曽田博久のblog

若い頃はアニメや特撮番組の脚本を執筆。ゲームシナリオ執筆を経て、文庫書下ろし時代小説を執筆するも妻の病気で介護に専念せざるを得ず、出雲に帰郷。介護のかたわら若い頃から書きたかった郷土の戦国武将の物語をこつこつ執筆。このブログの目的はその小説を少しずつ掲載してゆくことですが、ブログに載せるのか、ホームページを作って載せるのか、素人なのでまだどうしたら一番いいのか分かりません。そこでしばらくは自分のブログのスキルを上げるためと本ブログを認知して頂くために、私が描こうとする武将の逸話や、出雲の新旧の風土記、介護や畑の農作業日記、脚本家時代の話や私の師匠であった脚本家とのアンビリーバブルなトンデモ弟子生活などをご紹介してゆきたいと思います。しばらくは愛想のない文字だけのブログが続くと思いますが、よろしくお付き合いください。

8月12日からひとりでお盆の準備を始める。松江のクラスターで母がグループホームから外出できなくなり、儂の姉妹も帰郷できず、ひとりでやるしかなくなったのである。先ずは盆提灯の組み立てから。
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これは去年儂が新調して、組み立てもやったので楽な作業。この後、確かこの箱だったよなあと、仏壇の横から高月や段盛臺の箱を出す。困ったのは料理を載せる御膳の場所が分からないこと。妹に聞いても去年はお盆の支度だけしたら急いで帰ったので分からないと言う。後片付けは母がしたのだ。困った。電話して母に聞いたところで覚えてはいないだろう。同じ押し入れを三度捜して、一番奥からようやく見つける。午前中はくたびれてここ迄。昼食後、イオンへ花や果物、菓子、盆飾りetcを買いに行く。
帰宅後、花ノ木を切りに表へ出る。
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花をいっぱい買い過ぎたので、花ノ木まで買うのは勿体なさ過ぎる。花ノ木は母が帰郷した時、毎度買うのが勿体ないので、池の側に植えたものである。なかなか売っているような見栄えのいい枝は取れないのだが、今夏はまあまあの枝が取れる。
夕食後、仏壇の花を活けて、高月や段盛、果物などをセットだけしておく。13日の朝に供える予定。
8月13日
7時前にお墓へ行く。
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花立を洗う。これはお墓の前の家の部落水道。いくら使っても一律一軒月千円。ゴミ箱掃除にも使うので隣保は誰でも使える。
去年、父の死後、墓を作った時に墓地も整理した。個人墓の花立は祖父と戦死した父の弟の分以外はすべて撤去して、墓の入り口に新たに花台を作り、ここに花を供え、水をやり、線香を立てれば全員の供養が出来るようにしたのだ。ずいぶん楽になった。それまでは全部の花立に花を供え、固い土を掘って線香を立てるのが大変だった。
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父の墓というか累代の墓。もう個人墓の余地がないので、お墓のアパートを建てた次第。儂も将来入居予定。
赤いのだけがやけに目立っているが、これはほうずき。近年ほうずきは供えたことがなかったがイオンでみたらやけにきれいだったので衝動買いする。一本500円以上して吃驚。来年からは庭の片隅にほうずきを植えようと思う。そう言えば昔はどこの家にもほうずきはあったものだ。
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11時にお坊さんが来るのでそれまでに仏壇の用意。
困ったのが御膳。煮しめを作るのは無理なのでスーパーで買って来たお煮しめのセットから適当にチョイスする。本当はお決まりのメニューがあるのだろうが来年の宿題。豆腐の吸い物は一応作る。醤油を落としてダシを入れて作る。ご飯は冷凍を解凍しようと思っていたのだが、儂のご飯は玄米入り。見た目がよくないのでコンビニに走り、パックご飯を買って来てチンして切り抜ける。隣はドライフルーツ。メロンがドーンとあった方がいいのだが、暑い処に三日も置いておくと傷んでしまうので法事用のドライフルーツを買った。和尚さん、呆れていたかもしれない。
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高月には白玉団子を盛る。これはビニールのパックに入っている。毎年母がエベレストのような団子の山を作っていたのだが今年からパック。本当はパックを外すべきなのだろうか、よくわからん。
今年は茄子の牛と胡瓜の馬も作る。我が家のナスは見栄えのいいものがなかったので、畑先生のナスを貰いに行ったが、ここは大長ナスなので長いものばっかり。ようやく手ごろな大きさのナスを見つけたが随分スマートな牛になってしまった。
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10時前に完了。和尚さんが来る前に障子を閉めて、部屋をギンギンに冷やしておく。コロナの夏なので前もって和尚さんからお経が終わってもお茶出しなどしないでくれと言われている。自分で水筒を用意して回るのだそうだ。接触機会を減らそうという訳だ。
11時前、和尚さん軽トラックでやって来て、軽トラックで次へ。これで来年はもう少し手際よく出来るだろうが、こんなお盆は今年だけにして欲しい。去年の今頃は特養の夏祭りで妻と花火見物したのに、今年はどこからも花火の音が聞こえない。

                   第四章 初陣(4)

 その瞬間、訳もなくどきっとした辰敬は咄嗟に姿を隠していた。なぜ、そんな行動を取ったのかは自分でも分からなかった。身体がそう反応したとしか説明のしようがなかった。多聞を邸で見るのはいつ以来だろう。思い出せないくらい久し振りだが、懐かしさより先に気になることがあった。多聞は門へ向かっていたのである。こんなに早く退出するなんて一体何の用があって来たのだろう。

加えて辰敬の目を引いたのは多聞の歩く姿であった。左手を懐に突っ込みぶらりと肩を揺するように歩いていた。まるで都を徘徊する牢人のようだ。辰敬は多聞のこんな姿は見た事がなかった。多聞はどんな寒い日でも決して懐手はしなかった。片懐手でだらしなく歩く男ではない。辰敬は多聞の後を追った。

 多聞は邸を出ると西へ向かった。女のいる家に帰るのだろうか。後を追いながら辰敬は多聞の左手を突っ込んだ懐が妙に大きく膨らんでいたのを思い出していた。

 多聞は風早町へは戻らなかった。途中から南に下り、都の外れまで来るとさらに西へ向かい、東寺の近くの小さな土倉の暖簾を潜ったのである。辰敬はまるで自分が悪い事をしているかのように道端の小屋陰に身を隠した。

多聞が出て来た。懐の膨らみは消えていた。懐に隠していた物を銭に換えたことは明らかだった。京極邸から持ち出した物を土倉に持ち込んだのだ。

 辰敬は信じたくなかった。いま見た事が幻であって欲しかったが、前を行くずんぐりした岩のような後ろ姿はまごうことなき多聞であった。その背中がこれまで見た事もないくらいしぼんで見えた。辰敬までもしおれたように動けなかった。多聞の姿が視界から消えてからようやく足が動いた。

 辰敬は重い足取りで風早町まで引き返して来ると、ためらいながらもそっと町屋の間の路地に入った。と、奥から激しく怒鳴り合う声がして女の悲鳴が上がった。

 何事かと掛け込むとあばら家の前で十人ほどの侍が多聞を取り囲んでいた。京極家中の者達だった。鷲尾が頭巾を被った女を人質に取り刃を突き付けている。まともに向かったのでは多聞に太刀打ちできないので、女を人質にとって多聞を取り抑えようとしているのだ。多聞の盗みがばれたようだ。

 と、喉元の刃も厭わず、女が鷲尾を突き飛ばし身を翻した。慌てた鷲尾が女を引き戻そうとした時、多聞がその間に飛び込み、たちまち乱闘となった。

女は必死の形相で路地へ逃げて来た。頭巾は剥ぎ取られ、まるで童女のような髪を振り乱し、腿も露わに走って来る姿は異様で、鬼気迫るものがあった。女は辰敬の横を駆け抜けると小路へ飛び出した。辰敬は女を追った。

「こっちじゃ」

女の袖を掴むと小路を駆け抜け、近くの寺へ逃げ込んだ。昨秋来、多聞と二度ほど会った場所である。

二人は境内の奥の苔むした石塔の陰に倒れるように転がり込むと息を潜めた。叫喚から離れた静けさの中で辰敬の背に熱い息だけが(ふいご)のように打ち寄せていた。蹲っていたが追手の気配はなかった辰敬はそっと女を振り返った。そう怯えた顔があった。

「あんな奴ら、束になっても多聞さんにはかなわんけん」

 安心させてやろうと思ったのだが、齢にそぐわぬ童女のような頭がいやでも目に障る。やはり尼であることを隠していたのだ。尼で剃髪するのは禅寺に限られている。多くの尼は尼削ぎと言い、肩の辺りで髪を切り揃えるのが普通である。生え揃わぬ短い髪を見るに、女は禅寺の尼だったに違いない。女が無性に汚らわしく見えた。短いばさばさの髪は勿論の事、化粧気のない疲れの滲んだ顔も。

「なして多聞さんは盗みなんかしちょったんじゃ」

 咎めるような口調になっていた。

「わらわも知らんかった……」

 項垂れると消え入りそうな声で、

「申し訳ない事じゃ……路銀を工面しておられたのじゃろう」

「路銀」

 辰敬は思わず素っ頓狂な声を上げた。

「旅に出るのか」

 女は面を伏せたまま頷き、

「髪が伸びたらと約束を……」

 油っ気のない短髪の頭を恥ずかしそうにすくめた。

「多聞さんと一緒にか。どこへ、なして旅を」

 女はうっと声を漏らすと堰を切ったように泣き出した。大きな声に自分でも驚いたのか、慌てて袂を口に押し当てたが、嗚咽はとめどもなく続き、涙もぼろぼろとこぼれ続けた。 いつになったら泣きやむのか、辰敬が震える肩を呆れたように見ていると、ぽつりと声が漏れた。

「伊豆へ……」

 振り絞るような声を上げた。

「わらわの子が生きておったのや」

女は身を投げ出すように地べたに突っ伏した。辰敬は凝然と女を見詰めていた。尼さんに子供がいたとは。

 ようやく泣きやんだ女が涙ながらに語るには、生国は駿河で本名はすえ。甲斐との国境に接する貧しい山里の百姓の娘だった。

 一帯を知行する領主は先祖が鎌倉以来の御家人の家柄で、駿河の守護大名今川氏の被官であった。すえはその館に端女として奉公に上がったが、水浴びをしているところを猟色に狂った主の目にとまり、その場で犯されてしまった。正室との間に子がなく、側女が産んだ子達も皆虚弱で早世していたので、後継ぎを熱望する主は女と見れば見境なく手をつけていたのだ。

土臭い百姓娘は丸々と太った男児を産んだ。主は狂喜乱舞した。すえは主の宿願を叶える大手柄を挙げたのだが、褒美に小袖を一枚貰っただけで子は取り上げられてしまった。

正室の子として育てられる事になり、主家代々の幼名である松王丸と名付けられたが、正室は悋気が強く異常に嫉妬深い性質だった。子を奪っただけでは飽き足らず、すえを殺そうとしたのである。

 間一髪、刺客に気づいたすえは刃を浴びながらも、必死に山へ逃げ込んだ。その時の傷は背に残り、今も痛む。普通の娘なら死んでいたが、山育ちの生命力がすえを救った。

 谷に落ち気を失って倒れている所を、旅の比丘尼に救われたのである。旅の比丘尼と言えば尼姿で春をひさぐ女である。すえも生きて行くためには身を売るしかなかった。恩義のある比丘尼とともに三年ほど諸国を旅をしたが、片時も我が子を忘れた事はなかった。

我が子の存在がすえを支えたと言ってよい。だが、身を売りながらの旅は余りにも辛く、耐え切れなくなったすえは、都へ上った時に尼寺へ逃げ込んだ。

正真正銘本物の尼になったのである。すえは御仏に仕えながらひたすら我が子の為に祈り続けたが、それから四年近くたった去年の春、駿河の主家が滅んだ事を知った。甲斐の守護大名武田氏の侵攻を受け、一族皆殺しにあったのだ。館に押し込められ、女子供に至るまで、一人残らず焼き殺されたと言う報せだった。すえは半狂乱となり、自らも井戸に身を投げようとしたほどであった。

ところが、それから暫くして、風の噂に松王丸が生きていると知らされた。館が包囲される寸前に、松王丸を救い出した奉公人の老夫婦がいた。老夫婦は夫の故郷の伊豆の僻村へ戻ると、そこで漁師をしながら松王丸を大切に育てていると言うものであった。すえはその噂を聞いた途端、矢も盾もたまらず会いたくなった。

松王丸は七歳になっている。やっと我が子を取り戻す事が出来るのだ。夢にまで見た、親子二人の暮らしが出来る。どんなに貧しくても、どんなに辛くても、我が子と二人なら何の苦労であろうか。どんなに大きくなったことか。我が子に会いたい一心で、すえは尼寺を飛び出したのだが、都を脱け出す事すら出来なかった。

 あの恐ろしい野っ原でならず者に襲われたのだ。真夜中に都の人間なら絶対に通らない場所だが、すえは正常な判断を失っていた。が、御仏に仕えた功徳が残っていた。偶然、通りかかった多聞に救われたのであった。

「桜井様は事情を知ると、わらわを伊豆まで送ってやると約束して下さったのじゃ。わらわの髪が伸びた頃に旅立てるようにと。それまでに支度を整えてやろうと仰せになったのじゃ」

 そこまで語ると、すえはその目をひたと辰敬に当てた。辰敬の心の内はお見通しですよと言わんばかりに。

(桜井様はふしだらな御方ではありませんよ)

 辰敬は目を逸らすと多聞を恨んだ。

(多聞さんはいつもこうだ。一言言ってくれればいいのに。我を子供と思っていたのか)

 すえには辰敬は大人になる子に見えていた。

「……一つ屋根の下で暮らしていたけれど、桜井様と言う御方はですね……指一本」

 咳ばらいがした。振り返ると仏頂面の多聞が立っていた。

「あっ、桜井様」

 すえは思わず多聞の胸に飛び込むようにしがみついた。

「よくぞ、御無事で」

「むむ……」

 涙のすえを持て余す多聞を、辰敬は背伸びした目で眺めていた。視線に気づいたすえが慌てて離れた。仏頂面がほっとしたように一呼吸すると、

「さて、これからじゃが、伊豆へ行こう」

「えっ」

 すえが声を上げた。

 辰敬も吃驚して、思わず問うた。

「路銀は。旅の支度は」

 多聞は首を振った。

「路銀は少し貯めた。支度も少しずつ整えていたが、みな、置いて来た。今頃は奴らに根こそぎ奪われておるじゃろう」

 ちゃりんと袂を鳴らした。

「じゃが、今朝、作った銭がある」

「とても足りんじゃろ」

 関銭だけでも馬鹿にならない。一人一文としても、二人で二文だが、関所はいたる所にあった。公方を筆頭に守護や守護代などの武士、朝廷、公家、寺社を問わず、その領地に関所を作り、通過する者から容赦なく関銭を取り立てた。伊豆まで一体関所だけでも幾つある事だろう。百ではきくまい。二百はあるかもしれない。関銭だけでも四百文だ。野宿ばかりする訳にはゆくまい。宿賃がいる。煮炊きする薪代もいれば、米を買う金もいる。

「なあに、何とかなる。商人の用心棒でもすればよい」

 と安心させるように腰の刀をぽんと叩いた。

 かくなる上は一肌脱がねばならぬ。辰敬はそう思った。

「多聞さん、ちょっと待っちょってくれ。我のところには少しじゃが米がある。上洛した時の旅支度もそのまま置いてある。すぐに持って来るけん」

 辰敬は京極邸の長屋に取って返した。鷲尾達は傷の手当てで大騒ぎしていたので見咎められる事はなかった。

 行李に米や味噌などありったけを詰め込んで引き返して来た。

「わぬしが困るじゃろ」

「次郎松が貸してくれるけん」

 にっと笑みを浮かべると、

「少ないけど」

 六十文ほど入った銭袋を差し出した。

 多聞は目を丸くした。

「何じゃ、これは」

「次郎松がくれた多胡博打の御守代じゃ」

「多胡博打」

 怪訝な顔をする多聞に、辰敬は多胡博打の一件を打ち明けた。

「律儀な奴じゃのう」

 多聞が声を上げて笑った。つられてすえも笑い、辰敬も笑った。

「その御守、儂も欲しいくらいじゃ」

「賭け事はいけません」

 すえが大真面目な顔でたしなめた。

「冗談じゃ」

 早速、多聞は行李を背負い、すえと共に寺を出た。見送りに辰敬もついて行った。多聞は途中ですえに市女笠を買った。

 東海道を下るには粟田口から日の岡の峠を越える。寺を出て、三条大橋を渡り、京の七口の一つ粟田口の関まではかなり歩くが、辰敬にはあっという間だった。それが二人を送って来た辰敬の実感であった。

 出る人、来る人の雑踏の中で、多聞は立ち止まると、辰敬に向き直った。じっと黙って見詰める目は、出会ってから今日までの辰敬の成長を確かめているかのようであった。

「世話になったな」

 大人と認めた声だった。

「達者でな」

 頷いて(多聞さんも)と言葉を返そうとした時、多聞はくるりと背を向け、関所の茅葺き屋根の門に向かっていた。

 すえが両手を胸前で合わせ、

「だんだん」

 にっこりと頭を下げた。辰敬の顔にも笑みが浮かんだ。出雲の言葉で礼を言ってくれたのは、最大限の感謝の気持ちを伝えたかったに違いない。

 街道を遠ざかって行く二人を、辰敬はいつまでも見送ったが、突然の別れをまだ現実のものとして受け入れる事が出来た訳ではなかった。まさか多聞ともこんな別れになってしまうとは。二人の後ろ姿が豆粒のようになった時、別れの寂しさがじんわりと込み上げて来た。どうして大好きな人たちばかり去って行くのだろう。まるで辰敬を置いてけぼりにするかのように。多聞は戻って来るのだろうか。また会う事が出来るのだろうか。一寸先は分からない世の中だった。神のみぞ知る。いや、神さえも見通す事が出来ない世ではないのか。今辰敬に出来る事と言えば、二人の道中の無事を祈るしかなかった。救いは春がそこまで来ている事だった。

辰敬は引き返した。三条大橋に向かってとぼとぼと歩いていると、目は自ずと街道の右手、鴨東の北に広がる野に引きずられていた。

目の端に東山連峰が南北に横たわり、そのなだらかな峰の北にはこれまた見慣れた比叡の山稜が盛り上がっている。緑を増した麦畑と荒れ地が入り混じって広がる平地には、森や林、寺社や集落が浮島のように点在している。

辰敬は自分の目が捜しているものに気がついていた。あの日以来、鴨川を越えることはなかったが、こうして鴨東に足を踏み入れると、否応もなく思い出させられる。深夜の京極邸で石童丸と出食わした時の事を。石童丸は土倉に嫁いだいちが、鴨東の寮に暮らしていると教えた。銀閣寺へ行く途中にあると言った言葉を思い出しながら、辰敬は東山の麓から西へゆっくりと視線を戻した。

遠くのあの屋敷森だろうか、それとも百姓家の向こうの竹林の揺れる屋敷だろうか、それらしい住まいを捜していた。が、立ち止まった足を叱るものがあった。もう一人の自分の声であった。

(未練だぞ。忘れたのではないか)

 声は未練の目をも叱った。

(多聞さんに叱られた事を忘れたのか)

 辰敬は我に返り、今頃は日の岡の峠を登っているであろう多聞に思いを馳せた。

(多聞さんが我を叱った事に間違いはない。御奉公専一を考え、我を思っての事だったのだ……)

 と、己に言い聞かせながらも、その多聞への疑念が湧き上がって来るのであった。

(……多聞さんはどうしてあそこまで尽くすのだろう)

 それは喉に刺さった魚の小骨のように引っかかっていた謎であった。すえを好きになったのなら判る。辰敬が見るに多聞が好意を抱いているのは確かだ。好きな女の為なら当然だと思うのだが、多聞はすえに指一本触れていないと言う。何ヶ月も女と暮らしていながら、指一本触れないのは男として普通ではないことぐらい辰敬の齢になれば判る。もし辰敬がいちと一緒にそんな状況に置かれたら、一日たりとも我慢できなかったであろう。

(触りたいし、抱き締めずにはいられないし……ああ、いけない。またつまらない妄想をしてしまった)

 多聞に思いを戻した。

 すえの身に同情したからかと思ったが、ただの同情からとはとても思えなかった。では、すえが尼だったからだろうか。多聞は尼僧に手を出すような男ではない。だが、すえは尼寺を抜け出したのであり、多聞と暮らし始めてから髪も伸ばしたではないか。もしかして多聞は女嫌いなのだろうかとも思ったが、それにはいかにも無理がある。結局、やっぱり多聞はすえが好きなのだ。好きだからこそ旅を共にするのだと言う結論に納まる。そして、堂々巡りの果てに初めの疑問に戻るのであった。

 好きならどうして指一本触れないのだろう。いやいや、そもそも多聞は好きとも、愛しているとも言わない。そういう男だ。出会ってから、今日までの多聞を改めたて思い出して見た。多聞の人となりを、本当の多聞を知るために。三条大橋が見える所まで来た時、ようやく結論らしいものに辿り着いた。

(多聞さんは好きだったからこそ指を触れようともしなかったのではないだろうか)

 何だか胸に落ちたような気がした。本当に好きな人だったら指も触れられない。多聞ならありそうな事だ。いや、不器用で、口が重く、武辺一点張りの多聞なればこそではないか。 指も触れない、好きとも言えない。それこそが好意を示すことであり、あの人を大切にしていることではなかったのか。

(多聞さんらしい)

 大好きな多聞がそこにいた。いかにも素朴な出雲の田舎武士ではないか。辰敬にはとても男らしく立派なことに思えた。

 翻って我が身を省みてどうだろう。好きとも言えず、手を握る事も出来なかったところは、多聞に似ていた。だが、その後が違い過ぎる。確かに辰敬はいちを失ったが、もし多聞が同じ立場なら、今の辰敬のように未練を残し続けたであろうか。無理矢理忘れようとして、結局、忘れられず、未練たらしく悶々としたであろうか。否、多聞はそんな男ではないはずだ。

 多聞ならどうしたであろうか。岩のような多聞の姿が浮かんだ。秘めた意志がそのまま岩と化したような顔。なにものにも揺るがぬ不動の岩と化した体躯。その時、辰敬は思った。多聞は岩のように動かず、変わらず、その固い身の内に大切なものを守り続けるのではないのだろうか。

 辰敬はいちを忘れようとしていたが、多聞は逆に大切な人を決して忘れたりはしないのではないか。多聞ならその思いを抱き続けるに違いない。決して表には出さず、死ぬまで己一人の内に守り続けるだろう。そうだ。男なら、そう言う愛し方もあるのだ。いや、それこそが一番男らしいのかもしれない。

 そこまでが今の辰敬が到達した地平だった。

 辰敬は思った。いちを忘れてはいけないのだ。たとえいちが人の妻となり、手の届かない所へ行ってしまったとしても、いちが本当に好きで、いちを本当に大切に思っているのならば、忘れてはいけないのだ。何年経とうとも、どんなに遠くにいても、自分の運命がどう変わろうとも、心の奥底にかけがえのない人として大切に守り続けるのだ。

 たとえその気持が伝わらなくてもよい。

 歳月が経ちいちがどんな女になったとしてもいい。辰敬は変わらず、思い続けるのだ。それが本当に好きになった人への誠ではないか。

(多聞さん、そうじゃろ)

 辰敬はきっと唇を真一文字に結び、三条大橋の真ん中をまっすぐ進んだ。

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昨日の朝は高校生と70代の2人と報道されていた。夜、11時頃寝る前にネットを見たらいきなりクラスター91人とあり、詳しいことはわからないままどんよりとした気分で床につく。朝、早速新聞を見て、立正大淞南高校のサッカー部寮を中心としたクラスターと知るが、そのサッカー部の活動歴を見て呆れる。
7月23日~25日大阪府内遠征。8月3日、4日は鳥取県内で練習試合。4日~6日までは香川県遠征だって。
この御時世にバスに選手を詰め込んで遠征試合に行くのかねえ。しかもよりによって大阪へ。指導者は軽率の誹りを免れることは出来ないだろう。思うのだが、日本のスポーツの指導者はどうしてこんな馬鹿ばかりなんだろう。言葉は悪いが言わせてもらおう。日大のラグビー部のコーチしかり。優れた人がいることは認めるが、日本のスポーツ馬鹿と言われる、一部のどうしようもない人たちの行いには絶望する。と言うより、こういう指導者を尊敬し盲目的に従う高校生たちが哀れでならない。自分で考えることもしない高校生自身を含めて哀れである。
毎日毎日感染者が増えている時に危ないと思わなかったのだろうか。どうして一歩立ち止まって、思慮することができないのだろう。一部より全体、今日より明日にどうして思いを巡らせることができないのだろう。
田舎でも皆、とても気をつかっているのに、帰省を断り、家族に会うのも我慢しているのに、その田舎でこのありさまでは情けないというか、自分達のようにまじめに取り組んでいる庶民の苦労が無にされたようで悲しくなる。
早速、その余波が来た。お盆に合わせて、母を12日に外泊させ、お盆の準備を少し手伝ってもらおうと思っていたのに、昨日の3時前に日曜外出の送り届けをした時は「いいですよ」だったのに、今朝電話が来て、8月中は一切の外出はダメになってしまった。当然、妻の特養も面会どころではあるまい。また、面会規制は延びるだろう。どんどん延びる。どこまで延びるやら。
19日には医大で母の肺がんの健康診断(術後毎年受けている)があったが、これもグループホームで外出禁止になったから受けに行くことが出来なくなった。
思うに、こんなことになったのも非常事態宣言の解除が早すぎたのだ。あの時も不思議に思ったものだ。どうして月末まで我慢できなかったのか。東京も微妙な数字だったのに解除してしまった。その後も感染者が増えているのにGOTOなんてことを始める。
結果、国が感染者を増やして、自治体がしりぬぐいをさせられている。沖縄なんて本当に気の毒だ。コロナなんか気にしないアメリカ兵がうじゃうじゃいて、そこへGOTOでアホな観光客が押しかける。
安倍首相は正常な判断が出来なくなっていると儂は思っている。恐らく持病が再発しているのではないだろうか。あの生気のない顔をみたら誰もおかしいと言わないのが不思議だ。しかも、この大変な時期に国会も開かない。ろくに記者会見もしない。罰則規制のある措置法を作らなければいけないと言われている時に、どう考えても一国の首相が夏休みを取っている場合ではあるまい。
自分たちが選んだ総理大臣なのだから、その結果が自分たちに返って来るのはやむを得ない。悲しいけれどそう言わざるを得ない。
儂にとってはこの三日が出雲に帰って一番暑い夏になる。まさか一人でお盆をすることになるとは。去年までは草取りと盆提灯を出すだけだったが、今年は妹たちの助けがないから、全部やらないといけない。去年の写真を見て、道具を探し出し、今から準備している。妹がお盆のお供えの料理のセットがあると言っていたから捜してみる。白玉団子のパックは早々と買った。朝、庭の草取りしただけで目が回る。風があるのが救い。

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