娘があがらずにうまくできますようにと手を合わせる。ITは苦手なのでとてもすごいことをやっているように思ってしまうのである。それに、我が娘は子供の頃から自他ともに認めるチキンハートだったのである。
10時になって開始。
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右下がジュディ。右上が娘。左下は手話通訳。左上は文字通訳。並行して同時通訳。司会は二人の障害者。時間がかかるところもあるが、ジュディはどんな会議でもどんなに時間がかかってもすべての障害者が参加できるようにしていたそうだ。その精神はこのささやかなオンライン対談でも貫かれる。アジアも含めて260人ほどの人が参加したそうだ。
生ジュディを見たのはもちろん初めて。本の中にこの人が「we shall overcome」の歌声が聞こえてきたことを書いていたが、儂も同じ時代に「we shall overcome」を歌ったこともある。同年齢なのである。
懐かしさ以上にこの人のすごさを思い知らされた本であった。
対談が終わった後半は質問への答えであるが、ジュディの望みは「この本によって多くの人が人生を続けてくれることです」と言った時、儂の読み方は間違っていなかったと嬉しくなった。
ジュディの言う「わたしたちは」障害者だけではない、すべての人々を指しているのだ。
若い障碍者へのアドバイスを求められて
「他の運動にもかかかわれ」と言ったが、これはそういう人だからこそ言えた言葉。凄みさえ感じた。本当に同じ年だなんて。
右の写真はこの対談に参加した人たちの嬉しそうな顔。