曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

暮れも押し詰まって面接に行った。マンションの書斎に通されると、こわもてのいかにも作家然とした師匠が、大きな椅子にふんぞり返り、じろりと睨んだ。
その時の私は肩までの長髪をなびかせた、あの時代の典型的な反体制派スタイルだった。
後日、師匠から聞いたのだが、「ああ、とうとう俺の所にもこんなのが来るようになったのか」と、心中嘆いたらしい。実際、師匠はゴリゴリの保守派だった。
早速、口述筆記のやり方を説明されたと思う。
ふと、何を思ったのか、「これ、何と読む」と、本立ての本を指さした。
背表紙には「去年今年 木山捷平」と、あった。
「こぞことし きやましょうへい」と、答えたら、「ふーん」と、言ったきり黙った。
私は一瞬間違えたかと焦ったが、どうやら師匠は私がふつうーに答えたのを意外に思ったらしい。ただのアルバイトを雇うつもりだったのだが、もう少し使えそうだと思って試したようだ。
2、3日後、「どうだ、俺の弟子になるか」と言われた。自分の所には何十人も弟子が来た。そのうち10人くらいライターになった。「お前、なれるよ」
私の作品を一本も読んでもいないのに、こんなに気安く言っていいのかと思ったが、師匠は何十人も見て来たから一目見りゃわかると威張った。
言われて悪い気はしない。「お前は最後の弟子になるだろう。俺の力はまだ残っている。お前ひとりだったら、まだ何とか東映ぐらいには押し込んでやれるだろう」
言うことも、正直でリアリティがあった。弟子は徒弟奉公で辛いが、自分のために尽くしてくれた男は可愛い。必ずライターにしてやる。古い人だった。その上、給料もくれると言う。
こんないい話、断る理由はない。私は明日から生きて行けるのだ。アパートの家賃が払える。これが一番うれしかった。辛くても何年か我慢すればいいのだ。耐えることには妙に自信があった。
弟子入りすることになったが、師匠が最後に付け加えた。
「一本立ちしても、『お礼奉公』があるからな」
そんな先のこと、気にもしなかった。
まさか、その『お礼奉公』に苦しめられることになろうとは……。











いま島根医大にいる。94歳の父の診察は終わったが、MRIが午後なので、父はベッドで寝て待っている。暇潰しにブログを書くことにした。
男の介護で困ることの一つは女性の下着売り場へ行かなければならない時だ。女手があれば頼むのだが、そういう時に限って女手がない。
妻は常時おむつ類の世話になっているので、必要なのは上の肌着である。左半身が麻痺しているので、衣類は前開きしか着ることが出来ない。下着もマジックテープのついた前開きでなければならないが、これは大抵介護用品売り場にあるので、女性用であっても購入するのに抵抗はない。問題は夏である。ランニングタイプの前開きはあるのだが、生地が厚くていかにも暑そうである。幸いランニングだとかろうじて着ることが出来るので、薄くて吸湿性のよいランニングタイプの肌着を買ってやりたいのだが、いざ売り場へ向かうも女性下着売り場のフロアに立った途端たじろいでしまう。
色艶やかな下着がこれでもかと飾り付けてあるのを見たら、とても売り場へ入って行く勇気が出ない。
フロアをうろうろしているだけで変なおやじと思われているのではないかと気が気でない。
困り果てた私は店員に相談することにした。
若い店員だと恥ずかしいので、一番年配のおばさん店員に事情を話したら、おばさん、にこにこ付いて来て、一緒に商品を選んでくれた。この時ほどおばさんが天使に見えたことはなかった。
下着に限らず、女性の衣類を選ぶのは難しい。大きかったり、小さかったり。たまにはオシャレをさせてやらないと可哀想に思い、選びに選び、高いものを買った時に限り、微妙に小さかったりするとがっかりする。

「荒野の素浪人」の脚本が出来上がったので、運転手付きのクラウンで成城の三船プロへ届けに行った。三船プロへ行くのは初めてだった。
「荒野の素浪人」は三船敏郎主人公のTV時代劇で、旅をしながら悪人を退治する人気ドラマだった。
三船敏郎は戦後日本映画を代表する大スターで、説明する必要もないと思われるが、今の若い人は知らなかったりするから一応説明しておく。三船美佳のお父さんと言えばわかってもらえるだろうか。二番目の奥さんの娘。昔の有名人を説明するのに、二世タレントのお父さんとかお母さんと言わないと分かって貰えないのは哀しいものがあります。
プロデューサーが不在だったので、窓口で脚本を渡しただけであった。戻って、
「先生、三船プロて面白いところですねえ」と、私が言うと、
「何が?」
「いやあ、掃除のおじさんが時代劇の衣装を着ているんですよ」
「バカヤロー、お前!それは三船だ」
「えええっ」驚いたのなんのって。
「三船はなあ、掃除が大好きなんだ。撮影の合間に暇が出来たら、ロビーに出て来て掃除をしているんだ。お前は三船が分からなかったのか」
呆れられてしまった。
そう言われて、思い出してみると、確かに荒野の素浪人と同じ衣装であった。箒を握って私の方を睨んでいた顔もTVで見る素浪人と同じ顔であった。恐らく天下の大スターが目の前にいるのに、挨拶もしなかった若造を無礼な奴だと思っていたに違いない。
でも、その時は本当に掃除のおじさんにしか見えなかったのです。三船敏郎が掃除をしているなんて誰が思いますか。
その後、二、三度三船プロへ行ったが、三船敏郎に会うことはなかった。今度はちゃんと挨拶しなければと思っていたのに。




↑このページのトップヘ