曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

猛烈な風台風らしい。ほうれん草、春菊、小松菜、カブ、辛み大根、普通の大根の芽は出そろっていて、レタスと白菜の苗は植えて1~2週間。帰郷して5年目の秋になるが、これまでこの時期に大きい台風が来たことがないので心配だ。
島根県の学校は明日の休校が早々と決まったようだ。
デイケアも休みになるのだろうか。妻は週3回、デイケアの日しか入浴できない。リフト浴だが、入浴をとても楽しみにしているので、行かせてやりたいのだが。
「俺も休めるし」(心の声)


ブログの第一回に何を書くべきかを考えたら、私をシナリオライターにしてくれた松浦健郎のことを書く他に何があるだろうかと思い至る。今の人は誰も知らないだろうが、この人は昭和の映画全盛の時代に映画脚本だけで三百数十本も書いた超多作の大作家だった。ただし、そのすべては娯楽作品である。その年のベストテンや脚本賞を受賞するような映画脚本は書いてはいない。だが、娯楽映画の世界では巨匠であり、大勢の弟子を抱えていた……そうだ。
と言うのは、私が弟子になった時(1969年の暮れ・私は22歳、師匠は51歳)は、すでにレジェンドであり、作家人生も下り坂であった。弟子も私一人、師も私を最後の弟子と愛し、「何とかして作家にしてやると」言ってくれた。そして、仕事の合間には、懐かしくも楽しかった自分の全盛時代の話を沢山語ってくれた。
紹介するのは、その聞き書きである。映画全盛時の貴重な裏話である。埋もれてしまうのは惜しい話ばかりである。師の大勢の弟子で生き残っているのは、兄弟子雪室俊一氏(サザエさん脚本の神)と私だけになってしまい、誰かが聞き書きを残さないと、師の事績が消滅してしまう。有名監督や有名脚本家だけが映画を作って来たのではない。名作映画だけが映画ではない。私は松浦健郎の名を残してあげたい。それが不肖の最後の弟子のせめてもの恩返しと思うのです。

次回予告。「おい、薬(ヤク)をやるぞ」




















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