第五章 出雲の武士(5

 

 政久の死に尼子方は驚愕した。その衝撃は言葉で言い表せないほど大きかった。政久は文武に秀でた武将で誰もが経久の跡を継ぎ次代の尼子を背負って立つ大将と信じていた。

 経久の嘆きと怒りはすさまじかった。

 経久は長男政久を次男国久と三男興久が盛り立てる体制を作り上げていた。三兄弟が力を合わせるこの政治的軍事的仕組みは誰もが感心し羨んだ。尼子家の未来は前途洋々、約束されたも同然だったのだ。

 経久はそれをたった一本の矢で奪われた。夢と希望は一瞬にして潰えた。

経久は国久と興久を呼び寄せると、重臣たちを総動員し阿用城に差し向けた。

(籠城勢は皆殺しにせよ。一人も生かすな)と、命じた。

 尼子の大軍は犠牲を厭わず連日連夜攻め立てた。たちまち磨石山は血に染まった。山腹を巡る柵は多くの命と引き換えに一つずつ帯を引き千切るように剥ぎ取られた。

 槍を握り固唾を呑んで見守る辰敬達にも突撃の命が下った。向かい城の柵が開かれると堰を切ったように軍勢が吐き出された。谷を掛け下る鬨の声と地響きの中に辰敬もいた。三郎助が影のように張り付いていた。船岡山の戦いの時のようにはぐれないように。

 寄せ手は一気に谷を渡り、磨石山の山腹に取り付き遮二無二に登った。すでに空堀は敵味方の雑兵たちの死体で埋まり、柵も破壊されていたので、中腹までは血に足を滑らせながらも辿り着くことが出来たが、そこから上は一歩も進めなかった。山腹は垂直に削り落とされ、空堀も深く掘り下げられていた。

 土煙をあげて大きな岩が落ちて来る。辰敬の鎧をかすめるとすぐ下にいた鎧武者を直撃。武者は絶叫して転落した。矢も雨あられと降り注いだ。

 寄せ手も負けずに矢を射かけた。

 矢の援護を受けながら、梯子を掛け鉤縄を飛ばし、戦いは一進一退となった。増えるのは血と死体だけだった。辰敬は槍を手に山腹に張り付きじりじりとよじ登った。

 不意に断末魔の悲鳴が落ちて来ると辰敬の傍らに鎧武者が叩きつけられた。桜井方の武士だ。兜が弾き飛ばされ矢は片目を射抜いていた。その苦痛に歪む顔を見て辰敬は息を呑んだ。若かったのである。歳は辰敬と変わらない。呻き苦しむ顔は死相に覆われていた。

「若、止めを」

 はっと振り返ると三郎助の顔があった。

「早く」

 辰敬は躊躇った。辰敬を見上げる見える方の目が救いを求めていた。死相の下に気品があった。死にかけているのに鎧姿が絵のように美々しい。おそらく名のある家の武士、桜井一族に連なる者かもしれぬ。初陣かもしれぬ。そう思った瞬間、自分の初陣が昨日のことのように浮かび上がった

 哀れ過ぎる。初陣でこのような死に方。

耳元で三郎助が語気を強めた。

「楽にしてやるのです。武士の情けです」

 辰敬は我に返ったがその言葉を素直に受け取ることが出来なかった。首を獲れば手柄になると言っているように聞こえたのである。

 耐えきれぬ残酷な時間だった。辰敬は目を逸らした。次の瞬間、信じられないことが起きた。瀕死の若武者が胴巻きの下から腰刀を引き抜くや、何処にそんな力が残っていたのか幽鬼の如く起き上がり身体ごと刃を突き刺して来た。鋭利な切っ先がぐさりと辰敬の胴巻きを抉る、その瞬間を辰敬は見た。死ぬのは自分の方かと思った時、若者がげほっと血を吐いた。錦繍の鎧を深々と三郎助の槍が貫いていた。

 若者は朽木のように倒れた。

 辰敬は茫然と立ち尽くしていた。鎧の傷は鶏に突かれた程度のものだった。辰敬の周りだけが静寂に包まれていた。

辰敬はまともに三郎助の顔を見ることが出来なかった。三郎助の口はへの字に曲がっていた。こんな若者に手を掛けなければならなかったことを怒ったように。

(若の敵だったのじゃ)

 辰敬は黙って頭を垂れた。三郎助に詫びたのか、若者の死を悼んだのか、己を悔やんだのか、いや、そのすべてだった。

 冬を前に尼子勢は焦ったが焦れば焦るほど戦死者を増やすばかりだった。籠城勢はこの尼子の猛攻が永遠に続くとは思っていなかった。どんな勇猛な軍勢もどんな大軍であってもその底辺を支えるのは動員された百姓たちであった。百姓たちは貴重な戦力であると同時に米を作ることで尼子の経済をも支えている。年を越せば田に戻らなければならない。無駄に数を減らし疲弊させるわけには行かない。

 一方、周辺国に目を移せば、東の伯耆や南の備後で、この隙を突いて反尼子勢力が勢力の拡大を図っていた。我が子の弔い合戦とは言え尼子の大軍を阿用城だけに集中させるわけには行かなくなっていた。経久は涙を呑んで阿用城からの撤収を命じた。

 

 喪に服した富田の正月は陰鬱な出雲の冬を一層重苦しいものにした。時間が止まったようにすべてが止まり何事も前に進まなかった。多胡家においても辰敬の日常は何一つ変わらなかった。いや、前よりもっと悪くなったと言ってよい。

 姉の夫、尼子国久が辰敬と初めて出会った時、辰敬少年が年上の子に相撲で挑んだことを思い出し、(もう少し見どころのある男と思っていたのだが)と、妻に語った話が漏れ伝わって来た。

 それに対し、辰敬の姉は、(死にかけた者を殺すことが真の武勇でしょうか。憐れみこそ武士(もののふ)にとって最も大切なものではないでしょうか)と、言ったそうだ。それに対する国久の返事は知らないが辰敬はこの姉の言葉だけが救いだった。こんなことを言ってくれたのは姉だけだったのであるが辰敬の鬱屈をすべて吹き払ってくれるものではなかった。

 ふときいを思い浮かべることがあっても、こんな時に不謹慎に思われ、悪い事でもしているようにその面影を打ち消すのだった。きいの祖母に薬を作って届ける役は辰敬が出陣した時から小屋爺に変わっている。辰敬の出番はない。することは何もなかった。出来ることと言えばただ春を待つことしかなかった。春になれば何かが変わるかもしれない。

そう思いながら春を待っていたのは実は辰敬だけではなかった。尼子経久も、尼子一門、御一族衆、富田衆、出雲州衆、全家臣、城下の人々すべてが、春のその日を待っていたのだ。

 亡き政久の妻の出産が近づいていたのである。

 三月に入り一つの命がこの世に生れ落ちた時、その産声は富田の城下に響き渡った。いや、実際には聞こえるはずのない声が聞こえたと、城下の人々すべてがそう思ったのであった。

 明るく、強く、希望に溢れた産声だった。帝王の生誕を知らせる声だった。まるまると太った男の子だった。その産声が産室から響き渡った時、今か今かと待ちわびていた経久が泣いた。我が子政久の死にも泣かなかった武将が孫の誕生に泣いたのである。

(天は尼子を見捨てなかった)

後継者が出来たのである。経久の跡を継いでくれる者が生まれたのだ。

 歓呼の声が富田の城下を震わせた。月山富田城を覆っていた暗雲は消え、天空は青々と染め上げられ、春の光に満ち溢れていた。

孫は三郎四郎と名付けられた。

経久は次男国久と三男興久に孫(尼子詮久、後に晴久と改名)を支え、盛り立てることを命じた。

経久はこの日から鬼になった。鬼の残りの人生は孫の成長を楽しみ自分の後継者として相応しい武将に育て上げ、自ら築き上げた尼子の王国を譲ることに捧げられたのであった。

(長生きしなければならぬ)

 

 春も終わりに近づいた頃、辰敬の奉公が決まった。

「安来津の役所じゃ」

 辰敬は思わず耳を疑った。聞き間違いかと思ったほどであった。安来の港の交易や維持管理を司る役所である。

安来津は富田川の河口に近く古来より朝鮮とも交流のある中海の良港である。外国船や日本海航路の荷はここで小舟に積み替えられ富田城下まで運ばれる。逆に上流から運ばれて来たたたらはここから積み出される。重要な港の役所であるが、多胡家の子の初勤めには場違いな部署と言えよう。辰敬は落胆した。そう伝えた正国の顔も苦かった。兄や父が働きかけても尼子御殿や城下の役所などへの出仕は叶わなかったのだ。辰敬は改めて身から出た錆の大きさを思い知らされた。無断で八幡の大方様に会いに行ったことや、阿用城の戦いでの失態が祟ったのであろう。多胡家の面汚しだ。辰敬は申し訳なさに身を縮め、正国は太いため息をついた。

大急ぎで支度をすると、二日後、辰敬は身の回りの世話をする小者を一人連れて出発した。小者が引く馬には鎧櫃と衣類や布団などの当座の生活に必要なものが積まれていた。都のような遠い処へ行くわけではない。城下とは三里と離れていない。出発するに当たって、兄はなるべく早く戻れるようにするから家名に傷をつけぬよう励めと言い渡した。母は不憫だと涙ぐんだが、辰敬は兄の言葉を信じ一年か二年の辛抱と己に言い聞かせた。

 

 懐かしい潮の匂いが胸に広がった。

だが、少年の日、小さな胸を膨らませた瀬戸内の潮風の甘やかな優しさは微塵もなく、ただ塩辛いだけだった。港には何艘もの日本海航路の船や異国船が停泊し、その間を無数の小舟が行き交い、水夫や人足たちの声が飛び交っていた。その喧噪の真っただ中を辰敬は大小の蔵が立ち並ぶ方へ歩いていた。安来津役所に到着した辰敬は蔵番の見習いを言い渡されたのであった。蔵番の詰め所は大きな二つの蔵に挟まれた小さな建物だった。

屯している短袴の番人達の無遠慮な視線を浴びながら土間に入ると、じろりと六つの目が迎えた。上がり框に三人の武士が腰を下ろしていた。三人は辰敬の足の爪先から頭の天辺まで値踏みするように見回した。

「蔵番を命じられた多胡辰敬と申します」

 神妙に挨拶したが三人は無言で顔を見合わせた。

 当惑したように立ち尽くしていると、板敷きの奥から「うむ」と呻き声がして、もぞもぞと気配がすると、机の向こうにむっくりと小さな人影が起き上がった。老年の武士だった。

「ふうっ」と、眠たげな金壺眼を向けた。

 上がり框の三人が尻をずらし居ずまいを正した。この老人が蔵番の頭、瀬島平七だった。瀬島はしかめっ面で首を傾げた。

「……多胡様のお子がなしてこげな所に御出でになるのか分からんが、特別な扱いはせんけん。そのつもりで奉公するのじゃ」

「はい」

 辰敬は先任の三人にも挨拶を済ますと、その日は安来で暮らすことになる家に荷を運び込んだ。蔵番は近くに住まいして通っているので、辰敬も小さな家を借りたのである。

 翌朝、出勤すると、すでに瀬島は昨日と同じ場所に横になっていた。三人が出勤して来て全員が揃うと、瀬島は大儀そうに起き上がり、不機嫌な顔を辰敬に向けた。

「わぬしに言っておくことがある」

「はっ」

 辰敬は緊張した。

「小者は富田へ帰せ。わぬしは見習いじゃろう。見習いに小者はいらん。多胡様のお家のことは知らんが、ここは蔵番じゃけん。郷に入っては郷に従えじゃ」

 辰敬は頬を染めると頭を垂れた。

 三人がうっそりと笑う気配がした。

 瀬島は三人の中で一番若い飯塚に辰敬の面倒を見るように命じた。辰敬よりは二つ、三つ年上に見えた。

 辰敬は飯塚の後に付いて港を回った。

「わぬしはいいのう、どうせ一年もすれば戻れるに決まっとる」

羨ましそうな声だった。

「何があったか知らんが、せいぜい頑張ってくれ。蔵の番をしていればいいだけの楽な仕事に見えるが、奴らは油断も隙もねえからな」

 蔵を出入りする人足たちに鋭い目を向けた。

「荷を抜き取ろうとするから目を離してはならねえ。だが、一番油断がならねえのは……」

 ちらりと肩越しに目をやる。

 棒を持った短袴の番人が二人、付いて来ていた。

「あいつらだ」

 口を歪めて笑った。

 こうして二日目が終わったが、二、三日したら皆の辰敬を見る目が変わった。

 辰敬が煮炊きも掃除も洗濯も器用にこなしていることを知って呆気にとられていた。

 辰敬は笑った。十一歳で上洛した辰敬はいきなり木阿弥にこき使われ徹底的にしごかれた。十七歳まで自活し縫物もできると言うと飯塚たちは感心した。

爾来、中年の二人組、矢田と笹野はしきりに都の話を聞きたがった。女好きの笹野が下卑た顔を摺り寄せ、都の辻子君の話をせがむのには閉口させられた。

 飯塚は年長の二人とも不始末があったらしいと言い、ここは吹き溜まりだと吐き捨てた。

 お頭の瀬島は数年前は伊予様(経久)の側に仕えていたが、ある戦いで伊予様の作戦に異を唱えたために不興を買って、ここへ送り込まれたのだと教えてくれた。その戦いは勝つには勝ったが瀬島が危惧した通り多数の犠牲が出たのだそうだ。

 飯塚は元は百姓の次男だった。百姓が嫌で安来津の役所の下働きに雇われていたのだが、ある時、蔵を破った盗賊を退治し、その功で蔵番に取り立てられたのだ。だが、蔵番に満足していなかった。何とかしてこの吹き溜まりから抜け出したいと足掻いていた。

「そうじゃ、わぬしが富田に戻る時、儂を連れて行ってくれんか。多胡家で雇ってくれんかのう。盗賊を三人も捕まえたんじゃ。腕に覚えはあるぞ」

「わには無理じゃ、無理じゃ。そげなこと」

 慌てて手を振ったが飯塚は諦めきれぬ顔だった。

 

 瀬島は報告を受ける時以外は寝転がっていた。相変わらず近寄り難かったが、辰敬は仕事にも慣れ、暇な時間には木剣で素振りを励んだ。

 梅雨が明けた。見回りから上がった辰敬を矢田が釣りに誘った。二人は港の外れで釣り糸を垂れた。夕方の釣りは気持ちよかったが、釣れたのは木の葉よりも小さい鯵ばかりだった。

「こげなこまいもんはいらんわい」

 矢田が捨てたものを辰敬は持ち帰り油で揚げ塩を振った。

 辰敬は小鯵の唐揚げを矢田に届けた。矢田は怪訝な顔で覗き込んだが、油の匂いにつられてかりかりに揚がった小鯵をつまむとぽりっと齧った。

「うまいのう」

 まん丸の目に力を得て辰敬は笹野と飯塚と瀬島にも届けた。瀬島はじろりと一瞥し黙って受け取った。

 翌日、詰め所は小鯵の話題で盛り上がった。

 辰敬は木阿弥が琵琶湖の小魚を油で揚げていたのを思い出し、小鯵で試してみたと説明した。都でも油で揚げものを食べるのはごく限られた人たちだけと言うと三人は満足げに頷いた。

矢田は早速明日も行こうと誘ったが、油がなくなったので断った。皆、残念がりまたいつか作ってくれと頼んだが、瀬島だけは会話に加わらなかった。

 その数日後の昼下がりだった。早めに仕事が終わり、辰敬が詰め所に戻ると、

「おい、ちょっと来い」

 瀬島が声を掛けた。この間、瀬島とろくに話をしたこともなかったので、辰敬は驚いたが、それよりも驚いたのはいつも寝転がっている瀬島が胡坐をかいて座っていることだった。

 何事だろうと板敷きに上がった辰敬は、瀬島の前の将棋盤に目が止まった。

「やらこい」

 いつもは濁っている目が輝いている。辰敬は窮した。将棋を誘われるのは一番困る事であった。必ず相手を不快にしてしまう。これまでにもどれだけ不興を買ったことか。頭が辰敬に対しこのような和やかな顔を見せたのは初めてだけに辰敬は一層気が重くなった。

 瀬島が早く座れと促した。

 辰敬は膝を揃えて座ると両手をついて頭を下げた。

「申し訳ございません。将棋は親に止められております」

「何じゃと」

 さっと顔色が変わった。

「蔵番の頭とは出来んというのか」

「いえ、御屋形様の前で将棋を指したほかはどなた様に所望されてもお断りして来たのでございます」

 帰国してすぐに小屋爺にせがまれて指したのは辰敬にとっては将棋を手ほどきしてくれた特別な老人だったからである。

「多胡家では囲碁将棋は固く禁じられているのです。これは親との約束で御座いますから、破る訳には行かないのです」

 瀬島は鼻白んだ。

「付き合いにくい家じゃのう。多胡家とは」

 ぷいと背を向けるとごろりと横になってしまった。

 その様子を窺っていた者たちがいた。辰敬が浮かぬ顔で出て来ると、笹野があからさまにため息を吐いた。

「またお頭の機嫌が悪くなあが」

 矢田が相槌を打った。

「わしらまでとばっちりを食うんだぞ、いい迷惑じゃ。将棋ぐらい付き合えばいいに」

 辰敬は肩をすぼめて通り抜けた。

 笹野の言葉通り瀬島の不機嫌は続いた。そこへ暑気も加わり港の詰め所は息が詰まりそうだった。

 数日後の夕方、仕事を終えた辰敬が詰め所を出ると、物陰から飯塚が現れ汗ばんだ身体を摺り寄せて来た。

「おい、遊びに行こう」

 ぬめっとした目で誘った。

「ええおなごが入ったらしい」

港から少し外れた富田川の河口に安く遊べる場所があった。この手の誘いも辰敬にとっては難儀なものだった。行ったことがないわけではない。鬱屈が高じた時、富田の悪所に忍んだが素性がばれたことがあったのである。主が内緒にしてくれてことなきを得たがそのような幸運は二度と望めまい。兄の怖い顔が浮かんだ。即答できずにいると、

「多胡家では女遊びも禁止なのか」

「いえ、そういう訳では……」

「だったら、ぱあーっと行かこい。気分を変えんとやっておれんじゃろう」

「はあ…‥」

「なんじゃ、行きたいのか、行きたくないのかどっちじゃ。この前、うまいもん食わせてくれたけん、今夜は儂がええおなごを紹介しちゃろうと思っとるんだぞ」

白けた顔でため息をついたところに、ぬっと矢田が顔を突っ込んだ。

「儂が付き合うが。ほっとけ、ほっとけ、こげなお坊ちゃん」

 そこへ、笹野も鼻の下を伸ばして割り込んで来た。

「ええ、おなごと聞いたら黙っちゃおれんけんのう。どげなおなごじゃ」

「わぬし今夜は見回りじゃろうが」

 矢田が呆れると笹野は下卑た顔を辰敬に向けた。

「代わってごさんか」

 辰敬が渡りに船と頷くと、三人は飛ぶように立ち去った。

 詰所に辰敬が引き返して来ると、帰り支度をしていた瀬島が怪訝な顔を向けた。

「見回りを笹野さんと交代しました」

 瀬島は理由を聞こうともせず、苦虫を噛みつぶした顔で出て行った。

 蔵番勤めは前にも増して気詰まりなものとなった。孤独と港の暑さに耐える日々が続いたが、さしもの夏の暑さも衰え、涼風が吹いた日、港を震撼させる報がもたらされた。

 三沢攻めが決まったのである。

 奥出雲に君臨する三沢氏は出雲の国人領主最大の勢力である。尼子氏とは常に対立していた。文明八年、守護代尼子経久が幕府から追放処分を受け、人生最大の窮地に陥った時にも反尼子の中心勢力だった。経久にとっては不倶戴天の敵である。経久は何年も前からじわじわと圧迫を加えていたがついに正面から決戦を挑む決断をしたのだ。