曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

白内障手術の経過。
10月13日、8時までに食事をすませ、9時に島根医大トリアージ検査センターへ行く。8時半に着いてしまって30分待つも一番でPCR検査を受ける。
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  トリアージ検査センター         島根医大
結果が出るまで、島根医大で入院手続きをすませて待機。一時間待って携帯に陰性の通知があったので指定のB棟8階へ。すぐに835号室へ入院。医大の眼科の白内障手術は前日入院。翌日手術して退院が原則。但し、私の場合は一人もんで片目で帰って食事の支度など大変そうなのでもう一泊して2泊3日にしてもらった。
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   835号室南側の窓           昼食
すぐに昼。魚のカピタ、煮物、酢の物、ご飯。私は脂質の高いものは食べないことにしているのでカピタの衣を剥いで、中の白身魚だけを食う。看護士から明日の手術のあらましを聞き、食後に1日4回の目薬(これは11日から続けている)を差したら他にすることはない。
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                     夕食
パソコンを持ち込んだが書き物をする気にならず、妻の葬儀の写真を整理する。ささやかな家族葬をしたが、妻への感謝を込めてアルバムだけはきちんとした物を作りたいと思って、写真屋さんに頼んで写真を撮ってもらっていた。それが400枚以上あり、その中から選ばないといけなかったのだが、忙しくて時間がとれなかった。こういう時でないと出来ないので、11時頃から始め、昼食を挟んで延々4時過ぎまでかかる。100枚ちょっとあり、後は写真屋と相談。もう少し減らさないといけないだろう。
夕食はエビフライとイカリングに煮物と冬瓜スープ。脂質が駄目な人に今度はフライときた。これまた衣を剥いで食ったが、食った気がしなかった。夕食後、明日手術をする主治医が来て明日の手術の説明をしてくれる。前日入院のよかった点はここで先生と話を出来たことか。明日一番目が9時からで、私は2番目で9時半から。術前に30分置きに4回目薬するので朝が早くなる。多分、それで前日入院になるのではなかろうか。
9月14日。
9時半ごろ看護士が迎えに来て車椅子で手術室へ。目を動かすなと言われていたが、頭を固定されるのでまず頭が動くことはない。眩しい明かりを一生懸命見ている。小さなランプなのだろうか三つの光が眩しい。朝から薬を入れているので全然痛くない。注射も痛みなし、始まったら何やら視界をさざ波のようなものが流れて行く。そして何やら水のようなものがびちゃびちゃと流れて行く。すると三つの光が見えなくなって視界が暗くなる。その前後だったか「レンズを入れる」と言う声がして、やがて視界が明るくなり、三つの光が見えて来るが、今度はその三つの光の先端がくっきりと見える。ただ白く光って見えていただけだったのだが、その先端は何か繊維のようなものが束になって光っているように見えた。良く見えるようになったのかなと思う。それで手術は終わる。ほんの30分ほど。後は翌朝まで眼帯。
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この日は一日を持て余す。片目で一日過ごした経験はない。目は痛くはないがやはりどこか重ぐるしい感じはする。歩いていてもなにげにふらふらする。ベッドに同意書が落ちていたので手に取ってみたら裏にまだ2枚紙が留めてあって、手術の詳しい説明があった。それを読むと水晶体に器具を挿入して水晶体の濁りを取り除き(超音波水晶体摘出術)、水晶体の袋に眼内レンズを挿入するとちゃんと書いてあるではないか。また、やってしまった。私の悪い癖である。説明書とか取り説とか絶対に読まないものだから、こんなことになるのだ。これを読んで手術を受けていれば状況がすべて分かっていたのに。
10月15日
一晩寝たら右眼の違和感は綺麗に消える。朝、先生が来て眼帯を取ってくれる。散瞳して確認する。異常なしで退院だが、散瞳して瞳孔が開いているので右眼が眩しくて、目がよくなったのどうか分からない。10時に車で帰る。イオンで昼と夜の買い物をする。
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退院の心得を読んだら、1ヶ月は農作業は慎めとある。左目は28日に受けるから、11月の28日まで農作業は出来なくなる。どうするんだ。玉ねぎも空豆もえんどうも植えられない。20日には早生の玉ねぎを植えようと思っていたのに。
ゴーグルを引っ張り出して来る。これは電動のこぎりを使うときの目を守るゴーグルである。
帰宅したら12 日に植えた春波キャベツの苗がしなびていたので、ゴーグルして畑に出て水をやる。
コンビニ買い物に行く時もゴーグルをする。外出しないと生きていけないので、ゴーグルで目を守りながらなるべく埃ぽいところには行かないし、風が強い時には畑にも出ないようにするしかない。
試しに、多胡辰敬の家訓が載っている文庫本を開いてみる。手術前は読みづらくて往生していたのだがなにげに読めるではないか。片目手術してここまでみえるようになったのなら、左を手術すればきっともっとよく見えるようになるだろう。文庫本が読みにくくて困っていたのだ。

入院と言っても白内障の手術である。一回目が明日で13日入院。二回目は27日入院なので10月はどの程度農作業が出来るのか分からない。多分、退院してすぐの農作業は埃が目に入ったりするので無理と思い、入院前に畝だけでも作っておき、あとは植え付けだけすればいいようにしておこうとしゃかりきに畑を作った。
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9月25日             10月8日
左)雑草を削り取って燃やした跡に、苦土石灰撒いて、888の化成肥料を撒き、乾燥鶏糞を撒き、一週間後にミニ耕運機をかけたのだが、雑草を削り取るまでが一苦労だった。ナスを引っこ抜いて燃やし、一面に覆い尽くしていたカボチャを抜いて燃やすのに、ナスもカボチャもなかなか乾いてくれないからひどく時間が経ってしまった。その間、孫たちの相手やお盆、49日もあったから疲れて畑どころではなかったところもあった。9月も25日になっても何も作っていなかったなんてことはこれまではなかったことである。
右)全面、耕運機をかけた後に、ご丁寧に牛糞たい肥を8袋も撒く。畑先生は「そげに肥料をやるか」とたまげていたが、ニンニクは肥料食いだからバンバンやるんだと笑って答える。
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10月9日             10月10日
左)牛糞たい肥を耕運機ですき込む。ふかふかの畑が出来た。
右)9日から10日にかけて、一気に畝を作り、手前から玉ねぎのマルチを張り、次の畝はえんどうなどの豆類の畝。次の二つの畝はニンニク用のマルチを張った。
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10月10日
左)去年採って干しておいた青森ニンニク。24個。
右)ばらばらにすると166片あった。左のニンニク片は小さ過ぎて使えないやつ。
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10月10日             10月10日
左)早速、ニンニク片を植える。横に2個、3個、2個、3個…と適度に間隔をあけて植え付ける。
右)押し込んで上から土をかける。全部で一畝に150個植える。
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10月10日             10月10日
左)計算間違いしていて、もう一畝分のニンニクがなかったので、急遽ジュンテンドーに青森ニンニクを買いに行く。一袋3球いりで税込み558円。8袋買う。
右)もう一つの畝にも買って来たニンニクを植える。150個。
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10月12日
畝は6つ(玉ねぎ1,にんにく2,えんどうなど1,空豆2)の計6つ作るつもりだったら、計算違いで空き地が出来てしまい、結局8つも畝が出来てしまったので、急遽マルチを張り極早生の春波キャベツの苗を植える。こんなに大急ぎで畝を作りちょこっとだけど植え付けまでしたのは我が百姓歴史初めてのこと。後は白内障の手術の間に目と相談しながら玉ねぎと空豆を植え、11月の中旬にエンドウ類の豆を撒いて、今年の畑は終了の予定である。ああ、忙しかった。

7月31日に葬儀が終り、8月5日に息子一家が帰り、8月10日に娘一家も車で東京へ戻ったら、すぐにお盆。8月12日が棚経。その後、8月22日が何とご先祖様の150回忌。去年100回忌の時、和尚さんの奥さんに100回忌をする人なんているのかと問うたら、あっさり「はい、いらっしゃいますよ」と言われていたので、今年はなにも言わずに粛々と150回忌をすます。すると9月3日が娘の都合で早くした49日の法要。9月4日に娘と孫がサンライズ出雲で帰京した翌日、ふと芋はどうなっているのか気になる。もう掘っていい時期なので慌てて掘る。

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9月7日 ツル切りする。左が安納芋。右がシルクスィートのうね。
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9月8日 左:安納芋。右:シルクスィート
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シルクスィート。一株に山のようにできているものもあれば、右の写真のようにたったこれだけのものもあれば一個もできてないものもあった。安納芋も同じく出来不出来の差が大きかった。同じ畑に植えたのにどうしてこんなに差が出たのか皆目理由がわからない。救いはたくさん植えたのでまともにできたのが6割5分ぐらいだったがそこそこの数にはなったので東京にどかんと送る。

9月10日、自分でも少しは食べようと思い、TVで見た「芋御飯」を作る。
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2合の御飯にアルミ箔に包んだ芋と昆布を入れて炊く。炊き上がったら取り出す。
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芋を戻して、芋を崩しながら御飯と混ぜる。
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痩せた秋刀魚を焼いて芋御飯を食う。芋御飯は旨かった。

9月14日 満中陰明け、49日目の仏膳に冷凍していた芋御飯を盛って供える。
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49日の間、毎日、仏膳を出すのはさすがにできなくて、遺影に「ごめんな」と謝りながら、二、三日に一回御供を出していた。最後の日も「ごめんな、俺の作った芋を食べてくれ」と言いながら御膳を供えた。
右の写真はその日の、私の朝食。チンして作ったオートミールのおじやにチンした薩摩芋を放り込んで食べた。薩摩芋が入ると腹持ちがよく、美味しかった。朝食レパートリーが一つ増えた。

薩摩芋で今年の収穫は終わり。本当なら8月から次の準備をしなければいけないのだが今年はほとんど何もしていない。10月に入ったのに種も撒かなければ苗も植えていない。さてどうしたものかと思案中である。

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