曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

正月三が日はお寺の修正会(しゅじょうえ)で三、四年前から参加しているが、今年は正月に赤子連れの娘一家がいるので一日目は休み、二日目と三日目に参加する。とはいえ犬がいるとこれが結構大変なのである。一匹だけ残されると多少慣れてきたとはいえ、朝の6時半前から私が出て行ったらパニックを起こすのは目に見えている。ウンチやオシッコをもらすので、出かける前に散歩してウンチとオシッコをさせておかねばならない。ストレスの解放にもなる。5時過ぎに起きてバナナ一本食べてから散歩に出かける。
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冬の朝の5時半に犬の散歩をする者などいない。真っ暗闇を懐中電灯持って散歩。お寺もまだひっそり。幸いだったのは春のような陽気で寒くなかったこと。30分弱散歩して、帰宅したら餌をやってからお寺へ。出る時、後追いして鳴く。修正会は6時半から7時まで。今朝の参加者は23人。前日は30人だったそうだ。皆、少なくなったと言う。
①般若心経を3回唱え、②大般若経転読(お経をアコーディオンみたいにぱらぱらとめくってお経を唱える)③消災妙吉祥神呪(しょうさいみょうきちじょうじんしゅ)を3回唱える。④観世音菩薩普門品偈(かんぜおんぼさつふもんぼんげ)を唱え⑤白隠禅師座禅和讃を唱え⑥四弘誓願(しぐせいがん)を3回唱える。終わったら梅茶を頂戴して帰る。
留守にしていた時間は1時間もないのにウンチをしていた。
そして今日が最後の三日目。天気予報は雨。散歩もしないで留守番させたらどうなることやらと思いながら外を見たら地面は濡れているが雨は降っていない。今のうちにとまた朝っぱらから散歩。途中ほんのわずかに降ったがたいしたことなく、今朝は37分も散歩する。
今朝の参加者はまた減って20人。昔は75、6人出ていたのにと畑先生が嘆く。
今朝は④が大悲呪(だいひしゅ)に変わる。帰宅したら37分の散歩がきいたのかおもらしは無し。
だが今日はこの後がまだあるのだ。11時から修正満散会があり、その後、お寺の総代世話人会がある。会計報告などがあって仕出し弁当で会食もあるのだ。雨が降り出したが2時間は留守にするので10時からまた散歩に行く。雨が強くなったので23分ほどで逃げるように帰る。満散会では①③⑤⑥の4つのお経を唱える。帰宅したら何とおもらしはなし。二日目で慣れたのか、朝から二回も散歩したので満足したのか。
お寺の行事が終るとやっと正月が終った気になる。
が、お昼の会食の席で隣の総代(長)さんが私に役職の一つを替わりに務めて欲しいと持ち掛けて来る。市内の臨済宗の集まりの役職をやっている上にまたなにやら役職を務めなくてはならなくなり、ちょっと大変なので手伝って欲しいと頼まれたのだ。私と同い年でもう十数年も総代の長をしている人の代わりを全く素人の名ばかりの総代の自分に勤まる訳がないと断ったのだが、自分も全く何もわからないでやって来た。「大丈夫!大丈夫!」と言ったのが私の父なのである。父は総代の長をやるのがしんどくなって、いきなり自分の息子と同い年の今の総代さんに押し付けてしまったのだ。そのいきさつは何度も聞かされているので、私としてもむげに嫌ですとも駄目ですとも言いにくいのだ。これまでは妻の介護で大変だからと皆、大目に見てくれていたのも事実である。その場は考えておいてくれと別れたが田舎では都会で暮らしているような自由な年寄りになって、ほどほどにスポーツしたり、芝居を観に行ったり、酒を飲みに行ったり、本を読んだり、旅行をしたり、そんな生活は望むべくもないのだろうなあと思うのだが、酒は飲めないし、旅行するくらいなら田園を友にした方がいいし、考えてみれば本質的に田舎人間に出来ているのだ。だから帰郷したわけだし。
実はこの他にも、今年の隣保の役員改選でも、何と農協の役員の一つを頼まれているのだ。農家でもないのに農協の役員なんて無理でしょと言ったら、その人もこう言ったのだ。「大丈夫!大丈夫!」

松江に移住して来た娘一家が12月4日に生まれた二人目の孫の顔見世をかねて大晦日から泊りがけで正月をするために来てくれる。正月には娘が2ヶ月入院している間、ずっとお世話をしてくれいた娘婿のお母さんと東京から来てくれたお父さんも挨拶に来られるのて両家合同でお正月をする予定になっていたのである。12月に生まれた女の子に会うのは初めて。生まれて1週間はICUに入っていて面会できなかったこともあり、私も事故を起こしてから松江に行くのがおっかなくて面会が延び延びになっていたのだ。大晦日はカニすき鍋で賑やかに過ごす。
正月は本当ならお寺の修正会が6時半からあるのだが、私が起きると犬も起きて騒ぐので、初日は休み、いつもは7時に起きるのだが、7時45分に起き、娘一家はまだ寝ていたのでそっと犬を連れていつもの散歩へ。
昨日は終日大雨だったが今日は一転春のような陽気。
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途中の田圃は鴨の群れ。散歩も娘一家にいっぱい眠ってもらいたいので今日は大サービス。夫婦橋を過ぎ、鍛冶屋前橋を過ぎ、荒茅大橋まで行く。8時過ぎにはこの橋を右(北)へ行く車が続く。みな出雲大社へ行く車である。
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荒茅大橋の手前で見た虹。よく見ると途中までだが2本出る。すぐに消えたが正月にいいものを見た。
8時45分前に帰宅。さすがにみんな起きていたが、何と婿さんのお母さんが発熱して来られず。娘入院中は2ヶ月も泊まり込みでお世話をしてくれたのだから無理もない。娘が退院してからはウイークリーマンションに滞在して貰っていて、そこにお父さんも来られていたのだが、ゆっくり休んでいただくことにして、娘一家とだけ正月をする。
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1ヶ月にもならない赤ん坊は怖くてとても抱けない。覗き込んで指でつつくだけ。
2歳4か月の長男とは事故を起こして以来だから2ヶ月超ぶり。急に「おっぱい飲む」と言い出し、夜泣きもするようになったと聞き、不憫になって思いっきり「いい爺爺」になってやる。
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松江に帰る前に、私と婿さんと孫とワンコとで初詣にゆく。出雲大社には行けないので集落にある大年神社にお参りする。今年は我が集落が秋祭りの当番年になっている。5年ごとに回って来るのだ。昔通りにやるのか縮小するのかまだ何も決まっていない。綺麗な行列や神楽を見たら孫は喜ぶだろうがどんなお祭りになるのだろうか。

今日30日、母を帰宅させる。10時から1時まで。今日の帰宅の目的はいつものようにお茶飲んで娘たちとスマホで話をして昼ご飯を食べるだけではない。正月料理の赤貝を煮てもらおうと思ったのである。島根県では正月料理といえば必ずこの赤貝を煮たものが出る。小学生の頃、大きなすり鉢に一杯の赤貝を見てたまげた記憶がある。
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昨日イオンで700g980円で買って塩水につけて置いたものをよく洗って貝殻の汚れを落とす。
今は島根県産の赤貝は採れなくてなって有明海とかよそから取り寄せている。寿司ねたの赤貝とは全くの別物で、正式名称はザルボウガイと言う。生では食べない。
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酒と醤油と砂糖を適当に入れて煮る。
96歳の辰年である。認知症が進んで行くだけにまだ出来ることがあるのは子としても嬉しいし、本人も頼られるのは嬉しいだろうと思いついた次第である。
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完成。後でネットで調べたら酒3醤油1で煮ても美味いらしい。
台所の隣の部屋は陽がさんさん。春のような陽気でよかった。
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トイレに行って戻って来たら、椅子から立って洗い物をしている。「駄目じゃないか、座っていろと言ったじゃないか」と思わず、大声に。10日ほど前に転んで救急で運ばれ、1日入院したばかりなのである。その時は幸い大過なかったが、転ばれるのが一番怖いので、私は母の側を離れる時は必ず動くなと言い含めておくのだがすぐに忘れてしまう。特に今日は石油ストーブを点けていたので声も大きくなるわけである。習い性ですぐに流しに立って洗い物をする。96になっても女は流しに立つものと身体が勝手に動いてしまうのだろう。
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12月の初めに生まれた孫娘の子(曾孫)の名前を書いていた。字は書ける。
週刊誌も読む。買っておくのを忘れたので、夕方、買い物に行った時に買ってグループホームに届ける。字を書いたり、本を読んだりは出来る。少しでもその能力を維持してほしいと願っている。

今の赤貝と昔の赤貝について、興味ある記事を読んだ。
その人は自分が子供の頃食べた赤貝は今の赤貝より小さく美味しかったと言っていたのだ。
ところが、今日、以前のブログに登場したK子さん(86歳)(私を小学生の時子守してくれた人)が「どこそこで採れる赤貝は小さいけど美味しいのよ」と言ったのである。「どこそこ」を聞き漏らしたので今度確かめようと思っているのだが、今我々が食べている赤貝は県外産だから、昔の島根人が食べていた赤貝は本当は小さくて、実はもっと美味しかったのかもしれない。

【追記】
大晦日、昨日のK子さんから「餅」と「いちご」をあげるから取りに来てくれと言われて行き、その時、昨日の赤貝の話を確かめる。K子さんは中海で養殖した赤貝だと言う。出雲市内で扱っている業者は一軒だけで一般の店には出回っていないと言う。もっと詳しく聞いて、わかったら教えてくれるそうだ。
出雲で赤貝が採れなくなった頃に中海に移して育てたのだろうかと推測するがどうなのだろう。
昨夜、ふと思い出したのだが、そういえば赤貝は確かに今のようには大きくなかった。今より小さく豆のように丸まっていた姿を思い出したのである。いつの時のことかわからないが確かに貝殻は丸く膨らんでいたように思う。来年はこの赤貝を手に入れようと思う。

別な人の意見では、最近、中海産の赤貝が出回っているが昔の赤貝よりは小さいと言っている。中海産の赤貝が小さいことは確かなようだが、昔の赤貝との違いや、中海産の赤貝の来歴などはもう少し調べないといけないようだ。

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