曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

炎熱地獄の草削りで雑草退治が終わったわけではない。東の畑の雑草はまだ完全に取り終わらず。西の畑はほぼ退治したが、畑周りに強敵中の強敵が残っている。手を出しかねて何年も放置していたのだがそれも限界、これ以上畑に進出されると困るので覚悟を決めて退治に乗り出す。
それが貝塚の塀の横のハマスゲの密集地。
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世界最強の強害雑草と呼ばれている。豆粒のような芋で地中深く広がり、一つでも取り残すとどんどん際限なく広がる。ようやく3分の1ほど退治したところ。小さな芋は地下2、30センチまであるので根こそぎスコップで土ごと掘り起こして取る。
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必ず取り残しがあるので取っても取っても
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生えて来る。これを放置しておくとあっという間に増えるので、根気よくまた掘り起こして取る。
お盆が終わった後は天気がいい日はひたすら「今年こそハマスゲを何とかするぞ」と意地になっていたので、9月になり薩摩芋を掘らなければならない時期になっていることをすっかり失念していた。
農作業帳を見ると5月13日に植えていて、110日で掘ることにしているのでちょうど7日頃が収穫時と分り、慌てて今朝「紅はるか」を掘る。
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植えてから放置。何もしなかった薩摩芋。ためし掘りしたらちょっと細いけれどまあまあ。
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つるを切り、マルチを剥がす。苗を垂直植えしたので深いところに芋が出来ていることを危惧したが、高い畝を作っていたので心配するほどのことはなかった。
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大きいのは少なかった。近所の人が通りかかって、今年は時期に雨が少なかったので全体に小粒だと言う。まあまあの出来ではないかとの評価。近所の奥さんがさっそく芋のツルを取りに来る。

隣家の米の刈り取りは昨日。
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天候のせいでいい出来とまでは言えないそうだ。今年から国の買い入れ価格が一袋1000円から2000円
安くなると嘆いていた。県によって違うのでいくらになるかまだわからないそうだ。
「売り渡し価格は安くなるけど、消費者への販売価格は変わらないのよ」
米が余っているのだ。
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わらを貰う。この後、田圃に散らばっている切り藁ももらう予定。

芋の収穫を終えて一段落。例年ならここから一気に種まきや苗の植え付けが始まるのだが、今年はその元気がない。雑草との戦いに精魂尽き果てた。今夏の雑草は異常だった。その上、まだハマスゲが残っている。
この秋は、ほうれん草も小松菜もレタスも人参も蕪もやめた。間引くのが大変。どうせ作っても上手に作れないし、毎年、無理して食っているありさま。この後はイチゴ、ニンニク、大根、玉ねぎ、豆類とキャベツだけ作ることにした。この6種類なら自信がある。9月末にイチゴ、ニンニクから始めて、10月11月で大根、玉ねぎ、豆類とキャベツなら余裕をもって作れそうな気がする。
そのためにも、世界最強の強害雑草ハマスゲを倒さなければならない。

娘夫婦に、今日31日、孫が生まれた。結婚して6年、娘の場合、結婚した時が30歳を過ぎていたし、障害があるので子供は無理なのかなと思っていたので、1月の半ばに身ごもった知らせを受けた時は驚いた。2年前に豆柴を飼い始めた時、子供は諦めたのだなと思っていた。嬉しかったが、娘が慎重で何があるかわからないから、安定期が来るまでは誰にも言わないでくれと言うので、春になって娘からOKが出るまでは妻にも母にも妹たちにも黙っていた。OKが出ても前記4人以外は誰にも言わないでいた。病院は車椅子の妊婦を何人も診ているというので安心していたのだが、もし何かあったらと思うと8月31日帝王切開と決まっていも、コロナもあるし、毎日が心配でこの日を指折り数えて待っていた。

男の子であるが体重は聞いていなかった。動画では元気な声で泣いていた。今は超音波で順調と分り、性別もわかり、帝王切開で手術時間もわかっていても不安なものである。特に今年はコロナ禍でありはらはらどきどきさせられていたので婿さんから連絡を受けた時はほっと胸をなでおろし、すぐに妻の特養と母のグループホームに生まれたことを伝える。
本当にコロナには神経を削らされた。娘の場合は翻訳の最終のチェックも重なり大変だったと思う。
今でこそ千葉の気の毒な赤ちゃんの事件があって妊婦とその家族は優先接種できるようになったが、娘夫婦の場合は優先接種どころか、まだ医療従事者や儂ら高齢者が優先の頃で、妊婦には射ってもいいのかどうかわからない頃だったのだから本当に自宅で息をひそめている状態だったのである。
幸い娘夫婦は二人ともホームワークになったが、婿さんは週に一日は新宿まで出社しなければいけない。儂は毎日、東京の患者数をチェックしては、菅や小池のおばはんを罵倒し、呪い続けていた。心配が高じて分子マスクと言う一枚4000円以上するマスクを夫婦に2枚ずつ4枚送る。金のことなど言ってはおれん。
だが、末端の行政は援助の手を差し伸べてくれた。江戸川区では障害のある妊婦のためにヘルパーを派遣してくれた。食事や入浴や身の回りの手伝いをしてくれる。出産前から始まり1年くらい世話をしてくれるのかな。本当に助かる。婿さんもしっかり育休をとり1年休職する。
ワクチン接種は婿さんは8月23日に江戸川区の予約が取れて第一回は接種済み。娘の場合は妊婦の優先接種で退院前日に第一回の接種を受けることが決まっている。これは正直助かった。
しかしながら、コロナ禍の出産は大変だ。婿さんは赤ん坊に対面できたのは今日の小一時間だけ。娘は退院するまでの一週間は面会謝絶。差し入れも禁止だ。
こんな状態だから、儂も上京は諦めている。不要不急の上京は島根県でも控えるように言われている。
儂も娘夫婦も接種していると言っても、どこで赤ん坊にうつるかもわからない。
赤ん坊のコロナ患者は随分いる。自宅療養すればこうなることはわかっているのに。この国では我が身は自分で守らないといけないのだ。
すると、菅や小池も言う。「我が身を守るつもりで行動してください」と。それっておかしくないか。やるべきことをやらないでおいて。
孫よ。君はこんな時代に生まれたのだ。
娘が大学2年生の頃だったか儂に突然こんなことを言った。
「お父さん、私が一番なりたいものなんだかわかる。笑うかもしれないけれど、私が一番なりたいのはお母さんなの」
妻が倒れた後のことだったと思う。
娘は一番なりたかったお母さんになれた。そういうお母さんに育てられた子はきっと優しい子に育ってくれると信じている。

【追記】
「今日、ワクチンを打っちゃいましょう」と言われて、今日、第一回目のワクチンを接種したそうだ。
ありがたや。

娘の翻訳本をもっと早く届けるつもりだったが、夏風邪をこじらせ、お盆があったりで、今日になってようやく届けることが出来た。
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面会はいつもの玄関風除室でのガラス越し。いつまで続くのだろうか。
どこまで理解できたのかは分からないが喜んでくれる。もっと喜ばせたくて「すごいなあ、お母さんに似たのかな」と言うと、「お父さんです」と言う。昔は子供がいい成績とっても、走るのが早いのも、ピアノがうまいのも、全部自分に似ているのだと威張っていたのに、病気になってからである。「お父さんに似たの」と言うようになったのは。妻の中で妻にも分らない何かが変わってしまったのだろうと思う。妻がそう言うたびにちょっと寂しく思う。昔のように悪いところは全部儂に似ていて、いいところは何でも自分に似ていると得意げに鼻の穴を広げた顔が懐かしい。
今日は翻訳の出版のお祝いに缶ビール(ノンアル)を差し入れする。コロナ前だったら昼食の時間に乾杯できたのだが。
「ヒコーキを飛ばして」と言う。
「どこへ行くの?」と聞くと、娘のところへ行くと言う。
嬉しくて会いたくなったのだろう。おめでとうと言いたかったのかも。
すっきりした顔をしていたので「いい顔してるね」と言うと「昨日よく寝たの」
話すことが段々聞き取りにくくなり何度も聞き返したりすると話も進まなくなる。
「お父さん、会話になってないよ」
逆にやりこめられる。
「お父さん、優しくなったね」
これも病気になってから言うようになった言葉。これは確かに当たっている。本人も感じているのだろうと思う。
「〇ちゃん(娘)に電話して、お父さんのおうちにおいで」
お祝いをするつもりだったのだろうか。
「どうせお父さんのうち散らかってるでしょう」
すぐこういうことを言うので、「そんなことない、きれいにしている」と言うと
「信じてあげましょう」と言われてしまった。
次にビールの話をする。
「ビールを持ってきたから、本のお祝いに飲んでおくれ」
「生ビールですか」
ノンアルとは言えなかった。

語録(29)

2008.9.3

(夕方、昼寝から起きる時)

5時過ぎて主婦が寝てたらおかしいよ。早く起こせ」

2008.9.7

(夜、オムツを換えていたら)

「お父さん、年取ったね、しわだらけ」(おかしそうに笑う)

※たまにお父さんと呼ばれたら、年取ったと言われるパターン。

2008.9.8

「お父さん、パパと言われたことないけど、ママと言われてごらん。嬉しいから。ああ、ママになったんだって」

2008.9.18

「アーモンドチョコ買って来るから待っててね。あげるから」

・・・・・・・・・・・・・

「私も〇〇(息子)や〇〇(娘)のためにがんばるの。手術くじけないよ。お父さん、手を握って」

と手を握る。

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「おれ、ヒロアキ兄ちゃんじゃないよ」

「じゃあ、お父さん」

2008.9.22

(箸でつまめず)

「見えてるんだけど箸でつかんだ感覚がしないの。いま変だったでしょう。ドーンと倒れてからおかしくなったの」

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「あれ、白川総裁(日銀総裁)でしょ」

「よく覚えてるね」

「総裁選の時、よく出た顔だから覚えてるの。貧乏くさい顔だなあ」
※総裁選は(?)だが、この頃はTVのニュースも見ていたし、少しは理解していた。今2021年はもはやTVは全然見ていないはず。

2008.9.28

(オムツを換えていると俺の手をさわるので)

「どうしたの?」

「ありがとう、お礼してるの。黄金の手」
※この頃は「黄金の手」と言うような言葉がすらっ出て来た。

2008.10.1

「お父さん、かこいいね。背広姿忘れちゃった。明日、ちゃんと着てね、みんなで記念撮影するから」

2008.10.2

「お父さん、何か知らないけど、私、時々死のうかと思うことあるよ」

2008.10.3

「生きてるって素敵だよ。私、死んだからわかるの」

「お前、死んだの」

「うん、死んだの」

2008.10.4
「お父さん、スーパーマンじゃないんだから、がんばっちゃだめよ」

2008.10.6

(消灯して出て行こうとしたら)

「お父さん、お話しましょ」

2008.10.8

「早くチョコレートもってこい。早くチョコレート。ごはん作ってやらないぞ。何べんでも言うぞ」


10月はここで終わり。この後、ショートステイに行ったのだと思う。

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