先月、助っ人に来た妹が、儂の頭をしみじみと見て、「お兄ちゃん、何か塗ってるの?髪が黒くなったような気がする」と言うではないか。実はわしもいつだったか、鏡を見て、髪が黒くなったような気がしたのだが、気のせいだと思っていた。まさかそんな馬鹿なことがある訳がないと言ったのだが、妹は前より確かに黒くなっていると言い張る。儂も段々そんな気がして来た。頭髪の量は減ったが、たしかに頭頂部の辺りが黒くなっているよなあと思う。つらつら原因を考え、はたと思い当たる。
ストレスと関係があるのかもしれない。となると妻が一年半前に特養に入所したこと以外に考えられない。特養に入ってからは、妻の世話は週二回の顔出しと、月一回六日間の外泊に減った。どれだけ肉体的精神的に楽になったことか。身をもって感じている。妹もそれしかないと言う。
「感謝しないといけないなあ」と自分に言い聞かせる。
そして、妹が帰る前日、もしかしたら妻は白内障かもしれないと言う。庭を見ていて
「ほこりっぽい」とか「白っぽく見える」と、言ったそうな。妹は白内障の手術をしているので、おそらく白内障に間違いないだろうと言う。
眼科で診て貰ったらやはり立派な白内障だった。普通の人なら手術できるが、医者の指示に従えない妻は無理だろうと言う。進行を遅らせる目薬をさすことになる。
暗い気持ちになる。進行は遅くなっても、手術しなければやがて見えなくなるのだろうか。そうでなくても現状は視野狭窄でものが見えにくいのに。
本当に見えなくなったらどうしたらいいのだろう。
妻が特養に入ってくれて、髪が黒くなったとノーテンキに喜んでいた儂はなんて馬鹿なんだろうと自己嫌悪に陥る。
儂の髪もこれ以上は黒くなりそうもない。やっぱり白くなって行くのだろう。どんどん進んで行きそうな気がして来た。
そこに妻のマッサージさんから連絡。体調不良で休んでいる由。一ヶ月くらいで復帰できるので了解を求める電話。女性で妻も慣れているのでそれくらいならと了承するも、マッサージを楽しみにしているから不憫に思う。
8月8日の水曜日のお昼に顔出しした時、昼食前にしっかり揉んでやろうと張り切ったら「へたくそ」と叱られた。
そして、昨日11日は特養の夏祭り。2時から4時まで「古文書に親しむ会」。未だに親しむどころかヒイヒイ言って、帰宅。両親の晩飯を用意してから特養へ。
夕食後、隣の小学校の夏祭りに参加させてもらうのだ。
5時過ぎに行き、6時の夕食までマッサージをする。
「眠くなるくらいのマッサージをして」と言われる。
心をこめた(つもりの)マッサージは「今日はじょうず」と褒められる。
夕食も一緒に食べる。儂はスーパーで買って来た炒飯。今日は特別なので、ノンアルコールビールも持って行く。乾杯!
7時頃から隣の小学校へ行く。
舞台ではマジックショー。手を振って喜んでいた。儂はマジックより、爺さんマジシャンの出雲弁丸出しの話術の方が面白かった。ここでうまく書けないのが残念だ。
最後は花火。風が強くて埃がひどく、8時ごろには特養に戻ったのだが、特養のテラスが特等席で、ささやかな花火だったが、妻は喜んでくれた。
花火。どんな風に見えているのだろう。
久し振りの語録は12年前の夏。
「私、お姫様じゃなくて、おしめ様よ」
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「お父さんと大きいお風呂に行きたい。一人で行くと倒れそうな気がする」
2006.7.2
「私が病気したから、お父さんも私のありがたみがわかったの」
2006.7.3
「起きる」と言うので
「お昼寝して」
「はいはい、今日だけは言う事をきくの」
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夕立ちがあり、
「すごい雨だったね」
「お家を洗ってくれた」
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「こんなダラズな生活を見られて恥ずかしい」
注)なぜか、ダラズと言う出雲弁が出る。
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「体は半分しか動かないから」
2006.7.4
朝起きて、自分の車椅子を見て
「歩きたい!走りたい!」
2006.7.5
「七夕になにを願いたい」
「元気になりたい。これ以上太りませんように」
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「私も母のこと書いてやろうかな。おばあちゃんが元気に暮らせますように」
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「今日、紅白だから。入院してからボケてしまって、日にちがわからなくなった」
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「看護婦さんが今日は何日とちゃんと言わないとね。じいちゃんばあちゃんが紅白紅白と言ってうるさい」
注)なぜか、大晦日と思い込むことが多い。
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「年越しそばじゃなくて、年越しラーメンにしようね」
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「311へ来て」
「なにそれ」
「お父さんの買ったおへや。おじさんたち知らないでしょ。お父さんの買ったおへや」
2006.7.6
「小説書いてお父さんに送りたかったよ。〇子よく書いたねとほめてもらいたいの」
2006.7.18
「昨日なんか寝てて足がだるくて。捨てたいなあなんて」
足を揉んでやっていると
「お父さん、旅行に出ると優しくなるね」
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「ずっと一緒だと一人になりたい時あるよ」
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パパちゃんの写真を見て
「パパちゃん、いつもひとりでああしてらす。ママちゃんと話すわけでもなく。私らみたいに仲良くないね」
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「私の受験期にパパちゃんいたら相当うれしかったろうね。きっと近所中を自慢げに走りまわらす」
注)妻は成績が良かったのだ。
2006.7.19
「最近歩くのがいい運動になると思うようになったよ。道玄坂歩くでしょ。会社まで」
2006.7.20
「二人で居酒屋へ行こう。二人で腕組んで帰ろう」
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「私もククレカレーと熊本ラーメン。これからどんどん働かないといけないから」
七夕の短冊に
〈ダンスが上手になりますように〉注)自分で書いたくせに。
「ダンスなんか上手にならなくていいのに。ダンスが上手になったからってどうってことないよ」
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「私たちは〇ちゃんの側に住もう。いつも娘に会えて、孫の顔を見れて」
注)孫はいないのだが。
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「太った〇子(自分のこと)になるの。〇〇兄ちゃん(従兄)も太った〇子好きだから」
従兄と思い違いしているので
「俺だよ、介護してるじゃないか」
「そんな人じゃないの。照れ屋だから」
2006.7.22
「私の身体が動かなくなったら別れて。もう少しとでも思ったら、時間が経つから。後で別れたらよかったと思うようにならないように」
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「ああ、食べた、食べた」と、俺が言うと、
「お父さんがそう言うとうれしい」
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「武士は食わねど……なんだっけ?」
「高楊枝」と答えると
「昔からそういう言葉を覚えるのが好きだったの」
2006.7.23
「前は××××と聞いてもすぐわかったのに、今は分からん」
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「八代はケチさっさんけ、かあちゃんが〇子ゼーンブ一人で食べてしまうたい」
※八代のかあちゃんは父の姉。夏休みによく遊びに行っていた。
2006.7.24
「早く買いに行かせてよ。涙が出るよ」
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「私が死んでも誰も悲しまん。何度も死にかけたのに、神様がまだがまんしてこの家に居なさいと言うことかな」
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「梅雨明けまだなんだ、つゆ知らず」
2006.7.26
「いい風だね、まじりっけのない風。ただの風という感じ。けがれない人が歩いて行く。ちょうどよい。お父さんのこと」
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「かあちゃん(八代のおばさん)は助けてあげて。私はずっと生きていてほしいから」
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TVを見て
「お母さんと子供の絵描いてらす。私にもあんな絵描いて」
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「お父さんのことよくわからなかった。いい作家なのか、悪い作家なのか」
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TVに父親が出ていると思って
「パパちゃん会うなら、NHK行ったら会えるの?パパちゃん、死んだんじゃないの。TVに出とらすから」
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「あきらめたり、くじけちゃいけない。そうそう、私もがんばったよ」
2006.7.27
「俺、〇〇兄ちゃんじゃないよ。曽田博久だよ」
「違う、〇〇兄ちゃん。昨日変わったの」
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「パパちゃんに会いに行ってくるからね。ママちゃんと」
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「お父さんが死んだと思ったら、こうやってTVに出たら驚くだろうね」
2006.7.29
「はい、薬」と渡すと
「ありがとう、お父さん。こういう人がいないと、生きて行けないのよ。モモちゃん(柴犬)、こういう人を選びなさい」