曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

先月、助っ人に来た妹が、儂の頭をしみじみと見て、「お兄ちゃん、何か塗ってるの?髪が黒くなったような気がする」と言うではないか。実はわしもいつだったか、鏡を見て、髪が黒くなったような気がしたのだが、気のせいだと思っていた。まさかそんな馬鹿なことがある訳がないと言ったのだが、妹は前より確かに黒くなっていると言い張る。儂も段々そんな気がして来た。頭髪の量は減ったが、たしかに頭頂部の辺りが黒くなっているよなあと思う。つらつら原因を考え、はたと思い当たる。
ストレスと関係があるのかもしれない。となると妻が一年半前に特養に入所したこと以外に考えられない。特養に入ってからは、妻の世話は週二回の顔出しと、月一回六日間の外泊に減った。どれだけ肉体的精神的に楽になったことか。身をもって感じている。妹もそれしかないと言う。
「感謝しないといけないなあ」と自分に言い聞かせる。
そして、妹が帰る前日、もしかしたら妻は白内障かもしれないと言う。庭を見ていて
「ほこりっぽい」とか「白っぽく見える」と、言ったそうな。妹は白内障の手術をしているので、おそらく白内障に間違いないだろうと言う。
眼科で診て貰ったらやはり立派な白内障だった。普通の人なら手術できるが、医者の指示に従えない妻は無理だろうと言う。進行を遅らせる目薬をさすことになる。
暗い気持ちになる。進行は遅くなっても、手術しなければやがて見えなくなるのだろうか。そうでなくても現状は視野狭窄でものが見えにくいのに。
本当に見えなくなったらどうしたらいいのだろう。
妻が特養に入ってくれて、髪が黒くなったとノーテンキに喜んでいた儂はなんて馬鹿なんだろうと自己嫌悪に陥る。
儂の髪もこれ以上は黒くなりそうもない。やっぱり白くなって行くのだろう。どんどん進んで行きそうな気がして来た。
そこに妻のマッサージさんから連絡。体調不良で休んでいる由。一ヶ月くらいで復帰できるので了解を求める電話。女性で妻も慣れているのでそれくらいならと了承するも、マッサージを楽しみにしているから不憫に思う。
8月8日の水曜日のお昼に顔出しした時、昼食前にしっかり揉んでやろうと張り切ったら「へたくそ」と叱られた。
そして、昨日11日は特養の夏祭り。2時から4時まで「古文書に親しむ会」。未だに親しむどころかヒイヒイ言って、帰宅。両親の晩飯を用意してから特養へ。
夕食後、隣の小学校の夏祭りに参加させてもらうのだ。
5時過ぎに行き、6時の夕食までマッサージをする。
「眠くなるくらいのマッサージをして」と言われる。
心をこめた(つもりの)マッサージは「今日はじょうず」と褒められる。
夕食も一緒に食べる。儂はスーパーで買って来た炒飯。今日は特別なので、ノンアルコールビールも持って行く。乾杯!
7時頃から隣の小学校へ行く。
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舞台ではマジックショー。手を振って喜んでいた。儂はマジックより、爺さんマジシャンの出雲弁丸出しの話術の方が面白かった。ここでうまく書けないのが残念だ。
最後は花火。風が強くて埃がひどく、8時ごろには特養に戻ったのだが、特養のテラスが特等席で、ささやかな花火だったが、妻は喜んでくれた。
花火。どんな風に見えているのだろう。

久し振りの語録は12年前の夏。

「私、お姫様じゃなくて、おしめ様よ」
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「お父さんと大きいお風呂に行きたい。一人で行くと倒れそうな気がする」
2006.7.
「私が病気したから、お父さんも私のありがたみがわかったの」
2006.7.3
「起きる」と言うので
「お昼寝して」
「はいはい、今日だけは言う事をきくの」
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夕立ちがあり、
「すごい雨だったね」
「お家を洗ってくれた」
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「こんなダラズな生活を見られて恥ずかしい」
注)なぜか、ダラズと言う出雲弁が出る。
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「体は半分しか動かないから」
2006.7.4
朝起きて、自分の車椅子を見て
「歩きたい!走りたい!」
2006.7.5
「七夕になにを願いたい」
「元気になりたい。これ以上太りませんように」
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「私も母のこと書いてやろうかな。おばあちゃんが元気に暮らせますように」
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「今日、紅白だから。入院してからボケてしまって、日にちがわからなくなった」
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「看護婦さんが今日は何日とちゃんと言わないとね。じいちゃんばあちゃんが紅白紅白と言ってうるさい」
注)なぜか、大晦日と思い込むことが多い。
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「年越しそばじゃなくて、年越しラーメンにしようね」
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「311へ来て」
「なにそれ」
「お父さんの買ったおへや。おじさんたち知らないでしょ。お父さんの買ったおへや」
2006.7.6
「小説書いてお父さんに送りたかったよ。〇子よく書いたねとほめてもらいたいの」
2006.7.18
「昨日なんか寝てて足がだるくて。捨てたいなあなんて」
足を揉んでやっていると
「お父さん、旅行に出ると優しくなるね」
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「ずっと一緒だと一人になりたい時あるよ」
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パパちゃんの写真を見て
「パパちゃん、いつもひとりでああしてらす。ママちゃんと話すわけでもなく。私らみたいに仲良くないね」
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「私の受験期にパパちゃんいたら相当うれしかったろうね。きっと近所中を自慢げに走りまわらす」
注)妻は成績が良かったのだ。
2006.7.19
「最近歩くのがいい運動になると思うようになったよ。道玄坂歩くでしょ。会社まで」
2006.7.20
「二人で居酒屋へ行こう。二人で腕組んで帰ろう」
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「私もククレカレーと熊本ラーメン。これからどんどん働かないといけないから」
七夕の短冊に
〈ダンスが上手になりますように〉注)自分で書いたくせに。
「ダンスなんか上手にならなくていいのに。ダンスが上手になったからってどうってことないよ」
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「私たちは〇ちゃんの側に住もう。いつも娘に会えて、孫の顔を見れて」
注)孫はいないのだが。
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「太った〇子(自分のこと)になるの。〇〇兄ちゃん(従兄)も太った〇子好きだから」
従兄と思い違いしているので
「俺だよ、介護してるじゃないか」
「そんな人じゃないの。照れ屋だから」
2006.7.22
「私の身体が動かなくなったら別れて。もう少しとでも思ったら、時間が経つから。後で別れたらよかったと思うようにならないように」
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「ああ、食べた、食べた」と、俺が言うと、
「お父さんがそう言うとうれしい」
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「武士は食わねど……なんだっけ?」
「高楊枝」と答えると
「昔からそういう言葉を覚えるのが好きだったの」
2006.7.23
「前は××××と聞いてもすぐわかったのに、今は分からん」
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「八代はケチさっさんけ、かあちゃんが〇子ゼーンブ一人で食べてしまうたい」
※八代のかあちゃんは父の姉。夏休みによく遊びに行っていた。
2006.7.24
「早く買いに行かせてよ。涙が出るよ」
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「私が死んでも誰も悲しまん。何度も死にかけたのに、神様がまだがまんしてこの家に居なさいと言うことかな」
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「梅雨明けまだなんだ、つゆ知らず」
2006.7.26
「いい風だね、まじりっけのない風。ただの風という感じ。けがれない人が歩いて行く。ちょうどよい。お父さんのこと」
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「かあちゃん(八代のおばさん)は助けてあげて。私はずっと生きていてほしいから」
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TVを見て
「お母さんと子供の絵描いてらす。私にもあんな絵描いて」
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「お父さんのことよくわからなかった。いい作家なのか、悪い作家なのか」
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TVに父親が出ていると思って
「パパちゃん会うなら、NHK行ったら会えるの?パパちゃん、死んだんじゃないの。TVに出とらすから」
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「あきらめたり、くじけちゃいけない。そうそう、私もがんばったよ」
2006.7.27
「俺、〇〇兄ちゃんじゃないよ。曽田博久だよ」
「違う、〇〇兄ちゃん。昨日変わったの」
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「パパちゃんに会いに行ってくるからね。ママちゃんと」
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「お父さんが死んだと思ったら、こうやってTVに出たら驚くだろうね」
2006.7.29
「はい、薬」と渡すと
「ありがとう、お父さん。こういう人がいないと、生きて行けないのよ。モモちゃん(柴犬)、こういう人を選びなさい」


第三章 戦国擾乱( じょうらん)(3
 
 そいつも二人に気が付いたようだった。
 かなりの距離があったが、そいつがにっと笑ったように見えた。そいつは畑を突っ切り、まっすぐに向かって来た。ぞろぞろと仲間もついて来る。近づくに連れ、皆、大なり小なり手傷を負っていることが見て取れた。長巻を杖に足を引きずっている者や、仲間の肩に掴まっている者もいる。
 現れた方角から思うに、恐らく賀茂郷で香西軍と一戦を交えたのであろう。負傷者が出たので戦闘を離脱したようだ。
 賀茂社の神人は河原者と同じ化外の民の扱いを受けている。神人とか犬神人、車借や馬借、声聞師達は呼称は異なっても、皆、河原者と同じ身分である。その誼で河原者は賀茂社の神人を助けに行ったに違いない。
 そいつも血まみれだったが、傷は殆どなかった。赤く染まっているのは返り血だった。
 辰敬もいちも金縛りにあったように動けなかった。ごくっといちが唾を呑む音がした。
 そいつは一年近く見ないうちに一段と大人びていた。いっぱしの若者と言ってよかった。
 辰敬の目の前で立ち止まると辰敬の顔を射るように見据えた。
「生きとったのか。あの距離でわしの飛礫を食らって生きておるとは、運のええ奴や」
 辰敬の背がぞくっと粟立った。
 去年の祇園会の印地合戦の最中に、辰敬が若者めがけて飛礫を打とうとしたことに気が付いていたのだ。
 若者は辰敬の背後に目をやると、
「これはこれはまた久し振りやなあ。今日は一体どないなっとるんやろうか。懐かしい顔ばかりやないか」
 にたりと笑うと、いちを舐めるように見回した。
「よう覚えとるでえ……一昨年( おとどし)の秋やったなあ。あの時、思ったんや。大きいなったらええおなごになると。思った通りや。えらい別嬪さんになりよったなあ」
 懐かしそうにからかったが、目には笑みの欠片も失せていた。
 いちが辰敬に身を寄せた。
「へっ、見せつけてくれるやないか。そういう仲か。羨ましいことや」
 仲間を振り返り、
「おなごと戦見物やて。わしらが命がけで戦っておるのを、手に手を取って見物に来よったんやで」
 と、負け戦で頭に血が上った連中を面白そうに焚きつけたのであった。
辰敬は「違う」と叫ぼうとしたが声にならなかった。
 凄まじい憎悪に押し潰されそうだった。
 思わず遠くに救いの目を向けたが、堤の群衆は北の空に昇る煙に見とれていた。もし、助けを求めても、この連中に関わりを持とうとする者など誰もいないだろう。
 戦いに加わっても何の見返りもなく、傷だけ負った連中にとって、怯えた美しい娘は思いもかけない獲物だった。
恐怖に耐えかねたいちがひいと悲鳴を上げるのと、連中が襲いかかって来たのは同時だった。血まみれの河原者達はまるで赤鬼の集団に見えた。
辰敬は立ちはだかろうとしたが激しく突き飛ばされた。
いちは林の中に逃げ込んだが、たちまち赤鬼達に掴まり、先を争って襲いかかる赤鬼達の下になって見えなくなってしまった。
辰敬は誰のか判らぬ脚にしがみついたが、蹴り返され、無数の足に踏みつけられた。
 口の中に血が溢れ、肋骨が不気味な音を発した。
激痛に耐えながら顔を上げると、折り重なった赤鬼達の下に白い肢が見えた。
 辰敬は歯を食いしばって起き上ろうとしたが、急に目の前が暗くなった。
 その時、
「だらあっ~」
 怒声が林を震わせ、遠のきかけた辰敬の意識を呼び戻した。
 出雲の言葉だった。出雲弁で馬鹿やろくでなしを「だらず」とか「だら」と言う。これを「ず」まで言わず、語尾を伸ばし、怒りを込めて叫んだ時は、口を極めて罵る言葉となる。
 悲鳴が上がって、河原者が一人、辰敬の上を飛んで行った。
 躍り込んで来たのは桜井多聞だった。
 多聞はいちに覆い被さっていた若者達を引き剥がしては、次々と投げ飛ばした。
 河原者達は得物を手に反撃したが、多聞は刀を鞘ごと引き抜くと、鞘で片っ端から打ちのめした。
 辰敬は尻もちをついたまま呆気に取られてみていた。多聞がその名の通り武神多聞天の化身に見えた。
 そいつが長巻を掴むと、歯を剥いて打ち掛かったが、多聞はすいと交わすと、そいつの肩をびしりと打ち据えた。
 そいつは長巻を落としてよろめいた。
 多聞は河原者たちに見せつけるようにゆっくりと刀を引き抜いた。白刃が木漏れ日を浴びて緑色の光を放った。
「これ以上、怪我人を増やしたいか。早く帰って手当てしてやらぬと命を失う奴が出るぞ。ほれ、そこのそいつ」
 と、茂みに放置されたまま血まみれでうずくまっている若者を刀で指した。
「仲間が死んでもいいのか」
 河原者達はたじろいだ。
 血まみれの若者が哀れな声を上げた。
「石童丸……助けてくれ……」
 そいつは憎悪の籠もった目で多聞を睨みつけていたが、不意ににたりと笑った。
「せやな、おまえの言う通りや。わしらは仲間を大事にするよってな」
そいつは血まみれの若者を背負って立ち去ろうとしたが、林を出ようとしたところで立ち止まった。
「お前らこそ覚悟しとくんやな。四条河原の石童丸を敵に回したらただではすまんで。わしらは闇夜でも飛礫を放つさかいにな」
 捨て台詞を吐くと茂みの外に消えた。
 辰敬は起き上るといちを振り返った。
 思わず息を呑んだ。
 いちは半裸も同然のあられもない姿を晒していた。いちはさっと小袖を掻き寄せると、泥まみれの身体を覆いながら起き上った。
 辰敬は慌てて目を逸らした。
 多聞も細い目を逸らした。目を閉じたのかと思っていたら、しっかり見えていたようだ。
 いちは恥ずかしそうに身を縮めると、逃げるように駆け去った。
 甘酸っぱい匂いと気まずい沈黙が残った。
 辰敬は何をさておいても先ずは多聞に礼を言わねばならなかった。礼も言わずに逃げてしまったいちの分までも。
辰敬は神妙に頭を下げた。
「有難うございます」
 多聞は何も言わなかった。その表情からも何も読み取れなかった。
 辰敬はどうにも落ち着かなかった。
分からないことがあった。こんな場所になぜ多聞が助けに来てくれたのか。偶然にしては出来過ぎな気がするのだ。
 堤の方からわあっと喚声が聞こえて来た。
「だらずが……」
 多聞が不機嫌に呟いた。
「こげな日にのこのこ出かけるとは。香西元長が賀茂郷を懲らしめるちゅう噂は昨日から流れちょったに……」
 多聞は辰敬が邸を抜け出したのを気がついていたのだ。
 途端に辰敬の全身がかっと燃えるように熱くなった。
恐らく多聞は辰敬がどこへ行くのか確かめようとしたのだろう。と言う事は、加田家を訪ね、いちとここまで来た一部始終を全部見られていたことになる。
 穴があったら入りたかった。
 ただ一つ救いがあったとしたら、多聞が何も言わずに歩き出したことだった。
 辰敬も黙って後に続いた。
 岩の塊のような盛り上がった背を見ながら歩いていた辰敬ははっと思い当った。
 祇園会の印地で、飛礫を食らった辰敬を救ってくれたのは、多門だったのではなかったのか。
 辰敬は確信した。きっとそうだ。そうに違いない。
 だが、そうだとしたら、なぜ、辰敬が河原者相手に奮闘したと言う大嘘を仕立て上げたのだろう。
木阿弥の言によれば、その話を御屋形様は喜んだそうだ。その結果、出雲へ帰されると言う話は沙汰止みとなったのであった。
 辰敬は勇気を揮って声を掛けた。
「去年の祇園会の印地で、我を助けてくれたのは桜井様じゃったのか」
 背中は何の反応も示さなかった。
 黙っているのは認めた証しだと辰敬は思った。
なんだか急に嬉しくなった。
とっつきにくい岩のように固い身体の中には、この男らしい同郷の好意がほんわかと包まれているような気がしたのであるが、
「わぬしは何の為に上洛したのじゃ」
 返って来た言葉はずしりと胸に応えた。
多聞はそれ以上何も言わなかった。
辰敬も答えなかった。
 
 翌日、出仕した辰敬は部屋頭に、吉童子丸の守りに復帰しいたので、御屋形様への取次をして欲しいと頼んだ。
 部屋頭はあからさまに不快な顔をした。
「阿呆か。わぬしは。鼻たれ小僧の分際で何がお守や。聞いて呆れるわ」
 室内にも白々しい空気が流れた。
「此度はしっかりと務めますゆえ、何卒、お願いいたします」
「わぬしが御屋形様のお気に入りやったのは昔の話や。今や何の沙汰もないちゅうのはもう忘れられとるのや。黙って、墨でも磨っとれ」
 辰敬はいつものように墨を磨らされたり、帳面を綴るための紙縒りを作らされたりした。
 辰敬への風当たりは強くなり、連日、邪険にされたり、嫌味をぶつけられた。辰敬は耐えた。京極家の行く末に不安を覚える大人達が、主家を離れた嘗ての家臣の子に辛く当たるのは当然のことだと思うから。
 黙々と墨を磨っていても、奥からは吉童子丸の噂が耳に入って来る。部屋に閉じ籠って出て来ない日が続いたかと思うと、急に泣いたり喚いたりする。手当たり次第に物を投げつけたり、障子を全部破ってしまった事もあると言う。
 女房衆や側仕えの近習達も、引っかかれたり噛みつかれたりして、手を焼いていると聞くと、辰敬は居ても立ってもいられなくなった。
 辰敬は御屋形様に直訴しようと決意したが、あの日以来、御屋形様が会所や常御殿に現れることはなかった。
 奥に閉じ籠ったままであった。
 梅雨の中休みのある晴れた日、辰敬は厠へ行く振りをして常御殿を抜け出すと、奥とを隔てる土塀を乗り越えた。
 塀際に生い茂る樹木の下は水気をたっぷりと含んだ苔が覆っていて、くるぶしまでずぶりと沈んだ。
 塀に沿って回ると奥の庭に出た。
 木の間越しに目をやった辰敬ははっと息を呑んだ。
開け放しの座敷に黒い塊があった。
光を避けるかのように、座敷の奥まったところに座っているのは御屋形様であった。影のように動かぬその姿は萎んだように見えた。まるで辰敬の掌に乗るかのように小さく。
悲しみが人の形をしている。
そう思った瞬間、辰敬の胸を痛切な悲哀が過った。
辰敬は声を掛けるのを躊躇った。引き返すべきかと思ったが、もう思い定めた事であったので、意を決して歩を進めた。
座敷の縁側の前に進み出ると、辰敬は両手をついてひれ伏した。
「御屋形様、多胡辰敬にございます」
 しんと静まり返ったまま何の反応も返って来なかった。いつまで経っても衣擦れの音一つしないので、辰敬は恐る恐る面を上げた。
 生気のない暗い目が見下ろしていた。顔に開いたただの二つの穴であった。かつてそこに湛えられていた慈愛に満ちた笑みはどこへ行ってしまったのだろう。目を背けたくなったが、辰敬は必死の視線を動かさなかった。
「このような御無礼をお許しください。御奉公を願い奉りたき事あり、やむにやまれず罷り越しました。吉童子丸様の御守りを再び相勤めたく存じまする。どうかお許し下さいまし」
 まるで石に話しかけているようであった。
 辰敬は膝を進めた。
「此度は御無礼なきよう勤めあげる覚悟にございます。いま一度、御奉公の機会を賜りますようお願い申し上げます」
 寝ずに考えた文言を、舌を噛みそうになりながらも懸命に訴えた。
 政経が顔を顰めたように見えた時、近習が二人駆け込んで来ると庭へ飛び降りた。
「控えろ、無礼者」
 いきなり肩を蹴られ、辰敬は鞠のように転がった。
「わぬし、どこから入りよった。とんでもない奴や。ええい、出て行け。早う、出て行かんか」
 と、また蹴飛ばそうとした近習の足に、辰敬は思わずしがみついた。
「お待ち下さい。御奉公したいのです。吉童子丸様にお仕えしたいのです」
「黙れ。わぬしのような役立たずが何をほざく。目障りや。引き立てい」
 近習は辰敬を振り払うと、二人がかりで引きずり出そうとした。
「御屋形様……」
 振り仰いで叫んだ時、
「お待ちなさい」
 優しい声がして、広縁の端に頭巾を被った女性( にょしょう)が現れた。
 近習達は慌てて片膝を突き、頭を垂れた。
 気品を湛えた美しい女性であった。辰敬は思わず見とれていた。すぐに吉童子丸の大方様と察した。亡き材宗の御寮人である。小刀で切り込んだ様な目が吉童子丸とそっくりであった。頭巾を被っているのは、材宗の喪に服して落髪したのだ。大方様は政経の前まで進むと、縁側に坐し、頭巾の頭を垂れた。
「御屋形様、そこな子の願いを聞いてやってくださいまし。わらわからもお頼み申し上げまする」
 辰敬は驚いて座敷を見上げた。
 御屋形様も驚いたように頭巾を見下ろしていた。
「今の吉童子にはよき守となる遊び相手がいりまする。そこな子もよほどの覚悟と見受けられまする。御屋形様、斯様な時に忠義を忘れず、奉公を願い出るとは、見上げた心根ではございませぬか。いま一度お聞き届け願い奉りまする。この通りでございまする」
 惻惻と身に迫る声であった。
 御屋形様の目が揺れた。子を想う気持ちが孫を想う気持ちを動かしたのだ。
「有難うございます」
 大方様は深々とお辞儀をすると、辰敬に向き直った。
「辰敬とやら、噂は聞いておりますよ。元気な良い子のようですね。吉童子をよろしく頼みますよ」
 悲しみを頭巾に隠した人はまともに見ることが出来ないほど美しかった。辰敬は真っ赤に上気した顔を地べたにこすりつけた。

.入院していた父の従弟が先週の土曜日に亡くなる。数えで92歳。父はもうお通夜にも葬儀にも出られないので、お別れだけしたいと言う。実の兄弟のように育ったのだそうだ。父を連れて弔問に行ったのが月曜日の午前中。翌火曜日がお通夜。水曜日が葬儀。儂は父の代理で母を伴って参列。お通夜の後、親戚が二家族四人が泊まりに来る。母がもう何の役にも立たないので、布団や敷布や枕、枕カバーなど全部儂が用意しなければならない。ところがきちんと整理してないから、枕も枕カバーもシーツも布団もあっちの押し入れ、こっちの押し入れと探し回らねばならず大汗をかく。
葬儀の日も9時までに葬祭会館に行かねばならないのでゆっくりはしていられない。
朝食の準備も母には任せられないから、前日にクロワッサンや塩パン、果物、ヨーグルト、シリアルなど買い揃え、儂が早起きして用意。前夜に作ったミニトマトのシロップも出す。
今は葬儀の終わった後、初七日法要もする。そして、夕方、納骨をすませ、直会をして帰宅したのは夜。
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翌木曜日は特養に顔を出す。
本当は休みたかったが、週二回は必ず行くことに決めている。自分で決めたことを破るのは嫌なので、こう言うことは何があってもやることにしているのだ。
この日も暑かった。
散歩もかえって健康に悪い。木陰を探してその下で少し涼む?吹くのは生温い風。
そして、ようやく金曜日。やっと自分の時間が持てると思っていたら、朝、父が儂を起こしに来る。「腰が痛いと言っているから朝飯を作ってくれ」父はデイサービスに出かけるのだ。
母の様子を見に行ったら、仰向けで「痛い、痛い」と尋常ではない。
父に朝食を大急ぎで作って、母の具合をみるにとても起きられないと言う。
訪問医にTELして対処を問う。救急車で運ぶと救急扱いになるので、きちんと診て貰うなら整形に行った方が良いと言う。紹介状はFAXで病院に送ってくれると言う。
救急車はやめて、ストレッチャーで運んでくれるところを当たるも、どこも全部予約で埋まっている。一時間ぐらいあちこち電話していたら、少し痛みが和らいだと言う。歩けそうなので県立中央病院に連れて行く。覚悟していたがしっかり待たされる。初診担当の医師だから、患者が多く、時間もかかるのだ。その上、母は記憶があやふやの上、要領を得ない受け答えをするからいちいち補足説明しないといけない。
結局、レントゲンの結果、腰椎に老化は認められるところはあるが、骨折はないとのよし。ただし、日を改めてMRIをとりましょうと言うことになった時、問題発覚。
背骨の裏に寄生虫みたいなゴミみたいな小さな細いものが一杯ある。ハリである。
「ハリや入れ墨はMRIとれないぞ。撮れるかどうかほかの先生にも聞いて調べておくよ」
と、言うことで、痛み止めとコルセットをしてもらって帰宅。
そして、今日4日、土曜日。この日だけを楽しみにしていた。これがあるので暑くて大変な一週間を乗り切れたようなものである。それが……
出雲古代歴史博物館の『古墳は語る 古代出雲誕生』関連講座
『継体・欽明期の王権と出雲』国立歴史民俗博物館 仁藤敦史
継体天皇は古代史を勉強する者にとっては一番謎で、その名を聞いただけでわくわくする。その天皇期と出雲の関係が語られるのだから絶対に聞き逃す訳には行かない。
この日をどれだけ楽しみにしていたことか。勇躍30分前に乗り込むも、ガーンとショックを受ける。申込制だったのである。うっかり申し込むのを忘れていたのだ。
「ものすごい人気でもう満員なんです。朝からお断りしているのです」
係は非情なことを言う。こんなに人気なのは滅多にないことだと言う。泣きたくなった。こんなに楽しみにしていたのに。だが係はキャンセルがあれば入れてあげると言う。30分、祈るような気持ちで待つ。結局、かなりキャンセルがあって入れる。
(キャンセルするなら申し込むなよ)むかっ腹が立つ。
儂の隣の爺さんなんか、居眠りしてて椅子から転げ落ちそうになったぞ。
(あんたも申し込むなよ)と毒づいていた。そう言いたくなるぐらい、ためになる講演だった。
古代出雲は東西二つに分かれ独自の文化圏を持ち、国造が東西に一人ずついてもおかしくないほどだったのに、西を支配していた出雲臣は神門臣となって地位が低下し、東の出雲臣が出雲の国造となる。
それはまた地方の「国主」が「国造」として中央に組み込まれて行く過程に重なる。
「大国主(オオクニヌシ)」はこの「国主」を意味していると考えたら、国譲りや国引きも分かりやすい。
それが、なぜ出雲でなければならないかと言うと、遠くは弥生時代からの記憶があったようだし、伊勢に対する地理的関係、日が昇る国伊勢に対する、日が沈む国出雲の対比など(これは新しい意見ではないが)があった。
国家体制が継体・欽明期にそれまでの朝鮮進出から、内向きになって行くことと神話が歩調を合わせていることが説明される。ここには仏教の伝来も加わりおおきな影響を与える。
大雑把に言えばこんなところだが、出雲には神話を含めて豊富な歴史が残されている。それが全国とどう連動しているかを研究する手法もあるということを教えられる。
忙しくて暑い一週間の週末は御褒美の一日になったのであった。

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